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   ジュリエットは、悩ましげな表情で廊下を歩いていた。  艶のある桃色の髪に、長いまつ毛が囲う瞳。その歩き姿は、誰もが息を飲むほど美しい。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は――燃えるような赤い薔薇に喩えられた。  そんな彼女が物憂げに歩く様子に視線が集まる。特に、男子生徒は惚けた顔を浮かべて、彼女に羨望を向けた。  始祖五家のひとつ、エドヴァール公爵家の令嬢という文句のつけようのない地位。  火魔法を操るずば抜けた才能。  圧倒的な怜悧な美貌。  ジュリエット・エドヴァールは、男女共に憧憬を集める、格式高く麗しい令嬢だ。  しかし。彼女の内心は荒れていた。 (どうしましょうどうしましょうどうしましょうどうしましょう〜〜〜〜! 麗しのオリアーナ様のお顔に……美しい瞳の下に――)  ジュリエットは立ち止まり、両手で顔を覆いながらすすり泣いた。 「クマが……っ」  そう。今朝オリアーナを見たとき、いつもは健康的な顔色がすこぶる悪く、滑らかな肌は荒れ、目の下にはくっきりとしたクマをこしらえていた。――完全に寝不足だ。  オリアーナを見た瞬間、ジュリエットは思わず教室を飛び出していた。――蒸したタオルを用意するために。  一刻も早く、彼女の目元を温め、血行の改善を計らなければ。医務室で仮眠を取るように懇願したが、オリアーナには拒まれてしまった。  ジュリエットの切なげな様子に、男子生徒たちがざわめく。 「熊だと!?」 「ジュリエット嬢を泣かせるとは許せん! どこだ! 成敗してやる!」 「俺たちがジュリエット様をお守りします!」  しかし、男たちの戦意は一瞬にして喪失することに。 (オリアーナ様は何かお悩みの様子……。あのお方の睡眠を妨げるとは……不倶戴天の敵! 生きた者が原因ならば、このわたくしが生かしてはおきませんわ!)  オリアーナを悩ませるような悪党は、決して容赦はしない。  ジュリエットは煮えたぎるような憎悪を抱き、手のひらの上に炎を作り出した。ばちばちと音を立てて燃えたぎる様に、男子生徒たちは怯んだ。 「消し炭に変えてやる…………」  地を這うような声で呟き、拳をぎゅっと握る。男子生徒たちは、ひっと悲鳴を上げて、数歩後ずさった。  ジュリエットは強い。――この場にいる誰よりも。それに彼女は守られれるより守りたいタチなのだ。  周りの生徒たちが魔法の炎に怯えていることに気づき、ジュリエットははっと我に返る。炎を消失させて、何事もなかったように優美に微笑む。 「ふふ、申し訳ありません。驚かせてしまいましたわね」  淑やかに歩みを再開するジュリエット。しかしその足取りはいつもより早い。なぜなら、一刻も早く想い人のためにタオルを調達しなければならないから。  医務室でタオルを借り、教室へ戻る途中。一人の女子生徒に声をかけられた。 「あの……っ。ジュリエット様……!」 「あらあら可愛い小鳥さん。わたくしに何かご用?」 「は、はい。えっと……」  その少女は、一通の手紙をこちらに差し出し、控えめに言った。 「あ、あの……こちらをレイモンド様に、お渡ししてほしくて……」  彼女の頬が赤く染る。この手紙は、ラブレターのようだ。ジュリエットは、顔には出さないが内心で感激していた。 (まぁまぁまぁ……! オリアーナ様をお好きになるなんて、見る目のあるお嬢さんだこと。ええ、素敵でしょう。オリアーナ様は世界一素敵なお方なのです。分かりますわ……!)  ジュリエットは手紙を受け取ることを拒んだ。興奮しているのを隠してあくまで平静を装い、優しく目を細める。 「いいえ。それはあなたが直接お渡しなさい。伝えたい思いは、誰かに頼むのではなく、自分で届けるものですわ」 「で、でも……。