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   魔法学院に入学してから数週間が経過した。マチルダの指示で、自分の魔力を糧として杖を出すことを禁じられ、学院の備品の杖を借りている。しかし、仮にも始祖五家の者として人前であの小さすぎる杖を出すのは情けないので、ある意味助かっている。  入学式に妙な杖を出した件をレイモンドに話すと、彼もマチルダやセナのように驚き、元々蒼白な顔を更に青白くさせた。しかし、何に驚いているのかは話してくれなかった。 「レイモンド様っ! ご機嫌麗しゅうございますー!」 「ああ。おは、」 「今日もお顔が整いあそばされておいでで!」 「ありが、」 「美の過剰摂取でわたくし、昇天してしまいますわぁ」  オリアーナの姿を見て、日差しを防ぐように手をかざし、よろめくジュリエット。よく喋るので挨拶を返す隙さえない。 「……ジュリエットは朝から元気だね」 「うひゅぅ……レイモンド様がわたくしの名をお呼びに……。耳が溶けてしまいます」 「はは、元気なのはいいことだ」  彼女の扱いには慣れているので、元気そうなところにしか触れない。色々とおかしなことを言っているが突っ込んだら負けだ。ジュリエットに引っ付かれながら学院の校門をくぐる。校舎までの道を歩いていると、生徒たちの視線が集まった。 「あ、『殿下』だ」 「超かっこい〜」 「朝から神々しいですわね。後光が差していますわ」  そんな噂話が聞こえてきて、ため息をつく。 「いくらなんでも――『殿下』っていう呼び名はないんじゃ……」  いつの間にか、学院の生徒たちからそう呼ばれるようになった。王子みたいだから、王子殿下から取って殿下だそうだ。 「いいえ、いいえ……! ロイヤル級に気高く凛としておられるレイモンド様には、これ以上なく相応しい呼称かと!」 「君に聞いたのが間違いだったよ」  入学式典のとき、気まぐれで女教員を助けたことがきっかけらしいが、すれ違うだけで女子生徒たちに黄色い歓声を上げられてしまっている。目立たず平凡に学院生活をやり過ごすつもりだったのに、出だしは多分、大失敗だ。  すると、こちらをうっとりしながら覗き見ていた女子生徒が、石畳の僅かな段差につまずいた。 「きゃっ――」 「おっと危ない」  バランスを崩して転びかけた彼女を、片手で抱き留める。 「よそ見をして歩いていると危ないよ」 「……! あ、ありがとうございます。殿下」 「そ、その呼び方はやめようか……」  迷惑そうに頬を引きつらせるが、彼女は何がだめなのかと困った風に首を傾げた。女子生徒は惚けた表情で礼を言い、軽やかに校舎の方へ駆けて行った。事の顛末を見ていたジュリエットは、祈るように両手を組みながら呟いた。 「朝から超絶スマートかつ紳士ですわね。魔法学院のプリンス様?」 「……勘弁してよ」  すっかり殿下呼びは定着し、さながら王子のようにもてはやされている。困ったものだ。これでは、レイモンドが戻ってきたときにさぞ混乱してしまうだろう。  オリアーナの学院生活は、早くも思わぬ方向に進んでいる。  ◇◇◇  今日の最初の授業は魔法化学だ。薬品の臭いが漂う化学実験室。教卓で教師のエトヴィンが、気だるげな様子で頬杖を突いている。魔法化学を担当している彼は、長い銀髪を緩く束ね、白いローブを着ている。厳格であまり愛想がないので、生徒からは少しばかり敬遠されている。 「前回の小テストを返却するぞー」  そう言って人差し指を軽く下から上に振り上げると、羊皮紙がひとりでに宙に飛んで、回答者の目の前に配布される。 「全問正解者は――レイモンド・アーネルただ一人。難問だったが優秀だな。それ以外の奴は中間考査までにちゃんと復習しとけ」  オリアーナは魔法が使えないという点を除けば非常に優秀だった。勉強にしても武術にしてもレイモンドに劣らずできたし、何をやるにも要領がいい。 「さすがはレイモンド様ですね!」 「……ジュリエット。君はその……どうやったらそんな点が取れるの?」 「あら、こちらに合格印の(マル)がついているではありませんの」 「それはたぶん……0点の0だと思うよ」  どれだけポジティブなんだろう。