こだまする

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 紅葉狩りに行ってからこっち、どうにも妙だ。思うに、山で妙な拾いものをしたのではないだろうか。  困って友人に相談したところ、やつは少し考えておれのわき腹をくすぐりだした。   「うわ、ちょっとやめろよ!」  友人のいたずらに思わず声をあげれば。 『やめろよ! やめろよ。やめろよ……』  なぜかおれの声がこだまする。学生で賑わう食堂に。  たくさんの人のざわめきに飲まれたおかげでそれほど目立ちはしなかったけれど、それでも近くの席に座っている人たちから視線が集まる。なんだ、なんだとおれたちのいるあたりを見回す人びと。  おれが悪いわけではないのに居心地が悪くなって、声をあげる原因になった友人をひじで突く。 「おい、だから言っただろ」  周囲の視線から隠れるようにうつむき加減になるおれとは対照的に、友人は椅子の背にもたれてけらけらと笑う。 「まじかよ、おもしれー。こだまなんてどうやって連れて来るんだよ、お前」 「知らないよ。わかってたら、おれだって拾ってこない!」  まったくの他人事(ひとごと)とお気楽に笑う友人についつい声を荒げてしまい、慌てて口を覆うも出てしまった言葉は戻らない。 『こない! こない、こない……』 「あははは、まじ笑うわ。セルフエコーかかってる!」 カラオケ行ってみようぜ、演歌みたいになっておもしろいかも! などと馬鹿げたことを言う友人の腕を引っ張りながら、おれは空の食器を持って立ち上がる。不思議そうにあたりを見回す人びとの視線から逃れるように、急いで学生食堂を後にするのだった。 「そんで、なんだってそんな面白いことになってるんだっけ?」  ひと気のない研究室棟の中庭のベンチに腰を下ろし、ようやく肩の力を抜いたところで友人がたずねてくる。  ズコーっと紙パックのジュースをすすりながら、というその姿勢になんとなくいらつきを感じるが、自分の頭を整理しようという気持ちでもって状況説明をする。 「この間の土曜日まではなんともなかったんだ。バイトに行っても普通だったし、帰ってからもいつもどおり寝た」  アルバイト先のコンビニで「いらっしゃいませ!」と何度言っても「おつかれさまでした!」と大きな声を出してもその声がこだますることはなかった。至って普通の日であった。  様子がおかしくなったのは、その次の日の夕方からだ。 「バイトは休みで、昼ごろに山に登ったんだ。ここからも見えるだろ、笠根(かさね)山。そこに行った後から、どうにもおかしい。ときどき、おれの声がエコーがかかったみたいになってしまうんだ」  こだますることを恐れてぼそぼそと喋るおれに、友人は首をかしげる。 「お前、山登りする趣味あったっけ? あそこ小さいけど、徒歩でしか登れないよな」  友人の疑問はもっともだ。おれだって、休みの日に無闇と体力を消耗する趣味はない。 「あー、それがな。親戚の子に小学生がいて、その子が学校の行事で山登りするのに保護者同伴ってことで、おれが駆り出されたんだよ」  本当はもっと複雑な事情があるのだが、楽しい話でもないし今回のことに関係しているとも思えないのでわざわざ言うこともないだろう。  自分の中で結論づけてざっくりと説明するおれに、友人はストローをくわえたままふうん、と返事とも言えない返事をよこす。 「そういやお前、実家から通ってるんだっけ。子守りしながら山を登るなんて、親戚づきあいってのも大変だなあ」 「いや、おとなしい子だから子守りって感じでもなかったし、山も紅葉がきれいだったから悪くはなかったよ。まあ、山道を歩くのは疲れたけど」  同情するような友人の声に、いっしょに山を登った子どもを思い出す。  集まった同級生たちと比べて大きくもなく、小さくもない中ぐらいの身長。ひょろりと頼りなく伸びた手足をした子どもは、きれいに色づいた木の葉を見ても、息を切らして山を登りきったときにも笑顔を見せなかった。他の子どもやその保護者が歓声をあげるなか、静かに息を整えていた。  そのあと、バスに乗って家まで送り両親の元に返したときにも、笑顔は見られなかった。  付き添ったおれにしてみれば少し拍子抜けというか、付き添いがいがない子だな、なんて思いもしたものだ。けれどそんなゆとりがないのも無理ないか、と山をおりて冷静になった頭で思ってぼんやりしていたら、ズビビっとジュースを飲みきった友人が声を上げる。 「そしたら、その子のほうになんか変なこと起きてないか聞いてみれば? 