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 入学式当日。オリアーナは真新しい制服に身を包んで学校へ向かった。すると、街道のど真ん中で、突然目の前に女の子が近づいて来た。 「……好きです! 一目惚れしました……! 私と付き合ってください!」  少しだけ目を瞬かせたあと、申し訳なさそうに眉をひそめるオリアーナ。 「まずはありがとう。とても嬉しいよ。けどごめん。君の気持ちには応えられない」 「そう……ですか」 (ちなみに私……女なんだよね……)  ……とは、口が裂けても言えない。なぜなら自分は今、男のフリをしなければならないから。恐らくオリアーナのことを男だと勘違いして告白をした少女は、しゅんと肩を落とした。  オリアーナは――レイモンドとして笑顔を向ける。 「僕はレイモンド・アーネル。君は?」 「わ、私は……リシェールです」 「清廉な名だ。君にとてもよく似合う。恋人にはなれないけど、友だちとして仲良くしてくれるかな?」 「はい……! ぜひ……!」  オリアーナが優美に微笑むと、リシェールは瞳にハートを浮かべながら頷いた。 「それじゃ、またね。リシェール」 「はいっ、レイモンド様っ!」  爽やかに手を振って踵を返す。リシェールは頬を朱に染め、とろんとした表情でその後ろ姿を見送った。  石畳の広い街道は、沢山の店が軒を連ねており、大勢の人々がひっきりなしに往来している。女も男も、通りを颯爽と歩く魔法学院の制服を着たオリアーナに目を奪われた。  オリアーナは、自身が注目されていることなどつゆ知らず、物憂げにため息を吐く。  一方で、絶世の美男子は零れる息さえも美しいと、それを眺める者たちは感嘆した。 (参ったな……。これで今日は四度目だ。入学式、間に合うかな?)  しなやかな指を折り数えたのは――今日告白された回数。ちょっと家を出たらすぐこうなってしまうので、おちおち通学もできない。一度目は花屋の店員。二度目はパン屋の夫人、三度目は大きな荷物を抱え腰の曲がった老婆だった。そして、四度目はすれ違っただけのあの少女だった。 (こんな調子で、レイモンドが復学できるまで、目立たず平凡にやり過ごせるかな)  しかし、『目立たず平凡』はオリアーナが最も苦手とすることだ。オリアーナはこれまでも無自覚に人を魅了し、注目を浴びてきたのだから。  そして。入学したあと、彼女には平凡とはいいがたい学院生活が待っていた。  ◇◇◇ 「本日は私たち新入生のために、この様な素晴らしい式典を開催してくださり、ありがとうございます。私たちはこの学院の格式と伝統を守り――」  オリアーナは、新入生代表として壇上で挨拶を行った。この学院では毎年、入学試験で最も優秀な成績を修めた学生が、代表の言葉を行うのが習わしだ。レイモンドは首席入学者だった。 「ねえあの人、凄い格好よくない?」 「あのレベルのイケメンは初めて見たかも。彼女いるのかな」 「馬鹿ね、知らないの? あの方は始祖五家アーネル公爵家のご子息レイモンド様よ。一般人はとても相手にされないわ」 「ああ、公爵家始まって以来の逸材と言われてる有名人だよね」  壇上で毅然と言葉を紡ぐオリアーナに、生徒たちは見蕩れた。男も女も、先生もうっとりしている。オリアーナは緊張知らずの豪胆な性格で、こういった役もそつなくこなす。その場馴れした態度に、誰も『出来損ない』の姉の方だとは思いもしない。 「――我々一同は、文武両道の校風の元、真摯に日々の授業に励み、実りのある学院生活にすることを誓います。――新入生代表、レイモンド・アーネル」  オリアーナは優雅に一礼し、舞台から降りようとした。  しかし、そのとき――。壇上に控えていた女教員がよろめき、床に倒れ込んだ。反射的に彼女の元に駆け寄り、半身をそっと抱き起こす。 「大丈夫ですか?」 「ごめんなさい。貧血で……」  彼女は青白い顔で、申し訳なさそうにそう答えた。同性として、女性の身体に起こる不調はよく理解しているつもりなので、そっと「医務室までお連れいたします」と囁き、彼女を横抱きにして立ち上がった。 「僕の首にお手を」 「こ、こうかしら……?」 「はい。少し辛抱してください」 「悪いわねぇ」  教員はすっかり女の顔で、頬を赤らめながらオリアーナの首に腕を回した。  ざわり。  まるで劇の一場面かのような、紳士的な振る舞いをする美男子の姿に、入学式典の会場はざわめいた。  軽々と中肉の女を抱え、颯爽と立ち去っていくオリアーナに、ほとんど全ての女子生徒が心を奪われた。  学院の生徒たちの心を、一瞬にしてかっさらった魅惑の貴公子レイモンド・アーネル。この一件は後に、『魔法学院のプリンス誕生秘話』として後世に語られることになる。  ◇◇◇  他方。