彼女は全問不正解していながら、呑気にへらへらと笑っている。戦闘魔法においては類まれな才があるが、座学はこの有り様である。いわゆる脳筋令嬢だ。  生徒たちが小テストの結果に一喜一憂していると、エトヴィンがわざとらしく咳払いをした。それを合図に、生徒たちの視線が黒板に向けられる。 「あー、今日は予告した通り、雲の生成を行ってもらう。手順は上記の通り。試験管Aの液体をBに注ぎ、魔力を付与する。失敗したら爆発するから気をつけろー」  さらりと恐ろしいことを言われた気がする。  雲は水蒸気の塊なので、魔法を使わずとも条件が揃えば簡単に再現できる。しかし、ここで行う雲の生成はそれとはひと味違う。遥か上空に巨大な雲を作り、自由自在に天候を操る上位魔法――天候操作の実践だ。この魔法は、乾いた土地を癒すために重宝されている。 (これ、どう考えても外でやる実験じゃ……)  内心で突っ込むが、周りの生徒たちは何ら疑いを持たずに実験に着手している。班ごとに呪文を唱えると、広い実験室の天井に暗雲が立ち込め、雷がいななき始めた。  さすがは名門魔法学院の生徒たちだ。初めてで天井を埋め尽くすほどの雲の生成を成功させるとは。しかし、感心したのもつかの間。ぽつりぽつりと降り出した雨は次第に大雨に変わり、生徒たちに降り注いだ。  ふと、エトヴィンの方を見ると、魔法で防壁を張って雨を凌ぎながら傍観している。つまり、雨雲の対処も生徒たちの判断で行えということだ。オリアーナは、胸元の魔法石のペンダントを服越しに握りしめた。 「きゃあっ!」  頭上でボンッと、何かが爆発した音が聞こえ、女子生徒が悲鳴を上げる。頭上を見上げると、先程より数倍厚みを増した雲が、氷晶を落とし始めた。その刹那、先が鋭利に尖っている氷が、こちらに真っ直ぐ落ちてきた。 「危ない、ジュリエット!」  咄嗟に彼女の身体を抱いて庇う。しかし、予想していたような氷が刺さる感覚は背中にない。ジュリエットが《――溶かせ(メルト)》と唱え、氷の塊を瞬時に液体に戻し、同時展開したシールドで二人を保護した。室内を見渡すと、他の生徒たちも各々が魔法を発動させて的確に対応していた。 「わたくしの愛しの方を濡らすとは万死に値しますわ! お風邪でも召したらどう責任を取るおつもりですの!」  ジュリエットは意思のない雲に対して怒鳴った。彼女が指輪を変形させた杖を振るうと、頭上の雲は一瞬で消失した。 「ありがとう、ジュリエ――」 「はわわわ……」 「ジュリエット?」  腕の中にいる彼女は、感激して目に涙を浮かべた。 「お体を張ってわたくしのことを守ってくださるなんて……。我が人生に一遍の悔いなし……ですわ」 「ジュリエット……!?」  呼びかけたがすでに彼女は意識がなかった。腕の中で失神している友に困惑していると、オリアーナの目の前にエトヴィンがやって来た。冷えた眼差しでこちらを見下ろして言う。 「レイモンド。お前なんで魔法を使わなかったんだ?」 「え……」 「雨に濡れているのはお前とジュリエットだけだ。他の生徒たちがこの状況に魔法で対応する中、唯一お前だけは肉体的な反応を起こした」 「それは……マチルダ先生に杖の使用を禁じられていて……」 「何も、杖に頼るだけが魔法じゃねぇだろう」 「…………」  彼の問いかけに、沈黙するしかなかった。魔法と共に生きてきた人間なら、息をするように魔法を操ることができるだろう。でもオリアーナは、生まれてから今まで、非魔力者だったのだ。非常時に脳が指示を出すのは身体を動かす方で、魔法を使うことではない。  エトヴィンは小さくため息をついた。 「授業終了後に化学準備室に来い。お前には色々と聞きたいことがある。その胸に引っさげた石についてもな」 「……!」  まさか、魔法石の存在に気づかれているとは。何らかの疑いを持たれているのだと理解し、「分かりました」と承諾した後で肩を竦めた。  そしてその様子を、セナが遠くの席から見つめていた。
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