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16
これは、レイモンドがまだ9歳だったころのこと。
レイモンド・アーネルは、いわゆる『天才』と呼ばれる存在だった。この国を建国した始祖五家のひとつで、光魔法を得意とするアーネル公爵家の子息であり、それにふさわしい才能に恵まれた。
「僕が……前線に?」
「ああ、そうだ。ここで功績を立てれば、我が家の株が上がる。頼んだぞ」
「……分かりました。すぐに参ります。父さん」
アーネル公爵家が治める公国であるとき、魔物が出没した。魔物の出没は珍しいことではなく、各地の魔法士団がその都度対応するのだが、今回の敵は厄介で苦戦しているという。魔物は下級・中級・上級・超上級の四段階にランク分けされており、今回は上級が数体、街の近くで暴れていた。
戦闘用に身支度を整え、長い髪を邪魔にならないように頭の高いところで束ねる。
「討伐に参加するの? レイモンド」
「――姉さん」
支度を終え、屋敷のエントランスに出ると、オリアーナが追いかけて来た。
「はい。領民を守ることが僕の務めですから」
「……そう」
十歳にも満たない子どもが討伐に参加するなど、普通であれば前代未聞だ。だからこそ両親は、その前例を息子に作らせたいのだろう。オリアーナは心配そうに眉をひそめて、レイモンドの両手を握った。
「無事に帰って来てね。……怪我だけはしないように」
彼女の手は温かくて力強い。心配してくれるのは、いつだってオリアーナだけだ。レイモンドには、彼女しかいない。
「はい。頑張ってきます」
「行ってらっしゃい」
オリアーナは、レイモンドの憧れの存在だった。勉強も運動も、何をやらせても彼女が上。魔力の素質がないこと以外、レイモンドは彼女に勝ったことはない。レイモンドは、姉に追いつきたくて一心に励んできた。まっすぐで崇高な心を持つオリアーナが誇りだった。
(どうして神は、僕にだけ力をお与えになったのでしょう。僕よりも姉さんの方が、力を持つにふさわしいのに)
たとえ始祖五家の血筋であっても、魔法士以外は平凡な人生を歩む。オリアーナも将来は貴族の家の子息と結婚して、表舞台には出ずに生きていくのだろう。なかなか婚約相手は見つかっていないのだが。
一方で自分は、魔法士として活躍する未来が保証されている。
オリアーナは表には出さずとも、自分に魔力がないことを負い目に感じている。たまに、魔法を使うレイモンドを羨ましそうに見てくるのだ。
レイモンドは、大好きな姉の背を追い続けていたかった。そして願わくば、自分の背中を彼女に預けて闘ってみたかった。その近くには、セナもいて……。そんな叶わない未来を夢に見ていた。
「おい見たか……? アーネル家の子息が魔物をたった一人で倒しちまったぞ……」
「まだたったの九つだそうだ。なんという逸材。これでアーネル公国の未来は安泰だな」
戦場に着いたあと。それまで魔法士たちが悪戦苦闘していた魔物を一瞬で殲滅したレイモンド。それを目の当たりにした者たちは、皆感嘆した。
(姉さんが今ごろ心配しているはず。早く無事を伝えなくては)
レイモンドは打ち上げには参加せず、姉のいる家に直帰した。まっすぐ家に帰る習慣はそのあともずっと続く。
レイモンドはどんな賞賛を受けても、一切慢心せずに努力し続けた。姉の分まで頑張りたかったのだ。
◇◇◇
――数年後。
「おい! レイモンド! お前また上級魔物を一人で倒したらしいな。すげーなぁかっけぇなぁ!」
「近すぎます離れていただけますか? リヒャルド王子」
「そう釣れないこと言うなよ。俺とお前の仲だろ?」
「別に僕はあなたと親しくなった覚えはありませんが」
レイモンドは異常にリヒャルドに懐かれている。リヒャルドだけではない。天才と言われる小公爵に憧憬を抱く者は沢山いた。若くして活躍を認められ、すでにいくつもの勲章を与えられ、伯爵位を下賜されている。
(僕のことなんて見てくれなくたっていいんです。それより、姉さんのことを見てほしい。姉さんこそ、世に出るべき人だ)
最近のオリアーナはというと、ようやくできた婚約者レックスに浮気されまくっている。あれは無礼でろくでもない男だ。オリアーナが男らしいせいで女として見られない、と社交界で言いふらしている。始祖五家の『出来損ない』の上に、可愛げがない無価値な女――だと。
すぐにでも消し炭にしてやりたいところだが、オリアーナが我慢しているから口を出さないようにしている。
(セナが知ったら、許さないでしょうね)
レイモンドはオリアーナの気持ちを汲んで我慢しているが、セナは違うだろう。彼はオリアーナと両親の間の確執を知らないから。
セナはオリアーナを想っているが、タイミングが合わずにオリアーナと婚約を結ぶことができなかった。そのせいでオリアーナはろくでなし男と婚約を結ぶ羽目になった。
「なーなー、どうしたらお前みたいに強くなれる?」
「……」
