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 睦月のクラスでは最近、例の魔女と手下の話題で度々盛り上がる。  彼が何の話をしに行ったかは言えなかったが、実際に会ってみた感想を話すとクラスメイトが食いついた。 「いい人だったぜ。お茶もうまかったしお菓子も出してくれたし」  朝のホームルーム前の教室。  生徒のほとんどが睦月の席を囲んでいる。皆一様に魔女のことに興味津々だ。 「そのお茶って庭で採れたハーブティーとか? お菓子は魔女の手作り?」 「ううん、普通のお茶だった。あとどら焼きはもらったモンだってさ」 「意外と普通なんだ……」  彼らも睦月と同じように翼のことを自分の祖父母から聞いて知っている。 「話をすればなんでも叶うんだろ? この無料ガチャの排出率がクソ過ぎるからSSR出るようにお願いしてこようかな……」 「魔女は神社じゃねーし……」  一部勘違いしている者もいるが、翼に相談して解決した者が校内に何人もいる。近隣の高校にも。  学校で美人として有名な美紅もその一人だ。彼女は魔女の家を訪れた後に大学生の彼氏に浮気されていたことが分かった。問いただそうとしたら彼氏の方から誠心誠意謝罪されたそうだ。  別れた今、その大学生は女という女を遠ざけ、真面目に勉学に励んでいると専らの噂だ。噂の出所は大学生の友だちの高校生のきょうだいらしい。 「私も行ってみようかな……」  おとなしい女子がポツリとつぶやいた。彼女はずっとだまっていたが、睦月の話を一番熱心に聞いていた。  他の同級生は彼女のつぶやきに興味を示さなかった。そもそも聞こえてないだろう。彼女は普段から自己主張が控えめで、あまり目立たない。  睦月は彼女に向かって親指を立てて見せた。 「いいじゃんいいじゃん。変な男もいるけど意外と話が分かるヤツだぜ」 「変な男?」  魔女の家に行く前、同居人がいるというのは知っていた。しかし、行ったことがある者たちの話を聞くと同居人の特徴が二種類に分かれる。  小学生か、背が高い男。しかし、どちらも金髪碧眼。背が高い男は魔女の夫で、小学生は二人の子どもじゃないのかという推理が一時期流行ったが、魔女は否定したそうだ。 「意地悪いんだよ。でもお前だったら大丈夫かも。女にはめちゃ優しい。ホストやってそうなチャラ男だったぜ」  不安そうな表情をしているので”一緒に行こうか?”と名乗り出たが、彼女は首を振った。切りそろえた前髪が揺れる。 「大丈夫。行くかどうか決めてないから」 「一人で不安だったら声かけろよ」 「ありがとう」  ぎこちない笑みでお礼を言い、彼女は自分の席へ戻っていった。  魔女の家へ訪れる女子の大半が恋愛相談をしている、と聞いたことがある。彼女もそうなのだろうか。 「睦月君は今日も人気だねぇ」 「あ。先生」  いつの間にか担任が教室に入ってきた。彼は教卓の前に立つのではなく、同級生に紛れて睦月の席へやってきた。  大人の乱入にクラスメイトは煙たがるどころか、睦月から聞いた話を興奮気味に話した。  ワイシャツの上に白衣を羽織った男性教師は、彼らの話にゆっくりとうんうんとうなずく。”これはいい話を聞いたなぁ”とのんきに頭をかいた。  形のよさそうな頭は天然パーマで覆われ、温厚そうな顔にまん丸レンズのメガネをかけている。 「いやぁ。先生も相談しに行ってみたいなぁ」 「先生が? 何を相談するんですか?」 「もしかして結婚のことですか?」 「先生って確か35でしたよね? 行き遅れってやつ?」 「君たち……痛いところを突かないでおくれよ……」  レンズの奥の瞳が悲しそうに涙ぐんだ。生徒たちは”冗談です!”と言っているが、彼に背を向けて肩を震わせている。  教師は涙目のまま手を叩き、着席するよう促した。 「そろそろホームルームを始めるよ。魔女のことは休み時間にね」 「はーい」  バラバラに返事をした生徒たちは睦月の席を離れた。  担任は教卓の上で手帳を開き、一礼してホームルームを始めた。 「皆さん、おはよございます。連絡事項は特にありませんが、今日も一日頑張りましょう。季節の変わり目で急に疲れが、ダルさが、という人も在るかもしれません。そういう時は早く寝て休息を取って下さい。それからご飯をしっかり食べること。