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2008年の夏に鳥海山に登った。
鳥海山は別名、出羽富士とも呼ばれ、風光明媚な姿は登山客を魅了する。
ところが私は鳥海山を登った時、不思議な体験をした。
2008年の夏はとても暑かった。
登山前日、私は酒田駅に入り、事前に予約してあったビジネスホテルに泊まった。
象潟駅から鉾立登山口までは乗合バスが出ている。乗合バスに乗り遅れるとタクシーで向かうしかなくなるので、電車の出発時刻に合わせて早朝にホテルを出た。羽越本線で象潟駅に向かう計画だった。
ところが私は慌てて、弁当を買うことをうっかり忘れてしまった。象潟駅は想像以上に殺風景な駅だった。
酒田駅には普通にあったキオスクやコンビニが象潟駅にはなかった。
商店街どころかコンビニすらもない。私はこれから登山を始めるのに昼食を買うことができなかった。駅前にあるのはただ、バス乗り場だけだった。私は不安な気持ちを抱えながら、鉾立登山口行のバスに乗り込んだ。
季節は真夏、ほぼ満員のバスは中高年の登山客たちで賑わっていた。何日か前に皇太子殿下が鳥海山に登られたとかいう話題で車内は盛り上がっていた。
私が登るのは鉾立ルートで、秋田県側からの一般的なルートで登山客も多い。終点の駐車場に着くと私は不安な気持ちを払拭し気合を入れ直し、木の階段を一歩一歩登り始めた。暑くて無性に喉が渇くが、幸い水だけは十分に持っていた。
一時間ほど歩くと6合目の「賽の河原」に到着した。
縁起でもない名前だが、こんなところで野垂れ死にする訳にはいかない。私はここで初めて5分ほどの休憩を取った。名前とは裏腹に、黄色い花を付けた可憐なニッコウキスゲに癒された。
私は次の目標地点である御浜を目指した。御浜は鳥海湖が見渡せる鳥海山登山の中堅地点である。
「コースタイムでは御浜までは40分。御浜まで頑張って、そこでゆっくり休もう」
御浜に着いた私は鳥海湖が臨めるお花畑に腰を下ろした。
すると、途中で一緒になった男性が私に話しかけてきた。
「どちらから来られたんですか?」
「神奈川県からです」
「しかし、鳥海山は思ったよりキツイですね」
「ええ。私なんか昼食も持たずに来たので、マジで死にそうです」
私のザックにはペットボトル3本、カロリーメイト2本、チョコレート1枚、飴5粒くらいなもので、これが私の全食料だ。
私はうっかり本音を吐いてしまってから「しまった!」と思ったが、時すでに遅しだった。
男性は私が「何か恵んでくれ!」と言っているものと勘違いしたようだった。男性は挨拶もそこそこに、逃げるように私から去って行った。
私は次の目標地点である七五三掛に向けて重い腰を上げた。
七五三掛までは約1時間。標高はすでに1800メートルを超える。雪渓の中を歩くので雪に足を取られることもあり、足を挙げる度に膝が笑い出し疲労も限界に近づいていた。
厳しい行程とは裏腹に、高山植物のイワギキョウやシラネニンジン、ツガザクラなどが疲労した体を癒してくれた。
登山開始から約4時間が立った。
息切れしながら登っていると、やっと山頂を示す大物忌神社の鳥居が見えてきた。
今までの疲れが吹き飛んだ思いだった。ところがこれは糠喜びだった。ここは本物のピークではなく、さらにガレ場を登ったところに本物の山頂、新山があることに気が付いた。
山を登っていると偽ピークというのがよくある。今回もそのケースだった。
私は気を取り直し、慎重にガレ場を進んだ。
本物のピークのある場所は岩の積み重なった狭い場所だった。私はデジカメを取り出し、他の登山客に頼んでピースサインをしている写真を撮ってもらった。雲一つない天気で、遥か彼方に日本海や庄内平野が一望できた。
無事に頂上を極めた私は周囲で弁当を食べている人を尻目にザックの中に2本だけあったカロリーメイトを頬ぼった後、ひとり帰路に付いた。
登り始めてからロクに腹の中に入れていないので極端に体力を消耗して、足元がふらつきだした。
鳥海山には主要な登山ルートが6つほどある。私は下山は酒田駅まで路線バスがある湯ノ台口ルートを取ることにした。
下山を始めて30分ほど分岐点に差し掛かろうとした時、私は足がもつれて尻餅を付いてしまった。
それから私がどれだけ悲惨な状況で下山したかは想像に難くない。3時間後、私は這う這うの体で下山できた。登山口の山荘に着いた時は夢遊病者のようにフラフラだった。
私は山荘にあった温泉施設で、一風呂浴びることにした。
温泉で汗を流し、冷たいお茶で喉を潤した。
山荘の前からは酒田駅行きのバスが出ている。私は事前に調べてあった通り、路線バスに乗って酒田駅に到着した。
駅前の商店街にある居酒屋に駆け込んだ。ビールを頼んで一気に飲み干すと、私はやっと一息つくことができた。
