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大粒の雨が窓ガラスを打ちつけ始めてから随分と時間が経った。この夏に訪れた台風は今回で何度目だろう。三田は喫煙所の窓から闇の中で咆哮をあげる雨粒を眺めていた。 昨日の午前中、泡沢とチッチのコンビが強盗殺人を解決した。 その頃も自分は連続絞殺魔の事件にかかり切りだった。ホシに繋がるようなものは一切見つかっておらず、目撃者もいなかった。 それは決まって今夜のような雨の夜に犯行が行われるからだった。4人の被害者からはそれぞれ防御創が見られた為、上手くすればホシの皮膚片でも爪の中に残っていないかと考えたが、甘かった。 全て豪雨で流されてしまったようだった。 おまけにガイシャは見ぐるみを剥がされ全裸にされた後で遺棄されている。悔しいがガイシャの身元を特定するだけで、時間を取られてしまっているのが現状だ。 ホシを特定するにも証拠など何もないのだから、お手上げだった。身元が割れたガイシャの順に交友関係をあたり、外堀を埋めながらホシを囲うように追い詰めて行ければと、三田は考えていた。 だが、正直、自信がなかった。この絞殺魔は狡猾で警戒心も強いと睨んでいるが、だからこそこの雨は三田の胸を掻きむしった。 5人目の被害者が今、まさに殺されそうになっていると思うと気持ちばかりが逸った。 事件を1から洗い直しても、ガイシャ同志の繋がりはなかった。ホシに狙われる、これといった共通点もない。 1人目は86歳の老人で、2人目は62歳のサラリーマン。この事件で裸の遺体のガイシャをみた木下が馬鹿な事をいい、俺達を呆れさせたが、いざアイツが亡くなってしまうと、胸の側にある何かがボックリと穿たれたような感覚を憶えた。 あんな奴でも俺達には必要な存在だという事を、改めて思い知らされた。三田は木下の為に何とかこの事件を解決に導きたかった。だが、あの後、つまり木下が殺害された数日後の大雨の朝、3人目の被害者が見つかった。 その3人目のガイシャは30歳で2度の離婚歴のあるウェディングプランナー、そして4人目のオリジン弁当の女性店長の遺体が発見されたのがつい先日の事だった。 そして今夜、再び豪雨に見舞われている。この辺りは平気だが、前回の突然の豪雨の時は河川が氾濫し、街中が水浸しになった。 都内のとある場所では水圧によって道路のマンホールが吹き飛ぶ騒ぎまで起きている。 本音を言えば今すぐ全てを放り出して1日中、パチンコでも打っていたいくらいだ。だが三田は大学時代にキッパリとパチンコを辞めてから、17年間1度もやっていない。興味が薄れた訳ではなく、パチンコ屋に入れなくなったのだ。 理由は当時、暮らしていたアパートの近くにあったパチンコ屋で知り合った常連客のおじさんが目の前で滅多刺しにされ殺されたのが原因だった。 おじさんは当時貧乏な大学生だった自分に対し、出玉を分けてくれたり、本当は負けている筈なのに、トントンだよと笑い自分に夕飯をご馳走様してくれたりした。 「何事もほどほどが1番だよ」 おじさんの口癖だった。そういう癖にいつも開店と同時に所定の席に座り、夕方の18時まで打ち続ける。例え負けが込んでいようが絶対にその席を離れる事はなく、別の台へ移動するような事はまずなかった。 その理由を尋ねると、おじさんは 「人生と同じでパチンコにも浮き沈みがある。浮いてる時は、人生もそうだが、世界で1番ハッピーな気持ちになるもんだ。だが沈むとどうだ?昨日はあんなにハッピーだったのに?と考え、気が滅入ってしまう。 そして何故かわからないが、やたらと、その原因を探そうとする。台が悪い?相手は機械だからそれは当然あるだろう。でも、どうしてかそれ以上の原因まで付けたそうとする。朝、靴を左足から履いたからだとか、普段会わないのに、何故か今日は、あいつとすれ違ったとか。人ってのは沈んでいる時ばかり、色々とこじつけたがるもんだ。だが、それをやると、より悪い方悪い方へと向かってしまうものなんだ。台にあたり、店員にあたり、他人にあたる。行き場のない負の感情がいつしか八つ当たりに変わってしまうんだな。そうなると浮上なんて出来やしない。そういう時は、日を改めたって上手くいかない事の方が殆どだ。だが不思議なもので人によってはそれはたったの一日で終わるかも知れない。10年かかる人もいるかも知れない。そんな状況に陥いると人は決まって気が多くなる。あーでもない、こーでもない。2度とパチンコはやらないと言い出してみては、翌日には打ったりする。そういう時の人は地に足がついてないのと同じだ。当人の芯の部分が根本から揺らいでいるんだ。 だから調子が悪いと思ったら深い水の底に自分はいると考えるのさ。水の底から水面を見上げるんだ。そうすると抱えている問題の解決に至るまでの期間が、つまり水面までの距離が見えてくるものさ。ただ水面だけをジッと見つめて少しずつ浮上していけばいい。人によっては水面までが果てしなく遠く思える人もいるだろう。けど、物事の解決ってのは一長一短で出来るもんでもない。その人のペースを守る事が重要なんだ。他の人間が素早く浮上して行こうが関係ない。人は人だ。 人間生きていれば全てが上手くいかない時なんて沢山あるもんだ。