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性の霊峰
暗い雨の中、峰山は汚くぐすぐすと泣いていた。白い半袖のシャツが雨でずぶぬれになって、色気のないシンプルなブラジャーが透けて見えている。私は峰山に傘もタオルも差し出さず、彼女の大きな乳房を睨みつけて言った。
「ねえ、峰山。私と付き合わない?」
「いやあ、峰山のあれはまさしく山だよな……」
クラスの男子達が醜くニヤけながら、こそこそ話をしている。その視線の先にいるのは峰山。ふわふわとした長髪に、ほんわかとした雰囲気の少女。その胸元に、男子達の目は集中していた。峰山の胸は、同い年の中学二年生女子から見ても大きい。制服のボタンがはち切れてしまうのではないかというほど、その生地は張っている。
クラスで読書をしていた私は、偶然その話が耳に入ってしまった。この手の話は嫌いだ。クラスで性的な話をするなんて周りのことを考えてないし、同級生を話のネタにするなんて気持ち悪い。
「それに比べて平丘はな……丘というより平地だよな」
(……最悪)
何より胸の大きさの話になると、必ずと言って良いほど峰山と私で比較されるのだ。これは男子だけじゃない、女子の間でもそうだった。
更衣室での着替え時間や、何気ないガールズトーク。そのときには本人がいるいないに関わらず峰山の名前があがる。アイツ、胸デカいよね、と。そしてその後に続くのは、平丘は胸ないよね、という言葉だ。
私の第二次性徴は平均より遅れていた。体つきだって小学生みたいだし、初潮も来ていない。だからこそ、性の話には敏感になる。自分だけがみんなに置いていかれるような、そして、その遅れを馬鹿にされているような気がするのだ。何より、峰山自身が胸を話題にされてもピンときておらず、性に疎いことが私を苛立たせた。
せめてアンタがいなけりゃ、私が話題にあがることもなかっただろうに。
私はバレないように顔を本で隠しながら、自分が男子達からどう思われているかも知らない暢気な峰山を睨みつけた。
中学生が大好きな話題は、性の話だけじゃない。しょうもない色恋沙汰も、彼ら彼女らの格好の餌食だった。
ある日、こんな噂が学年中を駆け巡った。峰山とクラスの男子、登坂が付き合い始めたという。告白したのは、何と峰山の方だった。登坂は峰山から告白されたことを、仲間達に自慢げに話していた。
「やっぱ峰山はさ、女子の中でも可愛いし最高だよな」
登坂は男子達のリーダー的存在だった。うるさい声で男子達を率いていく姿が、大人しい峰山の目には魅力的に映ったんだろう。
クラスの男子達は登坂を羨んだ。言ってしまえば、峰山の隣……その大きな胸に今一番近いのは登坂なのだから。男子達はいつもより小さなこそこそ声で、登坂に聞いた。
「お前、峰山とはどこまでいったんだよ」
「馬鹿、そんな話ここですんなって。まあ、それは追々さ、そんな遠くではないと思うけど?」
登坂はその質問に鼻の下を伸ばしながら答えた。峰山はこんな奴のどこが良かったんだろう。私は不思議でしょうがなかったし、何だかむかついた。
「登坂君。一緒に帰ろう?」
自分がネタにされているとも知らずに、峰山は登坂の名前を呼びながら近づいてきた。
登坂はすぐにきりっと顔を整え、峰山に答える。
「今行くわ、峰山さん。悪いなお前ら、今日は峰山さんと一緒に帰るから」
男子達に手を振りながら、登坂は峰山のもとへ走って行く。
何が峰山さんだ、白々しい。お前なんか峰山の胸しか見てないだろ。
私はぱん、と本を乱暴に閉じ、学校から塾に行く準備をした。
そして夕方、塾の帰り道。この日は予報外れの雨が降った。じめじめと湿った、少し冷たい空気が肌を不快に撫でる。
(……最悪)
私は鞄に入れていた折りたたみ傘を取り出し、帰路を急いだ。水たまりを踏むとそのたびにスニーカーに雨水が染みてきて、靴下がぐちょぐちょという音を立てる。気持ち悪い。体が冷えるのも嫌だし、早く帰ろう。そう思って曲がり角を曲がる。すると、曲がった先にずぶ濡れの女子が呆然と突っ立っていた。私は足を止める。何故なら、その女子が私と同じ制服を着ていたから。そして、その女子が見覚えのある、大きな胸をしていたから。
「峰山」
私は思わず声に出してしまった。その声が聞こえたのか、ずぶ濡れの女子、峰山は私の方を向く。
「……平丘さん?」
峰山の顔は、涙と鼻水でぼろぼろだった。何より彼女の制服は雨で濡れて、色気のないブラジャーが透けている。そして制服がぴったり肌に張り付いて、峰山の大きな胸を更に強調させていた。私はそれが不愉快で、峰山を睨みつけそうになるのを何とか堪える。
「……何してんの、こんなところで」