「おい。黙ってねーで教えてくれよ!」
「……」
姉のことを考えていたら、リヒャルドに体を揺すられた。たまたま王宮で遭遇したのが運の尽きだった。あしらってもしつこくまとわりついてくる彼にレイモンドは観念することに。
「しつこい人ですね、あなたも。分かりましたよ。少しなら付き合って差し上げます」
「本当か!?」
「昼までですよ。午後は姉さんと剣の稽古があるので」
「姉? ああ、あの『出来損ない』の」
「出来損ない?」
「あっ、いや……すまない」
レイモンドは『出来損ない』の言葉に反応し、眉をひそめた。
「……よく噂を聞くよ。お前と双子なのに、魔法が使えなくて、可愛げがないって」
それを弟に言うのは配慮に欠けていると思う。本人はあまり悪気がないようだが。
「姉さんは出来損ないなんかじゃありません。剣の腕なら、僕よりずっと上です」
「は、お前より!?」
「それに……姉さんは可愛らしいですよ。世界で一番ね」
「世界で一番」
彼女は男のような服装を好んでいる。スカートや可愛らしい宝飾品を身につけるのは、気恥しいそうだ。けれど、オリアーナが女らしい服装をしたときは、どんな美女と噂される人たちにだって負けない。
本人は自分の魅力に気づいてはいないが、オリアーナは可愛い。
それからレイモンドは、リヒャルドと魔法を使った一対一の試合をした。結果は秒殺。リヒャルドは為す術なく地に伏していた。しかし彼に悔しさのようなものは一切なく、むしろ嬉しそうな様子。
「ふおおおおおお!」
(ふお……?)
感激に打ち震えながら、きらきらと瞳を輝かせて飛びついてくるリヒャルド。レイモンドにやられてボロボロになった彼の体を受け止める。
「お前、超つえーな! すげー!」
「わ、分かりましたから少し落ち着いてください。近いです」
負けておいて喜ぶなんて、おかしな人だ。でも不思議と嫌いではない。ざっくばらんで純粋。思惑が交錯する上流階級の中では、こういう素直さを持つ者は少ないので、物珍しさがある。
(やれやれ……厄介な人に懐かれてしまいましたね)
二人は修練場の片隅にあるベンチに座って取るに足らない話をした。
「それで姉さんは――」
「――と言えば昔、姉さんが―」
しかし、レイモンドが口にするのはオリアーナのことばかり。
「お前……実はすげーシスコンなんだな。さっきから俺、お前の姉さんのプレゼンしかされてないんだけど……」
「姉さんの魅力は語り尽くせるものではありません」
「ほらシスコン」
「姉さんはすごい人なんです。勉強も、運動も武術も、何をとっても僕より優秀で、誰にでも分け隔てなく優しい。人格も素晴らしいんです。……本当は、僕ではなく姉さんこそ魔力を持つにふさわしかったでしょう」
レイモンドは、魔法学院という名門学校に首席で合格した。しかし、魔力のないオリアーナには受験する資格さえなかった。彼女だって本当はもっと学びたいことがあっただろう。
彼女が非魔力者なのを負い目に感じているように、レイモンドは姉を差し置いて自分だけが魔法の力に恵まれていることを申し訳なく思っていた。
「それは違うだろ。お前の力は……お前にふさわしいから与えられたんだ」
「なぜそのように言い切れるのですか」
「俺には――精霊が見えるからって言ったら……信じるか?」
リヒャルドは真剣な表情でそう言った。
「精霊は目に見えないだけで、あらゆるものに宿ってる。花に草木、馬や虫なんかにも。人もそうだ。特に霊格が高い人間を精霊たちは好む。お前の周りには精霊がよく集まってる」
レイモンドには霊感の類いは一切ない。精霊に好かれていると言われても、ちっとも実感が湧かない。
「俺が今まで出会った中で、お前は二番目に精霊の加護を受けてる」
「一番目……というのは」
「現聖女だ。お前の魔力はどこか聖女の神聖さに似ている。レイモンドが偉大な力を持つ器に選ばれている証だ。だから自分を卑下すんな」
「……そう、ですね」
このときはなんとなく聞いていた話だったが、この『聖女の神聖さに似た魔力』とは、オリアーナが持つべきものだったと後に分かる。
レイモンドはそっと、胸の辺りに手を当てた。
「最近、自分でも感じるんです。自分のものではない強く神聖な魔力が……内側で膨らんでいくような感覚を」
「……魔力の異常増幅ってやつか?」
「はい。発作のような感じで、一度症状が出ると動けなくなるほどで」
「それ、結構やばいんじゃないか?」
――魔力の増幅は、著しい速さで進んでいき、レイモンドの肉体が抱えていられる許容量を超え、床に伏すように。
そのうちに、オリアーナに次期聖女の資質が目覚めた。レイモンドの身に起きていた現象の理由はそこで分かった。
母胎の中で、オリアーナの魔力核とレイモンドの魔力核が結合し、レイモンドの体内で形成されたのだ――と。自分は大好きな姉が本来持つはずだった能力を全て奪ってしまったのだと……。
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