同じ山にいっしょに登ったんだろ」  と、こいつにしてはまっとうな意見。 「あー、そうだな。そんなに付き合いがある親戚じゃないからなあ。でもまあ、近いうちに聞いてみるわ」  まっとうだけれど今は求めていなかった意見に、おれはあいまいな返事をする。できれば親戚の家に関わりたくはないんだよな、と胸のうちで呟いたのが悪かったのか。  友人と話したその日の夜、おれは親戚の家に向けて歩いていた。山に登ったときのように、親戚の子どもを連れて。 「……」 「……」  沈黙が気まずい。  街灯の灯る路地におれの押す自転車の車輪の音が、からからと嫌に響く。  隣を歩く子どもの背中で、ランドセルがことことと小さく鳴る。 「……」  沈黙ばかりが続いて、けれど急ぎたい道行きでもなくて、おれ以上に歩みの遅い子どもにあわせてのろのろ歩く。  どうしてこんなことになっているのやら。現実逃避の意味をたっぷり込めて、おれは考えてみることにした。  なぜおれが親戚の子どもとふたりで歩いているのか。それは、子どもからおれに電話がかかってきたからだ。  おれの携帯の電話番号を知っていること自体は、不思議ではない。このあいだの山登りの際、万一はぐれたときのためにとおれの携帯の電話番号を書いた紙を渡しておいたからだ。  幸いなことに山登りの日に活用されることのなかった番号のことなど、おれは忘れていた。だから、夕食前のひとときを自室のベッドでだらだら過ごしているときにかかってきた電話に画面も見ずに出て、はじめはいたずら電話かと思ったのだ。 「…………あの……」 「……っあ、サトルくんか?」  長い沈黙とたったふた言の声で、相手を特定できた自分を褒めたい。まあ、子どもの声でおれの知っている人物など、彼以外思い浮かばなかったのだけれど。  携帯電話の画面を見れば、公衆電話からの電話だと表記されている。陽の落ちた時間帯に、親しいわけでもない小学生が公衆電話から電話をかけてくる事態。  どうした、何かあったのか、ひとりでいるのか、などと聞いてもはっきり返事をしない彼の居場所をどうにか聞き出したおれは、彼のもとに駆けつけた。  そして慌てて駆けつけたものの、彼にかける言葉が浮かばなくてとっさに妙なことを口走る。 「このあいだの山、きれいだったねっ」  息を切らして自転車から降りた人間がそんなことを言ったのが予想外だったのか、彼はきょとんと目を丸くした。こんな空気を読まない話題がこだましなかったことは、良かったのか悪かったのか。言葉がこだまする原因も不明だが、こだまする条件もわからない。  ともかく、おれは薄暗がりに所在無げに立つ子どもを街灯の明かりの下に連れ出して、その全身を確認する。   「怪我とかは、してないみたいだね。良かった」 『良かった! 良かった。良かった……』  なぜこのタイミングでこだまするのか。おれは、ほっと安堵の息さえ吐けないというのか。  いろいろと疲れたおれは、あたりを見回してから不思議そうな顔をするサトルくんに説明するのも面倒になった。 「あー……。まあ、とりあえず、家に送るよ」  だから、深く考えずに彼を促して歩き出したのだが。   「…………」  それからずっと続く沈黙が辛い、というわけだ。  まあ、冷静になって考えてみれば当然だ。彼の家の事情をかいつまんでしか知らないおれでも、サトルくんの立場だったとして、家に帰りたくないと思うだろう。  なぜだかはわからないが、親しくない親戚のお兄さん(だと思ってくれていると嬉しい。さすがにおじさんは、まだちょっとダメージがきつい)に電話をしてみたもののちっとも役に立たず仕方なしに帰路についたとしても、気分は弾まないし足取りも重くなるだろう。  そんなことは想像できるけれど、気の利いた言葉は出てこない。うかつに喋ってこだまするのも、いまの雰囲気ではやめていただきたい。しかしなぜ彼はおれに電話をしてきたのだろうか?  なんてことを考えながら歩いていたら、けっこうな時間が経っていたらしい。とうとうサトルくんの家が見えてきた。  ますます足取りが重くなる彼を待ちながら、街灯の明かりに浮かび上がる家の前にたどりつく。明かりの漏れる家を前にして足を止め、携帯電話の画面を確認すれば時刻は夜の十時過ぎ。小学生が保護者もなしに街をうろつくには、遅い時間だ。 「おれの母さんがサトルくんのお父さんお母さんのとこに行って、サトルくんはおれといっしょにいるって話しをしておくって言ってたから」  言ってはいたが、なにを言いに行ったのかその結果どういう状況になっているやらわからないが、自分の家を前にして尻込みする子どもをはげまそうと声をかけても、小さな足は前に出ない。  