帰りは酒田駅から特急「いなほ」に乗って新潟駅に向かった。
新潟駅で上越新幹線に乗り換え、出発間際にキオスクで缶ビールと笹かまぼこを買って、車内でひとり祝杯を挙げた。災難続きだった鳥海山登山はやっと終わった。夜遅く自宅に着くと、私は風呂に入り山旅の疲れを癒した。その日、私はぐっすり眠ることができた。
時が流れ、2024年になった。
私は最近は登山から離れていたが、山関係の雑誌は今でも購読していた。
ところがある日、山岳ガイドを見ていて不可解なことに気付いた。
山岳ガイドを見ると、私が当時下山した時にあった山荘が見当たらないのだ。私はたしかに山荘で一風呂浴びた。そして山荘の前から酒田駅行のバスに乗ったこともよく憶えている。しかしガイドブックの地図をどれだけ探しても、あの時、立ち寄った山荘が見つからないのだ。
私は一瞬、パニックに陥った。
鳥海山登山口にある山荘をネットで探しまくると、大平山荘という山荘がヒットしてきた。私はたしか、この山荘に見覚えがあった。入り口まで階段を登って行った記憶があるから、ひょっとするとあの時の山荘かもしれない。
しかし、これは大平登山口からの別ルートで、下山ではコースタイムで四時間ほど掛かる。私は神に誓っても絶対にこのルートを使って下山していない。
しかも万が一、記憶違いで大平山荘に下山したとしても、そもそもここから酒田駅までは路線バスが出ていないのだ。それは大平山荘にも電話して確認したから間違いなかった。
ガイドブックで調べると大平口から吹浦駅まで路線バスがあるらしいが、私が乗ったバスは酒田駅行だった。他の駅に立ち寄った記憶もない。私は終点の酒田駅で下車して、駅前にある商店街の居酒屋に入り、ビールを飲んだのだから間違いない。
ちなみに、鳥海山登山へのルート及び下山のコースタイムは以下の6通りである。
ルート名 最寄り駅 新山からの下山時間 路線バス
1.鉾立ルート 象潟駅 4時間40分 〇
2.大平ルート 吹浦駅 4時間 〇
3.一ノ滝ルート 遊佐駅 6時間40分 ×
④.湯ノ台口ルート 酒田駅 3時間30分 ×
(※)私が当時下山したと思われるコース
5.大清水ルート 矢島駅 2時間50分 ×
6.秡川登ルート 矢島駅 3時間20分 ×
すると私はいったい、どこのルートで下山したのだろうか、また、どこの山荘で一風呂浴びたのか。
ガイドブックを見ると私が下山したと思われる湯ノ台口ルートでは山荘の滝ノ小屋があった。しかし、それは単なる山小屋で温泉施設などないうえ、滝ノ小屋登山口から路線バスは出ていない。
ここから酒田駅まで道路は整備されている。
ここには駐車場はあるが、路線バスがないためマイカーか、あるいはタクシーでしかアクセスできない。駐車場からすぐ鳥海高原ラインが始まるので危険極まりない。ここから歩いて酒田方面まで向かったり、途中でバスに乗る変えることは到底考えられない。
というか、私は山荘前のバス停から乗ったので歩いた記憶がない。
私が登山をした2008年以降、山荘が廃業したことも一応考えたが、残念ながらそんな形跡はなかった。
山荘がそもそも初めからなかったとすると、・・・・・・。
結論から言えば、どう考えても私が大平山荘で一風呂浴びた後、路線バスで酒田駅まで行くことは不可能なのだ。
私は学生の頃から登山サークルに入っていて山登りを続けてきた。
40歳を過ぎて会社を辞めて独立してからは単独行で日本百名山をはじめ、様々な山に登ってきた。
そのため、今まで危険な目に遭ったことも随分ある。
しかし私は昔から、山を歩いていると「山の神様」に助けられたと思う瞬間が度々あった。
道に迷って遭難したと思っている突然、安全な場所に出たり、不意に獰猛な動物に遭った時は動物の方が逃げて行ってくれたり、頭を岩に打ち付けた時も軽傷で済んだり、捻挫や怪我をしそうになった時は山靴に守られたり、不思議だがどこからともなく見えない何かに助けられたりしたことがよくあった。
私は考えた。
私はあの時、死に物狂いで苦しい下山をひとり続けていた。ひょっとして、「山の神様」が私を見てあまりに気の毒に思って、山荘で一風呂浴びさせてくれたうえ、バスで酒田駅まで運んでくれたのかもしれない。
私はあの日、知らず知らずのうちに、「山の神様」に助けられ、何度も山の中をワープし行ったり来たりし続けていたのかもしれない。
それとも、私は疲労の末、とっくに鳥海山で死んでいて、今いるのはもうひとりの自分かもしれない。
あそこで別の選択肢を取っていた自分なのかもしれない。
人には、パラレルワールドがあるというから。
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