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06
準備室を出たあと、手が震えていることに気づいた。震える指先に視線を落として呟く。
「私が、次期聖女……」
「リア……」
「どうして私に教えてくれなかったの? セナは呼び笛のことを知っていたんでしょ」
「……」
セナは切なげに愁眉した。
聖女に選ばれることは名誉なことだ。けれど、必ずしも喜ばしい訳ではない。なぜなら聖女は、国に生涯をかけて奉仕し続ける義務があり、歴代の聖女たちは、皆――短命だった。神聖な気をまとうため魔物に狙われやすく、多くが戦場で命を散らす。
また、召喚術を国で唯一使える聖女だが、自身の力が弱ければ対象を従えることができない。
過去には、召喚した幻獣が暴走し、襲われて殉死した聖女もいた。オリアーナは魔法が使えないので、よりその可能性が高い。
「私が聖女に選ばれたとしたら、責務を果たすつもりだよ。たとえ危険があったとしても、逃げるつもりはない。民衆を護ることが、始祖五家に生まれた者の使命だから」
「そうだね。リアならそう言うと思った」
入学式典のときに聞いた叫び声は、呼び笛に反応した幻獣の声だったのだ。もしあのまま召喚が成功したら、オリアーナでは服従させられず、他の生徒たちに危害を加えていたかもしれないのだ。そう思うと、背筋に冷たい汗が流れた。
もし今「私が次の聖女です」と名乗り、前線に立たされることがあれば、オリアーナは殉死まっしぐらだろう。
「何かいい方法があるかもしれないから、悪いように考えるな。上手くいく方法を一緒に模索しよう。俺が力になるから。大丈夫」
藍色の瞳がまっすぐこちらを見据えている。動揺していた心が、少しずつ落ち着いていく。セナはいつもほしい言葉をくれるし、それが心にすっと入り込んでくる。
ゆっくりと息を吐いた。
「そうだね。君のおかげで少し落ち着いたよ。……セナは、優しいね」
「誰にでも優しくしてる訳じゃないよ。リアにだけだから」
「え……?」
「俺はお前のことが好きだから」
彼の言葉をそのまま素直に受け取り、にこりと微笑みを返した。
「うん。私もセナが好きだよ」
にこにこと能天気に笑うオリアーナを見て、彼は不服そうに眉を寄せた。
「リアの好きと俺の好きは……違うよ」
「好きな気持ちに違いなんてないでしょ?」
きょとんと首を傾げると、彼はまた呆れたように小さく息を吐いた。そして、苦笑を浮かべながら「そうだね」と言った。
「それにしても、面倒なことになったよね。『殿下』なんて呼ばれてさ。好いてもらえるのはありがたいし、嫌って訳じゃないけどね。王子の次は聖女と来た。忙しないよね」
人前を歩けば女子は黄色い歓声を上げ、男子たちでさえ羨望を抱く。
ロッカーを開くと雪崩のようにファンからの手紙や贈り物が落ちてきて、机の中にもいつも貢ぎ物が詰まっている。歩いているだけでサインやら握手を要求され、王子扱いされるのは結構疲れる。
「王子役に辟易したら、俺が姫にしてあげるけど」
「ふ。何それ。私は王子でいいよ。姫って柄じゃないし」
セナはずいとこちらに詰め寄り、顔を覗き込んできて、甘く囁く。
「そう? リアは結構、可愛らしいとこあるよ」
藍色の妖艶な瞳に射抜かれ、なぜか心臓がどくんと音を立てる。朱に染った頬を見て、彼が意地悪に口角を持ち上げた。
「そうやってたまに照れるところとか。俺はすごい可愛いと思うけど」
「…………!」
可愛いなんて言われたのは、いつぶりだろうか。子どものころに周りの大人に言われたきりで、他に記憶にはない。昔からずっと、「格好いい」と言われることの方が多くて、女の子扱いされたことなんてほとんどなかった。
「可愛いなんて、そんなこと言ってくれるのはセナだけだよ。……レックスにも言われたんだ。お前は女らしくなくて、気持ちが悪いって」
確かに、女っぽい服装より、男っぽい服装の方が好きだ。趣味も普通の令嬢たちとは違うし、振る舞いが男性的であることも自覚している。でも実際は、誰も気づかないだけで少女らしい心も持っている。
レックスに気持ち悪いと言われたのは、流石に少し傷ついた。
するとセナが優しく頭を撫でてくれる。
「お前は可愛いよ。一番可愛い。俺はリアが自然体でいる姿が、魅力的だと思うよ」
「……そう、かな。ありがとう」
「困ったらいつでも俺に寄りかかっていいから。一人で抱えようとするな」
「……うん」
周りの人たちに頼りにされることはあっても、オリアーナ自身は何でも自分一人で何とかしようとして、誰かを頼ることはしなかった。
けれどセナは、そんな頑固なオリアーナに手を差し伸べてくれて、唯一頼りにできる相手だった。
(セナは、ずるい)
優しい言葉をかけられて、なんだか泣きそうになってしまった。彼だけは、オリアーナを女の子として甘やかしてくれる。オリアーナが好きなものを、それはそれでいいよねと受け入れてくれる。