青春時代の皆さんは学校でたくさん体を動かすから、どれだけ食べてもカロリーはゼロになるはずです」  ちょっとしたユーモアで生徒を笑わせると、彼自身ものほほんとした笑みを浮かべた。手帳を閉じてホームルームを締めると、一人の生徒が挙手して立ち上がった。 「ユメ先生。委員会からのお知らせがあるんでいいですか」 「うん、どうぞ」  ユメ先生と呼ばれた彼────夢原は、うなずきながら手を差し出した。  翼は胸がしめつけられるような思いで悩みを聞いていた。相談者の顔を見ることができず、左腕を握り締めている。表情も硬い。  悲しい内容に同情しているから、というわけではない。全く同じ体験を自分もしたからだ。  彼女の異変に気づいていないのか気づいていないフリなのか。アヤトは相談者の顔を見つめて静かに話を聞いている。 「……叶わないって思ってるけど、もしかしたらって気持ちが捨てられないんです」 「先生に恋か~。若いね~情熱的だね~」 「ほ……本気です! 若気の至りとかじゃないです」  おとなしい見た目をして、自分の恋を恥ずかし気もなくさらけだした彼女────佳乃(かの)。  彼女はアヤトにほほえみかけられ、顔を赤くした。 「魔女さんとてs……お兄さんのこと、睦月君から聞いて私もお話したくなったんです」 「口コミ? アイツいい仕事したな。ねぇ翼ちゃん────翼ちゃん?」 「え、あっ、そうね! 睦月君、すっごくいいコだった」 「ん? 間違ってはないけど話聞いてなかっただろ」 「ごめん、ちょっとボーッとして……」 「顔色悪いな……。部屋で休みなよ。このお嬢さんの話は俺が責任持って聞くから」 「もしかしてご迷惑でしたか……?」  佳乃が不安げに顔を曇らせると、翼は挙動不審なほど激しく首を横に振った。何か言わなきゃ、と口を開いたがアヤトの方が早かった。 「最近暑かったり寒くなったりで気温差が激しかっただろ? 体がついていかなくて疲れが出たんだと思う」 「でも……」 「大丈夫。あなたは優しい気遣いのできるコなのね……。あなたも体調管理、気をつけてね」  翼が弱々しくほほえみかけると、佳乃は納得していない様子だったがぺこりと頭を下げた。 「じゃあアヤト、あとはお願いします……。ごめんね佳乃ちゃん……。私はここでリタイアするわ。それとこの男はこう見えて世話焼きだから。話をよく聞いてくれるよ」 「はい。あの……お大事に」 「ありがとう」  椅子から立ち上がると、アヤトに腰を支えられた。そこまでしなくて大丈夫と、その手から逃げようとしたら耳元に顔を寄せてきた。 「その顔のワケ……あとでじっくり聞かせてもらうからな」  どうやら彼には見抜かれていたらしい。部屋に引っ込むのは体調不良ではないこともお見通しなのだろう。  口を開く前に”じゃあおやすみ”と頭をなでられた。  彼に気を許しているのを知っているのか、よく距離を詰められるようになった。ふれられる回数も増えた。しかし、今日は胸が高鳴ることも顔が赤くなることもない。  本当にふれてほしい人のことを思い出してしまったのだ。翼は自室に引っ込んでベッドに突っ伏し、掛け布団を深くかぶった。 (私も……先生が好きだった。結ばれるのは無理だって分かってたけど、好きなだけで幸せだった)  佳乃の気持ちが痛いほど分かる。過去の自分と重ねて余計につらくなってしまった。  制服の自分と、スーツに白衣の彼。  着ている物が違えば立場も年齢も違う。彼に想いを伝える勇気なんてかけらもなく、未練たらたらのまま卒業して早九年。彼もいい歳だから結婚しているだろう。 (奥さんになった人はきっと、綺麗で優しい人なんだろうな……)  もし彼と結ばれる運命をたどっていたら。彼の優しいほんわかとした笑顔に見つめられ、幸せな日々を送っていただろう。  彼の隣に立つ自分を想像し、なんて儚い夢なのだろうとまどろみながら眠りの世界へおちていった。  アヤトに過去の恋愛を話すのは初めてだが、彼は全て知っていたかのように穏やかな表情を浮かべていた。 「やっぱりあんたに隠し事はできないよね……」 「初めて会った時に言ったでしょ。そういうのを見抜けるって」  次の日の午後。遅くに目覚めた翼は、アヤトが用意したブランチの前で手を合わせた。  蒸し鶏が入った彩りのよいサラダ、デニッシュのフレンチトースト。