だからこそジッと動かず浮上するタイミングを待てばいい。簡単な事さ」 街の寂れた中華屋でビールを呑みながらおじさんはそう語った。当時はよくわからないなと思ったものだが、それは今も変わらなかった。 浮上する。水面上には顔のない絞殺魔の姿がある。そして自分が見上げている水面には今も窓の外で振り続けている豪雨のような大きな雨粒が降り注いでいる。全く持って何も見えなかった。 水面下も雨粒のせいで大きく揺らぎ波打っている。 おじさんは自身の水面上にあの犯人の顔を見ていたのだろうか。いきなり現れたその男は刺身包丁でおじさんを背後から刺した。隣の台で打っていた自分は突然の事に驚き何が起きたのか理解出来なかった。その間も犯人はおじさんを刺し続けた。しばらくして客の1人が悲鳴をあげた。 三田は血を流し項垂れているおじさんに向かって大丈夫ですか?と素っ頓狂な声をかけた。 おじさんが椅子からずり落ち床に倒れても犯人の男は刺す事を止めなかった。 血溜まりが三田の靴を汚すと同時に自分の台に大当たりが来た。その大当たりが来るまで三田は数万円も突っ込んでいた。貧乏学生にとってのその数万円の損失は死活問題だった。 学費に手を出していたからだ。だが、おじさんが必ず大当たりが来るからと出玉を分けてくれた。そしてその通りになった。三田はお礼を言いたくて再びおじさんの方へ振り向いた。 おじさんは目を見開き血溜まりの中で動かなくなっていた。おじさんの腹の上に馬乗りになった犯人は、息切れ切れに返り血を浴びた顔を包丁を握った手で拭き取っていた。 「お前、おじさんに何してんだよ!」 三田は椅子から立ち上がり、犯人の首目掛け、爪先で蹴り上げた。犯人が前のめりに倒れた。 手から刺身包丁が離れおじさんの脇の間にずり落ちて行った。三田は警察官が駆けつけるまで犯人を殴り続けた。 殴られ過ぎて意識を失った犯人がおじさんの身体の上へ重なるように仰向けで倒れた。 三田は犯人の身体に馬乗りになり、気が狂ったように殴り続けた。 気がつくと三田は警察署に連行されていた。事情聴取をされたが、何を話したか覚えていなかった。おじさんが殺された理由は、犯人の男とその妻を別れさせる為に妻を匿い、代理人として男に離婚を迫ったせいだった。 犯人は他人の家庭の事にとやかく口出ししてくるおじさんが許せなかったようだ。その怒りが積もっての犯行だった。三田は厳重注意で済んだ。 当時の刑事課の人がそのように計らってくれたのだ。 「なんならこいつな為に弁護士先生を呼ぶか?俺達にとっては面倒な事になるぞ?こいつが殴り倒したのは人殺しだからな。余裕で正当防衛になるんじゃねーか?なのに長々と拘束してわざわざ犯人を訴えるってなったら、余計な仕事が増えるだけだ。それなら、こいつは自分がやり過ぎた事は反省してんだからよ。それでいいじゃねぇか」 そのような事を他の刑事に話し、三田は犯罪者スレスレの立場からギリギリな所で自由の身になれた。 その時、三田を擁護してくれた刑事の言葉が将来の三田の進路を決めた。 「お前みたいな奴は刑事に向いているんだよ。いや刑事にしかなれねぇ。今、大学生か?ならちゃんと卒業して警察官になれ。刑事なるには時間がかかるかも知れねーが、お前ならやれるさ」 自分のどういう所が刑事に向いているのか、三田にはわからなかった。それは今もってわからない事だ。 だがあの時の刑事の言った事は間違いではなかったようだ。現に自分はこうして刑事になったのだから。 だが、ただ一つ間違えていた事がある。それは三田がやり過ぎた事について反省しているという部分だった。言われて気づいたが警察署内から送り出される中、三田は全くそんな気持ちはないと思った。冷静さを取り戻した今もすぐにでも殴り倒してやりたいと思った。 そんな三田の気持ちを知ってか知らずかその刑事は 三田の背中を叩き、 「だからお前は刑事が合ってんだよ」 といい、見返す三田に微笑みかけ再び警察署の中へと戻って行ったのだった。 おじさんを殺害した犯人は三田に殴られた影響で脳に障害を追った。怪我が完治し、裁判が行われるまでの間、三田は毎日、ある事だけを伝える為に犯人へ面会しに行った。 「病院にいるからって自分は無事だと思うなよ。 俺はお前が苦しみもがき死んで行く姿が見たいんだよ。刑務所に入っても面会しに行くからな。ま、出来ればその前に死んでくれた方がこっちとしては楽なんだけどな」 嫌な事を思い出した、と三田は思った。結局、あの犯人は無事退院したが、裁判が始まる前に首を吊って自殺した。その様子を見れなかったのは、唯一三田の、心残りだった。残念で仕方なかった。 三田は窓ガラスの鍵を下げ少し開けてみた。強風に混ざり雨粒が三田の半身を濡らした。 すぐに閉め、再び水面を見上げた。豪雨は止んだらしく水面は穏やかだった。あとは自分が浮上するだけだ。 そのキッカケを作ってくれそうな泡沢とチッチが明日からこちらに合流する。夜の捜査会議でそう決定された。人手が足りない中での2人の参加は三田にとってはありがたい事だった。 絞殺魔よ。もう少しだけ自由を、くれてやる。だが、そこまでだ。これ以上は俺が許さない。 三田は再びタバコに火をつけ、深く吸い込んだ。
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