するとセナが、オリアーナの耳元で囁いた。
「俺さ」
「何?」
「お前の婚約が解消して、よかったって思ってる……かも」
「……か、からかわないで」
赤くなった顔を逸らして、背を向けて歩き出すオリアーナ。
置いてけぼりにされたセナは、彼女の後ろ姿を見ながら、愛おしそうに口元を緩めたのだった。
◇◇◇
セナ・ティレスタムにとって、オリアーナは正義のヒーローだ。
素直で優しくて、誰よりも正義感が強く責任感がある。まっすぐな生き方を尊敬していたし、ひとりの女性としても好きだった。
オリアーナへの恋心を自覚したのは、もう随分昔のこと。幼いころ、幼馴染のオリアーナとレイモンドは親しくしていて、こっそり平民の子どもに扮して下町に遊びに行っていた。
「やーい女男ー!」
「こいつ、男のくせに女みたいな顔してやがるぜ。気持ち悪ぃ」
「ふふ、ちょっと。馬鹿にしちゃ可哀想よ。この子泣きそうじゃない」
ある日のことだった。オリアーナたち双子とはぐれてしまい、町の子どもたちに絡まれていじめられていた。当時、普通の子たちより成長が遅くて、背が低く華奢だったセナ。癖のないさらさらの髪も、大きくてまつ毛の長い瞳も、少女のように見えた。
セナは、体格のいい子どもたちに囲まれて怯えきっていた。
「痛っ。やめて……!」
ガタイのいい少年に石を投げつけられ、頭を腕で庇うように抱きながらうずくまった。
涙目になりながらやめてと懇願すれば、意地悪な子どもたちは一層面白がって、蹴ったり殴ったりを繰り返した。
魔法を使えば、彼らを一掃することができる。このころ、すでに大人顔負けの実力があったセナ。しかし、魔法を一般人に使ってはいけないと教えられているので、いじめを奥歯を噛み締めて耐え忍ぶしかできなかった。魔法は使えても、体格も筋力も人より劣るせいで、対抗できないのが悔しかった。
(どうしよう……リア、レイモンド、どこ行ったんだ……?)
少年のひとりに髪を引っ張られ、小さく悲鳴を漏らす。縋るような思いで双子のことを思い浮かべたとき――。
「――セナからその手を離せ」
颯爽と現れたオリアーナは、少年の頬を殴り飛ばした。身軽な子どもは、吹き飛んで地面に倒れる。彼女はセナを庇い立ち、こちらを見下ろしながら「遅くなってごめんね」と囁いた。
「お前、そいつの仲間か? よくもやってくれやがったなぁ! ただじゃおかねぇ。お前ら、袋叩きにしちまえ!」
「一人を相手に複数で襲いかかるなんて、卑怯な奴らだね。いいよ、全員相手にしてあげる」
多勢に無勢。相手はオリアーナよりも体格がいい年上の子どもたち。どう考えても不利な状況だが、彼女は涼しい顔をして彼らを圧倒した。
身軽な動きで攻撃をかわし、拳や足で打撃を与え、次々に子どもたちを屈服させていく。
少年のひとりが、木の棒を剣に見立てて、オリアーナめがけて上から下に振り下ろした。彼女はすいと身体を翻し、棒を少年から取り上げ、逆に彼の喉元に突き立てる。
「ひっ、化け物……」
「化け物だなんて人聞き悪いな。――君たちが弱いだけだよ」
澄まし顔を浮かべていたオリアーナの目つきが、そこで鋭さを帯びる。
「次セナに意地悪したら、ただじゃおかないよ」
「もうすでに手ぇ出してるだろ! この男やべぇ! 怪力ゴリラだ!」
「あ……いや、私は女で――」
「お前ら起きろ! 逃げるぞ。――っておい女子! んなうっとりした目でそいつのこと見んな。オレらの敵だぞ!」
オリアーナはセナより背が高く、中性的な顔立ちをしている。落ち着いた振る舞いは、子どもらしくない。
短い金髪がなびく凛とした横顔を、野次馬の少女たちが顔を赤くしながら見ていた。オリアーナの美貌は幼いながら完成されていて、誰彼構わず魅了する。
「あなたどこの子? あたしたちの仲間に入れてあげる!」
「どこで体術を勉強したの? 強くて格好よくて、王子様みたいだった!」
「はは、ありがとう。でも、ごめん。いじめを傍観しているような薄情な人たちの仲間になる気はないかな」
にべもなくばっさり斬り捨てるオリアーナ。
「なっ……何よ、せっかく誘ってやってんのに、生意気……!」
「もう行こうよ、こんな人たちほっといてさ!」
オリアーナにすっかり執心していた少女たちは、はっきりと拒絶されて顔をしかめた。いじめていた少年とともに、悔しそうにその場を去っていった。
(リアは格好いいな……俺なんかよりずっと。ヒーローみたい)
清廉で実直。曲がったことを嫌い、物怖じせずに思ったことを言う。セナにはそんな度胸はない。オリアーナはいじめっ子たちの背中を見送ると、こちらを振り返って、へたり込んでいるセナに手を差し伸べた。
「もう大丈夫だよ。――セナ」
そう言ってはにかんだ彼女に、心臓がどくんと音を立てた。訳も分からないまま脈動が加速していく。
この瞬間、セナは彼女に恋に落ちた。
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