3「大切だった人」

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3「大切だった人」

デルテが走り回った末にたどり着いた、騎士団敷地と公爵家敷地の境目にある、井戸。 そこにいたのは、見覚えのない少年だった。 (うちの使用人にしては、格好が変だし……誰だろう?) 彼が着ているのは、騎士団でも下っ端の新人騎士たちが練習着として身に着けているものだが、屋敷からほとんど出ないデルテには、知る由もなかった。 切り傷が絶えず、刃物で切り付けられて破れることもあるため、相応の仕事着を着ている使用人たちよりも粗末に見える。 騎士団内での地位が上がれば相応の制服が与えられるが、下っ端には存在しないのだろう。 「……何か用?」 本人が思う以上に、じーっと少年を見つめていたデルテに声がかけられた。 声をかけてきたのは少年だが、洗濯する手は止まらない。 「あ、あの……洗濯……一人でしてるの?」 「他に誰かいるように見える?」 「っ」 何の気なしに言われた瞬間、デルテはビクリとした。 (そういえば……さっきのオバケたちは……) 急に気になり始めたデルテは、辺りをキョロキョロ見回し始めた。 「……何してんの?」 その反応が意外だったのか、初めて少年は手を止めてデルテを見た。 「……やっぱり、あなただけだね」 「見りゃわかるでしょ」 「うん、そう……だね」 「……」 挙動不審なデルテに対し、少年は再び手を動かし始めた。 「……本当は『新人』全員の仕事なんだけど、俺が最後に入った『新人』だから、俺がやるべきだって押しつけられた」 「え……」 デルテは目を丸くした。 急に状況を説明してくれたことにもだが、それ以上に「押しつけられている」という状況に戸惑いを覚える。 (……そういえば) ふとデルテは、今朝の朝食での話を思い出した。 『最近は、父上が連れ帰られた少年が下働きをしてくれるおかげで、団員たちも鍛錬に集中できているんですよ』 (この子のことだったんだ……) 次男フリーデの言葉を振り返ると同時に、デルテは胸の奥が痛むのを感じた。 確かに人手が増えれば、雑用に回せる人手も増やせる。 (でも……一人でこの量の洗濯をやるの? 騎士団って、いっぱい人がいたはずだけど……) デルテも、騎士団の事情はよくわからない。 何かがおかしいと思う反面、それを自分が言っていいのかもわからなかった。 「大変……だよね」 「そりゃあな。でもしょうがないから」 「……しょうがない?」 手を泡まみれにしながら、淡々と洗濯を続ける少年を見つめながら、デルテは首を傾げる。 「俺は、拾ってもらった立場だから」 フリーデの話では「連れ帰った」と言っていたが、言葉以上の意味が含まれていたらしい。 「寝床と食事がある場所にいられるんだから……洗濯を押しつけられるくらい……我慢しないと……」 ひたすら洗濯を続けながら、淡々と言う少年。 その姿を見ながら、デルテはふと自分のことを思い返す。 (わたしも……公爵家の娘として、家にいさせてもらえてる) 兄たちばかり可愛がられ、自分は無視されていても。 助けを求めても、心配されるどころか気を引こうとしているだけだと思われても。 目の前の少年が、本来自分の仕事ではないものを押し付けられて受け入れているように――自分も、今の状況を受け入れるべきなのかもしれない。 (そうかも……しれないけど) そう思う一方で、デルテは自身の考えと――少年の態度に、違和感を持った。 「――本気で我慢するべきだって思ってるなら、なんでわざわざわたしにそんなことを言うの?」 「……」 デルテが言うと、少年の手が止まった。 「……どういう意味」 「本当は……嫌だとか、面倒だなとか……なんで自分がやらなきゃいけないんだって……思ってるんじゃないかなって」 デルテの言葉を遮るように、少年は突然立ち上がった。 「……そうだったとしてさ、言ってどうするんだよ」 「言えば……言ってもいいんだって思えたら、少しはスッキリする……かもしれない?」 「かもしれないって」 「……今まで、言えたことがないから……わからないの」 「……」 最初は苛ついた様子だった少年だったが、デルテが言葉を返すうちに、毒気が抜けたように表情が落ち着いていた。 「……お前、公爵家の娘だろ」 どうやら、デルテのことを知っていたらしい。 身分の高い相手だとわかっていたようだが、周りに誰もいないからか、気にする気がないのか、ぞんざいな口調のままだった。 「う、うん……デルテ・エーレンシュトラールっていうの。あなたは?」 「俺は……ファルク。ファルク・メンデルスゾーン」 なんとなく互いに名乗る流れになったが、名前を口にしたあと、しばらく沈黙が続いた。 「……この家じゃ、娘は扱いが悪いんだってな」 「……」 「お前が言ったんだろ。言えばスッキリするかもしれないって」 「あ……」 「だから言えよ。どんな扱いを受けてるのか」 再び座り込んだ少年――ファルクは、洗濯をする手を動かしながら言う。 ぶっきらぼうな物言いなのに――デルテは生まれて初めて、言葉のあたたかさに触れた気がした。 だからデルテは自然と立ち上がり――洗濯をするファルクに向けて走り出していた。
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