レイモンド様は、みんなに慕われていらっしゃるし……。私みたいなフツーの人が好きだと言っても、迷惑なんじゃ……」  彼女の言葉に首を横に振る。 「レイモンド様は、そういうお方ではありませんわ。あなただってそれを分かっているから彼を好きになったのでしょう? あなたが好きになった人を信じなさい」 「……!」  彼女は瞠目し、そのあとで力強く頷いた。一生懸命考えてきたであろう手紙を胸に当てて、「はい」と笑った。女子生徒はおもむろに、ジュリエットに尋ねた。 「ジュリエット様は、いつもレイモンド様といらっしゃいますが、あのお方と……付き合っているんですか?」 「いいえ。彼とは友人ですわ」 「そう……ですか。でも、ジュリエット様も彼のことが、お好き……ですか?」 「…………」  ジュリエットはただ穏やかに笑みを湛え、頷き返した。 「ええ。――大好きですわ」  ◇◇◇  性別は関係なく、オリアーナという人間が大好きだ。いつでも気高く凛としていて、誰よりもかっこいい彼女が。  ジュリエットは、出会ったその日に彼女に心を奪われた。それは衝撃的な出会いだった。  12歳のとき。街にメイドを連れて買い物に出かけた日、ひったくりに遭った。ハンドバッグを奪われ、すぐに犯人を火で燃やしてやりたい衝動に駆られたが、ぐっと堪える。魔法士は資格なしで一般人に対し力を行使してはならない決まりだからだ。魔法士の資格は、学校に入学してから取ることができる。 「ひったくりー! 誰かー!」  傍らでメイドが声を上げる。あのバッグには大したものが入っていないので、もういいと彼女に言おうとしたときだった。 「お嬢さん。ひったくり犯って、どいつ?」 「え……あの、緑の帽子に色眼鏡の……」 「分かった。ちょっと待ってて」  中性的ですらりとした体躯の青年が、ジュリエットに玲瓏と言い、走り始めた。その後ろ姿を見て、直感する。 (あの方、男性ではなく……女性、ですわ)  犯人とはかなり距離があるのに、ぐんぐん距離を縮めていき、一回り以上大きな男を投げ倒す。片手で男の腕を拘束し、膝で男の背を地面に押さえつけた。  あまりに迅速な動きだった。周りの人々も彼女の勇姿に感激し、拍手を送る。  ジュリエットとメイドはすぐに、彼女の元に駆け付けた。盗られたバッグを返却される。 「ありがとう……ございます」 「無事に君の手に戻ってよかったよ。中身を一応確認してくれるかな? あ、この男は私が責任をもって自警団に引き渡すから」 「まだ他に……盗まれたものがございますわ」 「本当に?」  彼女は地に伏した男を睨み付けた。 「おい君。彼女はこう言っているよ。まだなにか持っているなら返すんだ」 「ひっ、もう何も盗ってないです……! 勘弁してください……っ」  ジュリエットはうっとりした顔で、両手を祈るように握った。 「盗まれたのは、わたくしの――心ですわっ!」 「は?」  彼女は虚を衝かれたような顔を浮かべた。一方、ジュリエットは蕩けそうな声で続けた。 「わたくしの心はもう完全にあなたのものです。わたくしはジュリエット・エドヴァール。麗しのレディー。あなたのお名前を教えてくださいまし」  スカートを摘んで片足を引き、淑女の礼を執る。すると彼女は驚いたように目を見開いた。 「……私のこと、男だと思ったんじゃないの?」 「え……男性でしたの?」 「いや、女で合ってるよ。この見た目だからよく、男と見違えられるんだ。女と分かった上で告白されたのは初めてだよ。ありがとう。すごく嬉しい」  彼女はくすりと微笑んだ。 「私は――オリアーナ・アーネル。こんな形で出会うなんて、ある意味運命かもね。始祖五家の可憐なお嬢さん」 「…………!」 (この方が、光の始祖五家、アーネル公爵家のご令嬢……)  オリアーナの名前は聞いたことがあった。アーネル公爵家の双子の姉の方で、非魔力者。