新しい暮らし

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新しい暮らし

 どうか、あまり見ないで欲しい。  本宮の敷地内に足を踏み入れたユノが思ったことは、叶うはずのないあまりにも虚しい願いだった。  まだ日も高い時間帯で、皇宮内には執務中の人がたくさんいる。その中を進む度にジロジロと物珍しそうに見られ、どんな顔をして歩けばいいのか分からなかった。  皇宮を俯きながら歩く女性――ユノに関して知っているのは、皇帝とその側近であるヤンくらいで、他の者には何も説明もされていないのだろう。  なにも知らないのなら尚のこと、注目されて当然である。なんせ、最愛の皇后を亡くされてからずっと女性との関わりを絶っていた皇帝陛下が、皇宮に若い女を連れて帰ってきたのだから。 (居心地が悪すぎる……)  風に靡く朱色の長い髪を押さえながら、ユノは皇帝陛下とヤンの後ろをついて歩く。  先を歩く二人が足を止めたタイミングで、ユノも足を止めて顔を上げた。  硬い木材で造られた小さな小屋の前で、ヤンが淡々と言葉を紡ぐ。 「今日からはここの離れを使いなさい。生活に必要なものは一通り揃っていますが、何か欲しいものがあれば私に相談を。本宮内の建物への出入りは陛下が許可すると言ってくれていますが、必要な時のみにすると肝に銘じ、他の者の執務を邪魔することのないように。それと、いついかなる時であっても、皇帝陛下と私の呼び出しには即座に応じること。いいですね?」  皇帝の前だから出来る限り優しい言葉を選んでくれているのだろうが、「平民の女がむやみやたらと敷地内を歩き回るなよ」という副音声がユノには聞こえる。  もちろんそれに意を唱えるつもりはないので、ユノは大人しく「はい、存じております」と返事をした。  皇帝とヤンが去ったあと、ユノは一人で離れの扉を開ける。離れの前に座っていた猫が待ってましたとばかりに立ち上がり、ユノよりも先に室内に足を踏み入れた。 「……これでまた、シオンと一緒にいられるね」  独り言ちたようにも、話しかけたようにも聞こえる、ユノの口から落ちたセリフ。  それに応えるようにして、シオンと呼ばれた白猫は、ニャオと一度だけ短く鳴いた。
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