1「目が覚めた悪女」

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「――え?」 しかし、苦痛が襲い掛かることはなかった。 むしろ、急に視界が晴れ渡るような――今まで何かに覆われていたことに、初めて気づいたような感覚に陥る。 《やめろ》 《ハガスナ》 いつもデルテに囁きかけていた声が、やけに遠くに感じる。 「……こりゃあずいぶんと根深く同化してるな」 呟くと、ハネスはさらに光の筋を放ち、次々とデルテの身体を貫く。 やはり痛みはなく、ガラスの曇りを次々と拭い去るように、視界が、感覚が、クリアになっていく。 だが、意識がクリアになっていくことを自覚するごとに、デルテの脳裏に今までの自分の行動が鮮明に蘇り―― 「……あ……ああ……」 デルテがその場で膝を突き、身を抱いて震える頃には――囁きかけてきた死霊たちが、完全にデルテから離れていた。 (私……今まで……な、なんてことを……!) 父親、兄弟、騎士団員、敵対勢力の貴族たち――自分が死霊たちの囁きに従い、呪い殺した人々。 (全部……私が……私が、この手で……?) 自身の、細くて白い手を見つめる。 こんなか弱い手が、直接手を下したわけではない――だが、死霊たちの力を使い、死に追いやったのは事実だった。 今まで麻痺して感じていなかった痛みが、急に蘇ったように――罪悪感、後悔、そして絶望が全身を覆う。 《コンナカンタンニ》 《ひきはがされるなんて》 「!」 ずっとデルテに纏わりついていた死霊は、今は執務室上空に浮かび上がって渦を巻いていた。 だがただの黒い靄だった死霊たちからは、不気味な眼球が複数形成された。 「ひっ」 そんな光景と、その存在が自分の身体にずっと纏わりついていたという悍ましさに、寒気がした。 恨みがましい眼球たちが、自分たちをデルテから引き剥がしたハネスを睨みつけている。 先ほどまではただの黒い靄だったが、全身で怒りや恨みを示そうとしているかのようだった。 《セッカククロウシテ》 《とりこんだのに》 《イキテルニンゲンニ》 《すきほうだいできる》 《アヤツリニンギョウダッタノニ》 「あ……操り、人形……?」 (私は、いつからこんなことをしていたの……?) 最初に呪い殺したのは、大切な人を事故死させた公爵家騎士団の団員。 それで飽き足らず、自分を冷遇した父親、兄たちと矛先が向いて――いや、そうなる前に、何かがあった。 『《ミンナヲウケイレレバ》』 『《ちからをかしてあげる》』 (そう……あの死霊の声に、耳を傾けてしまってから……私はずっと……!) デルテは確かに、世間で言うところの<ネクロマンサー>となった。 しかし実際には、デルテ自身の意思で呪いを振り撒いたのではなく――死霊の意思を、自分の意思だと思い込んで行動していただけだったのだ。 そのことに、デルテは今気がついた。 「――ハネス! さっきから何をグズグズしているの!?」 その場で震えるデルテを目の前に、アンネローゼは不満げに叫ぶ。 「こいつに纏わりついていた死霊は引き剥がした。もうこいつの霊力を使って呪いを振り撒くことはないぞ」 「力を削いだのはわかったわ。なら、さっさと処刑なさい」 「おいおい聞いてなかったのか? もうこいつはこれ以上何もできないんだ。わざわざ殺す必要はない」 「デルテ・エーレンシュトラールの処刑は決定事項なの。死霊を引き剥がしたところで、今までの罪は消えないわ」 (……その通りよ) 死霊たちの囁きに従い、彼らが望むままに人間を呪い殺した。 今にして思えば、「敵対勢力だから」というだけで呪い殺し続ければ、目立つのは当然。 物的証拠がなくても、何かしら疑われる。 そういった可能性も一切考えず、ただ自分の――いや、死霊たちの望むままに、ただ「人間を呪い殺したい」という欲望を満たしていただけ。 (私にも、死霊たちに同調できる資質があった……だから自分で止められなかった) 後悔や罪悪感が消えないが、それでもデルテの心は凪いでいた。 死霊が引き剥がされるまでは、何かにつけて呪い殺したいという欲求に突き動かされ続けていたからだ。 (ここで終わるなら、そのほうがいいのかもしれない……) デルテはゆっくり立ち上がる。 「さあ、あなたの――英霊としての役目を、全うなさい」 アンネローゼは、指輪を嵌めた右手の人差し指をハネスに向ける。 古びた金属に、濁った紅い石が嵌った指輪で、王族がつけるにはみすぼらしくも見える。 「……」 だがハネスは指輪を見ると、気が向かないとばかりに顔を顰めていた。 「――早く、処刑をお願いします」 そんなハネスに、デルテは縋るように声をかけていた。 「あの騒動は全部、あの死霊たちが仕向けたものだ。あんたも弁解の余地が」 「いえ、アンネローゼ王女の言う通りです」 (確かに、あの死霊たちの囁きに応じたときから……「呪い殺したい」という欲求を植え付けられていたのかもしれない。でも) 最初に殺した人々は――確かに、自分の中の憎しみに従っての所業だった。 「きっかけは死霊のせいだったとしても……実際に犯した罪に、変わりはありません。それに……このまま生きていたって意味がないので」 すでにデルテは、多くのものを失った。 だからこそ、憎しみに身を委ねることになってしまったのだから。 その憎しみすらも罪悪感や後悔に変わった今、このまま生き続ける理由も、希望も、見出せない。 「……わかった」 ハネスが歩み寄り、デルテの目の前で足を止める。 「……あんたも疲れてるんだな」 「?」 「オレも、もう疲れたよ」 「それは、どういう……?」 「オレは基本的に、あの女には逆らえない。そういうことだよ」 ハネスとの会話が噛み合わず、デルテは何も返せなくなる。 「けど今なら……何とかなるかもしれない。あんたが公爵家の人間であること(・・・・・・・・・・・・・・・)に、賭けるとしよう」 最後にそう言うと、ハネスは黒い杖の先端を、デルテの額に押し当てた。 少しすると、杖から先ほどとは違う光――青白い光が膨らみ始めた。 ハネスの言いたいことを、デルテは何一つ理解できなかったが――これから自分が死ぬのだということだけはわかった。 (どうして……こんなことになってしまったんだろう) 目を閉じると、瞼の裏からも青白い光が見える気がした。 (どこで間違えたの? どうしていたら……この最悪な結末を回避できたんだろう) 意識が少しずつ薄れる中、デルテの脳裏には今までの人生が走馬灯のように流れ始めてた。
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