倒れた教員をお姫様抱っこして会場を沸かせた当人、オリアーナは己の行動が騒ぎになっていることなどつゆも知らない。女教員を医務室まで送り届けたあと、校舎内のだだっ広い廊下を歩いていた。  養護教諭に状況を説明していたため、入学式典はもう終わったころだろう。式典会場ではなく教室へ直接向かっていると、途中で男子生徒が壁にもたれながら腕を組んでいた。オリアーナを待っていたらしく、こちらの姿に気づくと、声をかけてきた。 「お前さ、なんでここにいんの?」  黒髪に深い海の底を思わせる藍色の瞳。そして、何を考えているか分からない無機質な表情……。彼は幼馴染のセナ・ティレスタムだ。ティレスタム公爵家も始祖五家のひとつ。彼は、五つの魔法属性で最も危険とされる闇魔法の使い手だ。 「なんでって……ここに入学したからでしょ?」  すると、彼はオリアーナを壁際に追いやって片手を壁に付いた。いわゆる壁ドンというやつだ。 「違う。お前、レイモンドじゃなくて――リアの方だろ」 「……!」  やばい。さっそく見破られてしまった。レイモンドとは顔がそっくりなので、大抵の人は分からないはずなのだが、よく見知った幼馴染に入れ替わりは通用しないようだ。 「何言ってるんだ。僕はレイモンドだよ」  しかし、オリアーナはちょっとやそっとじゃ動じない。にこりと爽やかに微笑んで答える。すると、彼はオリアーナの顔を覗き込み、片手を頬に添えて、唇の下を親指の腹で撫でた。 「な……にを――」  突然肌に触れられ、目を見開く。さすがのオリアーナも、これには少し狼狽えてしまった。対してセナは、相変わらずの無表情で言った。 「――ほくろ」 「は?」 「唇の下にほくろがあるのはリアの方だ。それに、レイモンドとは話し方も所作も何もかも違う」  オリアーナはセナを押し離して、唇の下を手でごしごし擦った。 「これは汚れがついただけだから。……口調と所作はその――あれだよ。イメチェン的な」 「そんなに擦ってもほくろは取れないと思うけど」  苦しすぎる言い訳を口にすると、セナはため息をついた。そして、人差し指でオリアーナの額をこつんと弾いた。 「痛っ」 「馬鹿だよな。俺がお前たち双子と何年一緒にいたと思ってんの? 今更見間違える訳ないから。上手く擬態してるつもりかもしれないけど、見る人が見たら分かると思うよ」 「…………やっぱり?」 「うん」  観念して彼の指摘を認め、肩を竦めた。  替え玉入学がバレたら、退学どころかアーネル公爵家の名誉も大きく傷つくことになるだろう。そしたら両親にどれだけ責められるか分からない。  しかし、身代わりを見破られてしまったからには諦めるしかないと思い、潔くここまでの事情を話した。 「お前、また両親の言いなりになってんのか」 「…………」  そういう生き方しか、オリアーナは知らないのだ。痛いところを突かれて俯く。 「ひどい仕打ちを受けても家を出ないのは、レイモンドが心配だから?」 「……どうだろうね」  もちろんレイモンドの存在は大きい。けれど、オリアーナには、どこに逃げたらいいのかも分からないのだ。でも、はぐらかしたところでセナには何もかもお見通しな気がした。 「俺を頼れよ。リア」 「え……」 「嫌なことは嫌だって言え。困ったときは、俺を逃げ場にすればいい。何があっても俺はリアの味方だから」  俺はリアの味方だから。その言葉で心がふっと軽くなった気がした。彼はオリアーナの頭をわしゃわしゃと搔き撫でる。彼に撫でられるのは、すごく心地がいい。 「……ありがとう、セナ」  でもきっと、替え玉なんて間違ったことをしてはいけないと咎められるだろう。そう思って覚悟していたが、返ってきた言葉は予想と違った。 「とりあえず、目つぶって」 「目……?」 「いいから早くしろ」  突然そんなことを言われて不審に思うが、大人しく従って瞼を閉じる。すると、閉じた瞼の向こうで、低く透き通るような声が呟く。  《――認識(パーセプション)操作(・コントロール)》  詠唱と共に、ほのかな熱が身体を包み込む。まもなく、セナに許可されて瞼を持ち上げたが、自分に変化が起きた実感はない。彼に、何をしたのかと尋ねた。 「リアの姿を見た人間が、一切の疑いの余地なくレイモンドと認識するように魔法をかけた」 「それ禁忌魔法じゃ……」  人の精神を操作する魔法は、倫理的な問題で禁忌とされている。そして、人の精神に干渉する魔法は、闇魔法を操るティレスタム公爵家の専売特許だ。  セナは口元に人差し指を立てて「これで共犯だな」と口角を上げた。あろうことかこの人は、オリアーナを咎めるどころか、不正の片棒を担ぐつもりのようだ。 「ほら、教室行くよ。――レイモンド」  オリアーナは頷き、セナの背中を追いかけた。
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