この愛を選びたい

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 次の日また公園にいくと常和がベンチに座っていた。問題集を開いていないので父親ときちんと話ができたのだろう。 「大夢さん……」  常和が顔をあげ、眉をさげる。その表情から「きちんと話」はできなかったのだと大夢は悟った。 「だめでした……。せっかく相談にのってくださったのにすみません。あんなに真剣にアドバイスをくれたのに……」  消えそうな声で言って大夢の手をとる。なぜすぐ手を握るのか、と思うが、たぶん感情が昂ぶっているのだろうと、そっと手を引こうとするが離してくれない。 「も、もうお仕事は辞めてしまったんですか?」  話を逸らしてみよう、と口を開いた。常和は首を横に振って項垂れる。 「まだです。でも頭を整理したくて、全然使ってなかった有給を使って休んでいます。部屋にいても気分が鬱々としてくるのでここにきてるんです」  親がいるというのも大変だな、とどこか他人ごとに感じてしまう。 「前にも言ったとおり、俺は辞めたくないんです。仕事が楽しいしやりがいもあって……。大夢さんだったらどうしますか?」 「俺だったら……ですか」  想像してみるが、経験のないことというのはまったく考えが及ばない。 「親がいないのでわからないです」 「え……」 「小学生のときに両親とも事故で他界したんです。だからちょっと……常和さんがどんな気持ちか想像もできなくて……すみません」  常和は驚いたように表情を変えてから、苦しそうに顔を歪めた。 「俺こそすみません。無神経なことを聞いてしまいました」  なぜか常和が傷ついた顔で謝るので、首を傾げつつ、いえ、と答えた。ようやく手を離してくれてほっとする。 「大変だったんですね」  そういえば長登も「ご苦労さん」と言っていた。  たしかに寂しかったりつらかったりしたことはあるが、なんとか生きてこられた。それで充分な気がする。むしろ気を遣わせてしまって申し訳ない。 「大夢さんはどんなお仕事をされているんですか?」 「えっ」  急な問いかけに肩が跳ねた。どくんどくんと心臓が早鐘を打つ。手のひらに嫌な汗をかきはじめて、思わずぎゅっとこぶしを握った。 「えっと……、アシスタント、の見習いです」  嘘は言っていない。それに相手が警察官志望でなくても、怪盗のアシスタント見習いをしているなどと馬鹿正直に答えるわけにはいかない。  しどろもどろになっていると、突然強い視線を感じて振り返る。 「……?」  振り返った先には木々が並ぶばかりで誰もいない。気のせいか、と常和に顔を向けた。 「俺、そろそろ戻らないといけないので」 「あ、待ってください」  立ちあがる大夢を常和が引き留め、なぜかどきりとする。それは先ほどの嫌な拍動ではなかった。 「よかったら連絡先を交換しませんか?」 「連絡先……」  スマートフォンは長登に預けたままだ。 「すみません。スマホは持ってないんです」  常和は残念そうにしゅんとしてしまった。なんだかとても悪いことをしたようで、「じゃあ」と努めて明るく声を出した。 「明日もまたここで」  ぱっと表情が華やいだ常和にほっとする。 「そういえば、大夢さんって俺より年上ですよね?」 「え、そうなんですか?」 「俺、今二十五です。大夢さんは考え方が落ちついてるのでたぶん上だろうなと思ったんですが」 「俺は二十七です、が……」  落ちついているなんてはじめて言われた。どこかむずがゆい響きだ。 「やっぱり。もっと気楽に話してくれていいですよ」 「そんな……」  すでに名前で呼んでいるのに、これ以上の気楽とはなんだ。 「そういえば、前に自分の名字を聞きたくないと言ってましたよね。あれももしかしてお父さんのことで?」  常和は視線を彷徨わせてから、頬をわずかに赤く染めた。 「はい。お恥ずかしいんですが、反発心というか……」 「そうですか」  親子関係とは難しいものだ、と当たり前のようなことを改めて感じた。  長登の家に戻ってトレーニングをはじめようとすると、背中を強く叩かれた。振り返ると長登が睨んでいる。 「色ぼけ」 「は?」 「おまえ、あの男には惚れるなよ」 「あの男……?」  長登はわざとらしくため息をついた。 「公園で会ってただろ。とぼけるな」 「なんで知ってるんですか?」  あの場には常和と大夢しかいなかった。それなのになぜ。 「俺は大夢を自由にさせてるわけじゃないって言っただろ。放し飼いにしてるだけだ」  意味がわからず首を傾けてしまう。 「いつだって見られてることを忘れるな」  きつい言葉にぞくりと鳥肌が立った。  もしかして自分は知らないうちに恐ろしい状況に飛び込んでしまったのだろうか、と考え、そんなことは今さらだ、と決意して、はっきり長登に頷いて見せた。  死んだような状態から救ってくれた長登への恩を忘れてはいけない。それに常和は男だ。大夢は同性に惹かれたことなど一度もない。だから惚れるなんて、ありえない。  朝、公園にいこうと思って足が止まる。常和と約束したけれど、長登が怖い。どちらかを選ぶならば恩人の長登だ。  公園にはいかないことにしたが、気持ちがそぞろになってしまう。長登はいつもどおり出かけて、なんとなく落ちつかない。いつだって見られている、の意味がわからないから余計に気持ち悪いのかもしれない。 「……まさか」  監視カメラでもついているのだろうか、と天井を見ても特にそういったものは見あたらない。ほっとしてから、長登がそれほど簡単にわかる場所に仕掛けるだろうか、と思い至り、なんとなく居心地の悪さを感じながらトレーニングをはじめた。  常和はどうしているだろう。大夢を待っているだろうか。  二日経ち、常和は今日も公園にきているだろうか、と考える。約束をすっぽかされて待っているはずがない。続けて公園にいかずにすごした。  男性に惹かれるなどありえないのに、常和の顔がずっと頭に浮かぶ。 「色ぼけ」 「ぼけてませんよ」 「あの男のことばっか考えてるなら、充分色ぼけだ」 「……」  色ぼけしているつもりはないが、たしかに常和のことばかり考えていた。なんだか彼を見捨てたような気持ちになっていて、胸がとても苦しい。 「惚れなかったら彼に会ってもいいですか?」 「それができるならな」  想像以上に冷たい声だった。 「できます。だって俺は同性を好きになったことなんてありません」 「ふうん」  そっけない返事にぐっと言葉を呑む。長登は大夢が常和に惚れると強く思っているように感じる。 「長登さんはどうして彼に惚れるなと言うんですか? 関わるのはかまわないって言ってましたよね?」  食いさがると長登は片方の眉をあげた。 「関わるのはな。大夢があいつに惚れて、プラスおまえはお人好しだ。そんなやつに俺のアシスタントが務まるわけがない。逆に妨害されそうだ」 「それは……」 「あいつといるときのおまえの顔、鏡で見せてやりたいくらい情けない顔だったよ」  嘲るような笑いが、不快より恐怖をもたらす。なぜ長登が常和といるときの大夢の顔など知っているのか。 「いつ見たんですか?」 「それに気がつかないくらい、おまえはあいつばっかり見てたんだよ」  もしかして視線を感じたときだろうか。だがあのときすぐに振り返っても誰もいなかった。  考え込んでいると長登はそんな大夢をもう一度嘲笑して家を出ていった。
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