形のいいオムレツがお行儀よく皿に盛りつけられている。  やはり彼は料理がうまいし、センスもある。特にこだわりのない翼は勝てない……と、複雑な気持ちでサラダをつついた。 「翼ちゃんは歳上が好きなの? 昨日の佳乃ちゃんもそうなんだってさ。同い年の男なんて目に入らないって」 「さぁ……」 「卒業してから好きな人はいないの?」 「それなりには彼氏はいたわ。でも心の奥で先生のことを考えていたから……。彼らは先生の代わりだったかもしれない」 「君があんな顔をしていたのはそれのせいだったのか……」  アヤトは翼のことを茶化すことはしなかった。全て合点がいった、という風に納得した顔でうなずいていた。 「その先生の連絡先は?」 「知らないわ。聞けるわけないでしょ」 「ダメだよ翼ちゃん。どこで何がチャンスになるか分かんないんだよ? 卒業すればこっちのモンじゃん。先生と付き合えてたかもしれないのに」 「私はガツガツしてないから無理」 「あーあ。今まで何人も救ってきた魔女が聞いて呆れるな」 「何が……?」 「君は人にアドバイスしておいて、自分ではそれを信じないんだな」  アヤトは頭の後ろで手を組み、椅子の上でのけぞった。口をへの字に曲げ、翼のことをつまらなさそうに見つめる。 「……他人と自分は別よ」 「今までここへやって来た人にかけてきた言葉は上っ面だけだったのか? 自分はそんなことはできないけどって心の中で笑ってきたのか?」 「……確かに自分には実行できないアドバイスもしてきたわ。でも、そんな風に笑ったことなんてない! 私にはできないけどその人ならできるって信じていたから。私はここに来たコたちは勇気があってすごいと思ってる。尊敬してるくらいよ……。私なんかより────」  ふと、口にすべりこんだものがしょっぱく感じた。アヤトと話していて何も食べていないのになぜ。  フォークを皿のフチに立てかけると、テーブルに雨が降った。雫は何粒も落ちてきて、やがてそれは小さなみずたまりになった。 「悪い、泣かせるほどキツイこと言っちゃった」  差し出されたティッシュの先を見ると、アヤトがきまり悪そうに見つめていた。  翼はそれを無言で受け取り、目元をそっと押さえた。こうして人前で泣くのは何年ぶりだろう。家族にすら涙を見せるのが嫌で、いつも泣く時は隠れていた。 「自分の恋にもっと積極的になりなよ。自分のことは置いといて、他人の悩みをなんとかしようとする君はお人好し過ぎだ。……でも、巻き込んだ俺も悪かった」 「謝らないで。この仕事は嫌いじゃないしやりがいも感じてるから」  翼は涙を拭うとアヤトに向かってほほえんでみせた。 『この仕事に出会わせてくれてありがとう。私、今が一番幸せよ』  ふと、翼の優しい表情が在りし日の風子と重なって見えた。やはり翼は魔女の血を引いた孫娘なのだ。 (これが……俺の最後の仕事かもしれないな)  決意を秘めたようにも見える、強い光を宿した翼の瞳。  アヤトは、自分はそろそろ彼女に必要なくなるだろうとひそかに悟った。  風子とアヤトが初めて会ったのは、彼女が開店祝いの花を届けに来てくれた日。  繁華街にある花屋の看板娘は噂で聞いていた。今ほど娯楽が発展していない時代。どこの誰がどう、なんていう話があればすぐに広まる。  膝丈の水色のワンピースに、花屋の名前が入ったフリルエプロン。長い栗色の髪をカチューシャで後ろに流している。そのせいで形のいい額が目立つ。 「風子ちゃんって言うの? マジ可愛いね!」 「よく言われるわ」 「今度は客としてウチに来てよ」 「悪いけどお金ないの」  ホストクラブの仲間がさっそく、風子に声をかけている。顔のいい男に囲まれているというのに、彼女はなびく様子がなかった。  そんな彼女がアヤトに心を開いてくれたのは、彼女をチンピラから救ったことがきっかけだった。  仕事を終えて帰るところだったのだろう。風子は運悪く、三人のチンピラに絡まれていた。彼らは風子の腕を掴んで逃がそうとしない。  逢魔が時の繁華街。昼間はどの店も扉を閉ざし、通行人も少ない。しかし、辺りが暗くなると派手なネオンが輝きだす。店の存在をアピールするように。  そして暗闇の中の光を求める虫のように、どこからか人が集まってくる。  彼らも夜の街に繰り出してきたのだろう。彼らは派手な柄シャツに黒いボトムス姿。どれもシワだらけだ。  