峰山が私の声に応えたことで、何だか私が声をかけたみたいになってしまった。このまま素通りするのも後で寝覚めが悪くなるので、仕方なく彼女に聞いてみる。ぶっきらぼうに聞いているのは、私のせめてもの抵抗だ。
峰山は涙混じりの聞き取りづらい声で答える。
「えっとね……その……」
「……雨で聞こえない。もっとはっきり言って」
「ごめんね……。あの……私、今日、登坂君と一緒に帰ってて……」
「……何、振られたの」
「えっ……何で付き合ってること知ってるの……?」
私は呆れてしまった。峰山はどこまでも鈍感だ。自分がどう見られているのか、周囲が彼女をどう扱っているのかまるで気づいていない。私はため息をつきながら言った。
「何でって、登坂が言いふらしてたし、一緒に帰ってたら噂にもなるでしょ」
「……そっか」
峰山は登坂の名前を聞き、唇を噛みしめた。この雨の中で大泣きされたらたまったものではない。私は峰山に続きの言葉を促す。
「で? その付き合ってる登坂がどうしたって?」
「……今日、その……帰りにね、公園に寄ってね……で、えっと……」
「…………」
「そ、その……私、初めて、き……」
「キスしたんだ。良かったじゃん」
私がそう言うと、峰山の顔がくしゃっと崩れた。天気が雨でも分かるくらい、その瞳から大粒の涙があふれ出す。雨音に混じって、不愉快な嗚咽が聞こえてきた。
「……なんだ、キス、嫌だったの」
「ち、違うの……キスまでは……良かったの。あのね……そのあとね……」
峰山はこれでもかというほど間を溜めて、絞り出すように口にした。
「……胸、触られたの。登坂君に……」
「……ああ」
何というか、予想通りの展開だった。明日の男子達の話題は「峰山の胸の感触がどうだったか」になるだろうな。今から吐き気がする。
私が無言でいると、峰山は勝手にしゃべり出した。
「わ、私……登坂君のこと、みんなの中心にいて、すごい人だなって、好きになって」
「………………」
「告白して付き合えて、キスもできて嬉しかったの……でも、触られて、急に怖くなって……逃げてきちゃった……」
「はあ」
「家に帰る気にもなれなくて……そしたら、雨が降ってきて……」
峰山はぐずりながら俯く。
「どうしよう……登坂君、きっとびっくりしてるよね……でも、私、私……」
この期に及んで登坂のことを考える峰山に、私は耐えきれず口を開いた。
「……峰山ってさ、見る目ないよね」
「えっ……」
「アンタ、男子達からどんな目で見られてるか知ってる? 峰山、胸デカいよねって、アイツら盛り上がってんの。というか、女子にも胸のこと言われてたじゃん」
「お、女の子は胸の大きさが気になるものっていうから……でも、男の子までそんなこと」
「言うんだよ。というか、アイツらも女子達も、アンタのこと胸がデカい奴って見てるよ。アンタの好きな登坂だってそうだよ」
峰山は言葉をすっかり失って、自分の胸元に視線を落とした。その顔は体が冷えているせいか、青ざめている。
私は続ける。
「私ね、峰山のこと大嫌い」
大嫌い、その言葉を聞いた峰山は、驚きを露わにして私の顔を見る。それはそうだろう、本人には、嫌われる心当たりなんてないんだから。
「峰山が胸デカいって言われるとき、大抵私の話が出るんだよ。それに比べて、平丘は胸ないよねって」
「……そんな」
「理由はそれだけじゃないよ。峰山は八方美人で、いつも周りに人がいて、誰にでも優しいし、誰とでも上手くやれる。人の悪口も言わないし、愚痴も言わない。真面目で、勉強も出来て、先生からの評価も良い」
私は、今度は隠さず、ずぶ濡れの峰山を真正面から睨みつけた。
「性格も、成績も、胸も。私にないもの、全部持ってる。だから大嫌い」
「平丘さん……」
峰山はぐずぐずと泣きながらも呆気にとられた様子で、私の言葉を聞いている。
一度溢れた感情は止まらない。私は続ける。
「ねえ、峰山。私、登坂みたいな奴よりも、アンタのこと知ってるよ。だってこんなにアンタのこと大嫌いなの、私ぐらいだもん。だから」
ここから先の言葉は、自分でもどうして言ったのか分からない。だけど、峰山のことを胸がデカい女としか見ていない奴らと、私は違う。それだけは確かだった。
「ねえ、峰山。私と付き合わない?」
「登坂、結局峰山と上手くいかなかったらしいね」
「何か、登坂がアイツの胸触ったんでしょ?」
「ああ……まあ、相手が峰山だもんね。それはそうと登坂サイテー」
「そういえば、峰山も最近変じゃん? ぼっちの平丘と一緒にいたりしてさ」
「平丘といると、峰山の胸が目立つよね。なんか、山と平地、みたいな?」
「ある意味凸凹コンビだよね」
『あはははは!』
性の霊峰 完
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