天才といわれる魔法士が片割れで、何かと比べられて気の毒に思っていた。  しかしオリアーナは、そういう境遇でも全く卑屈さを感じさせず、快活で前向きな雰囲気だった。  これが、ジュリエットとオリアーナの出会いだった。親しくなるに連れて、彼女のことがもっともっと好きになっていった。  ◇◇◇  医務室で借りてきたタオルの山を抱え、ついでにオリアーナに好意を寄せる令嬢も連れて、教室に戻る。オリアーナは机に頬杖を突き、物憂げな表情で窓の外を眺めていた。彼女の切なげな表情に、ぎゅうと胸が締め付けられる。彼女の憂いを晴らしてあげられたらいいのに。 (オリアーナ様には、いつも笑っていてほしいですわ)  オリアーナは、教室に戻ったジュリエットに気づき、愛想よく微笑んだ。 「お帰りジュリエット……って、その山のようなタオルは何?」 「レイモンド様の瞼を温めるためのものですわ」  ジュリエットがタオルに魔法をかけると、あっという間にホットタオルになる。ほのかに湯気が立つ適温にしてある。オリアーナは、「僕の目は二つしかないはずなんだけどな」と苦笑しながら、タオルを受け取った。 「それで、その女の子は?」  オリアーナは手紙を持った女子生徒に視線を向けた。ジュリエットは、彼女の背をそっと叩いた。 「わ、私は……キャロル・ララセルといいます……あの、私、私……っ」  キャロルは、オリアーナを前にして動揺してしまい、泣いてしまった。オリアーナは立ち上がり、キャロルに視線を合わせて屈みながら微笑みかけた。 「――大丈夫。ちゃんと聞くから、ゆっくり」  宥められて、こくこくと頷くキャロル。  ああ、やっぱりこの人は素敵だ。優しくて、気高くて、凛としていて。どんな物語の王子様にだって負けない。 「少し前に……落し物を一緒に探していただいて……」 「ああ、思い出した。生徒手帳の」 「そうです……! その節は、本当にお世話になりました……。それで、この手紙、受け取ってください……!」  オリアーナは、封蝋に赤いハートが刻まれているのを見て、おおよその内容を察した。 「ありがとう。大切に読ませていただくよ」 「はい……!」 「手が震えている。すごく勇気を出してくれたのかな?」 「はい……っ。そうです……っ」 「ああもう、泣かないで。嬉しいよ。頑張ってくれてありがとう」  キャロルは目を潤ませながらこちらを見た。ジュリエットも、「よかったですわね」と微笑みかけた。どこか軽い足取りで去っていくキャロルを尻目に、オリアーナが申し訳なさそうに眉尻を下げた。 「きっとあの子も、私を男だと思って好きになってくれたんだよね。騙してるみたいで……いたたまれないな」 「違いますわ」  一も二もなくきっぱり言う。 「好きになる気持ちに、性別も年齢も、身分だって関係ありません。あなただから、みんな好きになるのです」 「…………!」  オリアーナは美しい金の瞳を見開いた。それから、ふっと目を細める。 「そうだね。私もジュリエットのことが大好きだよ」 「…………」 「ジュリエット?」 「もう一度、おっしゃっていただけますか」 「うん? ……大好きだよ」  ぶるぶると身体を震わせた。次の瞬間、床に崩れ落ちて頭を抱える。 「ふぅぅっ。レイモンド様が尊すぎてわたくし、身が持ちませんわ。ああ……これがわたくしの人生のゴールデンタイム……。はぁ、はぁ、耳が幸せ……。耳が妊娠しそうです……」 「ちょ、ばか。声が大きいってば」  困ったように笑う彼女を見ながら、ジュリエットは思った。 (レイモンド様のことや聖女のお力の覚醒のこと、わたくしの想像を絶する重いものをお抱えになっている心中はお察しします。でも、わたくしは、いつでもオリアーナ様の味方ですからね。いつもあなたのことを、心にかけておりますから)
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