アヤトはと言うと、店が開くまで繫華街を散歩していた。 「やぁ、俺の連れに何か?」  チンピラたちは声をかけられたのが自分たちだと分かると、首がもげそうなほど首を曲げた。かっ開いた目から眼球が落っこちそうだ。  振り返った風子はアヤトの顔を覚えていたのだろう。少し安堵した表情になった。  彼女にほほえみ、ヤツらを手っ取り早く蹴散らすには……と下を向いた。  普段は身体の奥底で眠っている悪魔の力。目を閉じ、人間の皮を破るように目覚めさせる。 「……彼女を離せ。失せろ」  赤い前髪をかきあげながら顔を上げたら、チンピラたちは情けない声を上げた。一人は腰を抜かし、口をわななかせている。  茶色の瞳は赤黒く変色し、稲妻を宿している。背中から湧き上がって見えるのは、不穏な色をした霧。  男たちは情けない声を上げながら夜の街へ消えていった。一人は風子の肩にぶつかりながら。 「おっと、大丈夫かい?」  風子の肩を支えると、彼女はアヤトの腕につかまった。 「あなた……新しいお店の人よね……? さっきのは……」 「あ、これ?」 「わ!?」  片目だけ変色させると、風子は飛び上がった。彼女が大きな声を出すのは意外だった。だが、恐れた様子はない。 「人間じゃない……のかしら」 「うん。……あんまり驚かないんだね?」  彼女は昔から妖怪だとかそういう類の話を聞かされているから、本当にいることが知れておもしろいと話した。その時に見せた笑顔は、落ち着いた印象の彼女には意外だったが可愛かった。  それからは暇を見つけては彼女の店に遊びに行った。ある程度仲良くなった頃、自分の体は定期的に魂を入れ替えていることを話した。そのためには神に話を通すのだが、善い行いをして転生のポイントを稼ぐのが必要だということも。 「へー。それが花束を作ります、ってこと?」 「そ。君の店の売り上げにもなるだろ?」  風子と知り合ってから数ヶ月後。アヤトはある噂を流した。  それは花屋の風子に花束を作ってもらうと恋が叶うかもしれない、というもの。  その噂を耳にして客が押し寄せた時、風子と店主は大層驚いていた。しかし、風子は根拠のないことを勝手に吹聴されて怒っていた。 「かもしれない、だから! 絶対とは言ってないじゃん!」  店先で白いヒールに蹴飛ばされそうになったが、アヤトは彼女にケーキの箱を見せた。箱には最近できたばかりのパティスリーの名前が入っている。野郎の間ではこれを持って夜の蝶に会いに行くのがひそかなブームらしい。 「まぁ……いいわよ。誰かに贈る花束を作る手伝いは好きだし」  風子は口をとがらせているが頬を赤らめ、ケーキの箱をそっと受け取った。 『風子さん、本当にありがとう! 彼女へのプロポーズ成功したよ!』 『それはおめでとうございます』 『アヤト君の助言にも感謝しているよ。格好が洒落てきたと褒められたんだ』  アヤトの転生ポイント稼ぎは大成功。店も大繁盛で、客が後を絶たない。従業員も増え、二号店ができる話にもなった。  お礼を言いに来た客を見送ると、風子はアヤトを見上げて目を細めた。 「じゃあ今度の週末はヨーロッパまでお願いね」 「ヨーロッパ!? 先週南米に行ったばかりじゃないか!」 「言ってたじゃない。生まれ変わる手伝いのお礼に、世界中の花を見せてあげるって。あなたの悪魔の羽で行けば、言葉の壁を気にしなくていいから助かるわ。渡航勧告がある国でも安心だし」  先ほど見送った客は、遠くでルンルンでスキップをしている。  アヤトは風子の得意げな顔にアゴを落としそうになった。 「言ったけど……言ったけど! 君のは壮大なんだよ!」 「悪魔だから体力底知らずなんでしょ? なんだって叶えるって言ってたような……」 「コイツ……! 俺より悪魔……!」  新たな客の来店に、風子が愛想よく応じる。例の花束の依頼らしい。彼女はエプロンのポケットに手を忍ばせ、紙と鉛筆を取り出す。 「どう見ても天使。恋のキューピットよ」  アヤトの真似か、風子は小声で片目をとじた。顔がいいので様になっている。免疫のない男だったらイチコロだろう。  アヤトは仕事に戻った風子を見つめながら、レジのそばにある椅子に座った。ここでは花束を包装するための材料がたくさん置いてある。  彼女の花束で恋が叶った人は半々。叶った人はもちろん、叶わなかった人も必ずお礼を言いに来る。 