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翌朝も長登がリビングにいて不思議な感覚がある。今日はダークネイビーのスーツを身につけている。これも高そうに見える。
「今日もどこかいくんですか?」
「どうだっていいだろ」
怒っているのだろうか、と長登を見ると、そうではなく、ただ口調がそっけないだけだとわかった。自分で思っている以上にまわりの人は大夢に怒っていないのかもしれない。
朝食の片づけを終えて、長登の様子を窺う。
「なにをしたらいいですか?」
「俺に聞かないとなにもできないのか」
「だってここ長登さんの家ですし……」
家主に聞くのが正しいと思ったのだ。長登はちらりと大夢を見て、またタブレットに視線を落とす。
「好きにすれば」
「好きに……」
それは、「なにかをしろ」と言われるより難しい気がした。
「勘違いするなよ」
「え?」
「大夢を自由にさせるわけじゃないから」
ますます難しい。好きにしていい、だが自由にさせるわけではない。その心は?
「どういう意味ですか?」
こういうときは素直に聞くのが正解だ、と本人に聞く。長登は眉ひとつ動かさずに、「さあな」と投げ捨てるような答えを返してきた。
どうするべきか。自分で考えた結果、やはり間違いがないだろう、と客室に戻ってベッドに入った。
こんなに眠れる日がくるなんて想像もできなかった。食事の時間には起きないと――そう思いながらぼんやりしているうちに、うとうととしはじめた。
昼食の時間に起きると、長登はまたいなかった。毎日盗んで歩いているわけではないと言っていたけれども、それならばどこにいっているのだろう。怪盗でも普段は別の仕事をしていたりするのか、と考えてみるがわからない。
そもそも長登は本当に怪盗なのか。そうならば、なぜそんなことをしているのだろう。
少し考えたが、知ったところで今さら辞めるとは言えないし、言おうとも思わないので聞かないほうがいいのかもしれないという結論になった。
会社はどうなっているか、ふと気になった。抜けた大夢のかわりに誰かを雇うのか、それとももとからいた社員が穴埋めをしているのか。考えていたらなんだか申し訳なくなり、苦しくなったら長登の言葉が脳裏に蘇った。
――すみませんすみません、って楽しいか?
楽しくない。こんな申し訳ない気分が楽しいわけがない。でも自分の至らなさを知るときに、申し訳ない、としか思えないのだ。自分に自信がないのも原因かもしれない。
「……そうだ」
なんとなくまた散歩に出かけることにした。昨日長登はそれを咎めなかったのでそうした。そして思い出す、「自由にさせるわけじゃない」という言葉。充分自由にさせてもらっていると思うが、どういう意味だったのだろう。
公園につくと今日も常和がいた。また項垂れるように俯いている。
「こんにちは」
声をかけるとゆっくりとその顔があがった。整った顔は昨日以上に元気がなく感じる。
「どうかしたんですか?」
「え?」
「昨日以上に常和さんの顔が曇っているように見えたので。勘違いだったらすみません」
力なく微笑んだ常和は大夢に「座ってください」と場所を空けた。隣に座ると、大きなため息が聞こえてきた。腹の底から出ていそうな、深い深いため息だった。
「実はちょっと、父と揉めていて」
「お父さんと?」
「父は俺に会社を辞めさせたいんです」
いくら父親とはいえ、息子の仕事に口出しをするのはどうなのだろうか、と思うが常和の父親にもなにか事情があるのかもしれない。常和の元気がないのはそれが原因か。
「どうして辞めさせたいんですか?」
「それは……」
口ごもる常和に大夢は慌てる。
「言いたくないことなら無理に話さなくていいんです」
常和はなにか逡巡するように口を開いたり閉じたりした後に唇を引き結んだ。表情がさらに暗くなっている。
「言いたくないというわけでもないんですが、ちょっと……事情が事情で」
すみません、と謝られて逆に申し訳なくなる。
「せっかく相談にのってくれてるのにすみません」
「いえ、そんな」
そう答えて、疑問符が浮かぶ。自分は彼の相談にのっているのだろうか。大夢は自身で思うよりずっと軽い気持ちだった、と気がつき心の中で反省した。
「本当に、つらいことはいつまでも続かないと思いますか?」
縋るような瞳に、少し悩んでしまう。常和がこんなに真剣なのだから、いい加減な返事はできない。それでも大夢は頷いた。
「俺もずっとつらい状況だったけど、ある人に助けてもらえたんです」
長登を思い浮かべて答えると、常和は難しい表情を崩した。
「俺も、大夢さんに助けてもらいました」
「俺に、ですか?」
そんな大それたことはしていないし、できない。それなのに常和は嬉しそうに表情を綻ばせる。
「大夢さんの優しさって、心が楽になるんです」
はにかんで頬をわずかに紅潮させる常和に、こんな自分でも誰かになにかをしてあげられるのか、と大夢は驚いた。
常和はおもむろに腕時計へ視線を落とす。
「大夢さんはお仕事大丈夫なんですか?」
「……っ」
どきりと焦りで心臓の動きが速まった。
「い、今はまだ準備中というか……」
「そうなんですね」
なんと答えるのが正解かわからず適当に濁すが、常和は疑う様子も見せずに微笑んだ。
準備どころかなにもしていない。これでいいのか、と大夢は自問する。長登の役に立たなければ意味がないのではないか。
だが怪盗のアシスタントをするのに、なにを勉強したらいいのかわからない。もしかして長登は大夢が自主的に行動するかどうかを試しているのだろうか――そう思ったら無性に急いでなにかをやらなくてはいけないような気がしてきた。
「すみません。そろそろ失礼します」
戻ってなにかできることを探そう、と立ちあがると常和が心細そうな瞳で大夢を見あげる。
「また会えますか?」
「……たぶん」
なぜか大夢も常和にまた会いたいと思った。優しい笑顔が心地よいからかもしれない。
帰宅すると長登がいて、意味ありげな視線を向けられた。室内には洗濯物が干されている。
「あ、洗濯ありがとうございます」
「ふうん」
「な、なんですか?」
「さあ?」
ごまかされて、なんだかすっきりしない。長登は大夢の顔を見るとそのまま出かけてしまった。
その日の夜、ベッドに入ったら突然常和の顔が頭に浮かんだ。自分のような人間でもなにかができる、そう思うとなんだか急に元気になってきた。大夢を助けてくれた恩人の長登のためになにかをしたい、とやる気が膨らんだ。
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