『風子さんの花束のおかげで勇気が出たんだ。玉砕したけど……また素敵な女性に出会えた時は、堂々と告白できそうだ』 『ほとんどあなたに選んでもらった花だけど、この明るい色に救われた。家に持って帰ったら母が喜んでくれた。彼女にはフラレてしまったけど心が救われたよ』  彼女のちょっとした一言と”頑張って”は、様々な人を勇気づけた。そして自信を持たせることもできる。まるで魔法だ。 (君は魔女だな……)  ほほえんで”それはよかったです”と返す風子は、ケーキを差し入れされた時よりも嬉しそうだった。 (ヨーロッパでも……南極でも北極でも連れてってあげるよ。その笑顔を見させられちゃあね)  風子が花を一輪、手に取った。男性客の目の前に掲げると黄色い花弁から雫が落ち、光が弾けたように見えた。  風子が結婚したのは出会ってから数年後のこと。相手は店の取引先相手だ。  彼女の結婚は繁華街の住民たちに、瞬く間に広がった。噂の真相を確かめるために花屋に訪れた者も多い。彼らは声をかける前に、彼女の左手の薬指の輝きに消滅していた。 「婚約指輪、似合ってるよ。そのガラスのネックレスも」 「いいでしょう? 指輪と一緒に贈ってくれたのよ」  首元で輝くガラスのネックレス。トップに花の形をしたモチーフが、陽光を受けて虹色に輝いている。  花が好きな風子のことだ。婚約指輪より気に入ってるだろう。  この頃、アヤトは新しい体に転生して金髪碧眼になった。この姿になってから初めて風子に会いに行った時、”天使の姿をした悪魔って本当にいるのね”と言われた。  それから風子は、夫の故郷である郊外に住むようになった。マイホームを建て、子どもが生まれ、ご近所付き合いを欠かさない。  アヤトはタワマンの最上階に住み、ホストを続けた。そして時々風子に会いに行く。こんな風に長い付き合いのある人間は彼女が初めてだ。  しかもその人の孫を見る日が来るなんて。 「孫が……孫が可愛すぎる」 「会う度言ってるよ、君……」  引っ越した風子に会う時は決まって少年の姿。悪魔の羽で飛んでいき、彼女の部屋の窓辺に降り立つ。 「娘は花に関心がなかったけど、翼は喜んで覚えるの。畑仕事も絶対ついてくるのよ」  会いに行けばまず、孫の翼の話。こちらの近況は聞かず、孫が遊びに来たとか一人で電車に乗れるようになったとか、話が止まらない。 「孫を可愛がるのもいいけど、人助けをしてるんだって? 昔みたいじゃないか」 「子どもも手が離れたし、ここには一人で寂しくしているお年寄りが多いから。自分にできることをしたかったの」 「君らしいね」 「あんたのおかげよ、アヤト」  風子は目尻のシワを濃くしてほほえんだ。昔よりもずっと優しい笑顔。 「あの頃、本当に楽しかったの。人の役に立てたことにやりがいを感じていたし、知らない誰かといろんなお話ができるのがおもしろかった。誰かの人生を彩ることができたかな、って」 「そうだね。皆、君に感謝しているよ」  窓枠に腰かけたまま足を組むと、”いつもの姿になったら”と言われた。 「あなたっていつまでたっても若いままね」  新調したオーダースーツの話でもしようとしたら、どうやら見た目のことを言われたらしい。アヤトは金色の髪の毛をくるくると指で巻いた。 「君もずっと綺麗だよ」 「お世辞でも嬉しいわ」  もちろん本心だ。顔のシワは彼女の優しさを表すように、細く柔かそうな線で描かれている。華奢な手は芸術的な流木のようだ。白髪まじりの栗毛はグラデーションが美しい。 『翼のこと、よろしく』  最期に会った時、彼女は誰よりも翼のことを気にかけていた。本当に大事な孫娘だったようだ。  翼のことは遊びに来た時に観察していた。  彼女は風子の娘よりも風子に似ていた。見た目も性格も。  だが、翼は不器用だった。風子と違って男に声をかけられることが少ないからか、付き合い方が分からないようだった。  風子に言われているから、というのもあるがお節介を焼きたくなった。 (この子が結婚するまでは見守ろうかな……)  ナゴヤで働いているのは知っていた。仕事の休憩中に声をかけた時、若い頃の風子を思い出させる風貌に驚き、懐かしくなった。
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