困ったおれは、ずっと押していた自転車を家の前に止めて彼の前に右手をだした。 「なんなら、今日はおれの家に泊まりに来てもいいから。少しだけでもお父さんお母さんに顔、見せて来よう」    本当は帰りたくないだろう彼を追い詰めないように、できるだけ優しく聞こえるように言って待つ。  そして、しばらくしてからおそるおそる伸ばされた小さな手を引いて玄関を開けると、見慣れない玄関に見慣れた靴。おれの母親の靴を見つけて、ほんの少し安心する。  けれど、ほっとしたのも束の間。 「そんなこと言って、あの子はどうするのよ。可哀想だと思わないの!」  甲高い声がすぐそばの部屋から聞こえて、つないだ小さな手がびくりと震える。 「おまえ、今は姉さんがいるんだから大きな声出すなよ。それよりも、サトルが帰ってきたときに俺たちがけんかしてたら悲しむから……!」  なだめる声はサトルくんの父親だろう。夫婦仲が悪くなっていても一応、子どものことは考えているのか、と思いきや、続く声に冷や水を浴びせられる。   「今日だけ仲良いふりしたところで、どうなるっていうの? サトルのためなんて言って、お義姉(ねえ)さんの前で取り繕いたいだけでしょ!」  その言葉のとおりならば、いつもはサトルくんがいる前で今のような口げんかを繰り広げているということだ。おれが母さんに聞いている状態より、かなり悪い。  どうか否定してくれよ、と願う思いは、返す声で砕かれた。 「おまえ……っ、とにかく、やめろよ!」    否定せずに大声で相手の言葉を止めようとするということは、つまり、そういうことなのだろう。  玄関にまで聞こえる声は当然、おれの後ろにいるサトルくんにも届いている。今さら彼の耳をふさいだところで意味はないから、おれにできるのは震える手を離さないことだけだ。 「サトルくん、今日はもうこのままおれの家に行くか。言っておきたいことがあるなら、おれが伝えてもいいし」  言い争うふたりの声と、それをなだめようとするおれの母親の声がするなか、おれはサトルくんにささやいた。  一時的に逃げ出すことに意味があるのかはわからないな、とにかくこの場に彼を置いていきたくなかった。  うつむく少年は、なにを思うのだろうか。黙っているあいだにも夫婦の争う声は熱を増していき、聞くに耐えない。  もうだめだ。ここを出よう、と思ったそのときだ。震えていた小さな手が、ぐっと力を込めておれの手を握りしめた。  そして、小さな声が想いを吐きだす。 「ぼくのためって言いながら、けんかするのはやめてよ……」 『けんかするのはやめてよ! やめてよ、やめてよ……』  小さな体からしぼり出された声が、家の中にこだまする。  こだまするのはおれの声だけじゃなかったのか、と新たな発見に驚いたのはおれだけで、騒がしい部屋の中が一瞬、静まりかえる。  すぐにどたどたと足音を立てて、サトルくんの両親が部屋から出てきた。俺の母親は、その後ろからこちらをのぞいている。 「サトル、帰ってたのか!」 「良かった、心配したのよ!」  妙に明るい声で口ぐちに言いながら夫妻が駆け寄ってくるが、サトルくんはおれの背に隠れるようにして動かない。おれも夫妻の前にサトルくんを出そうとは思えず、隠すように立ったまま動かない。  それをどう思ったのだろうか。夫妻は、笑顔で話しだす。 「なあ、サトル。お母さんとけんかして悪かったよ。サトルも嫌だよな。これからはできるだけ仲良くするからな」 「そうよ。もう大丈夫。サトルが大きくなるまで、ちゃんとお母さんもお父さんもいっしょだからね」  貼り付けたような笑顔で小さな子どもに話すように、優しく語りかけるふたり。  けれど、サトルくんは姿を見せない。動かないまま、ますますおれの手を強く握りしめる。   「……めてよ」  すぐそばにいても聞き取れないほど小さな声が、もれる。  そのままにじんで消えるかと思われた声は、想いは、こだました。 『やめてよ!』  響いた声にいちばん驚いたのは、もしかしたらサトルくんかもしれない。夫妻の笑顔が凍りつくのと同時に、つないだ小さな手がびくりと揺れるのがわかった。 『もうやめてよ』 『離婚しない言いわけにぼくを使うのは、もうやめてよ……』  誰もが言葉を発しない中、こだまだけがその場に響き渡る。  誰も動かず声も出さないのは、訳のわからないこだまのせいか、こだました言葉のせいか。  その余韻も消えるころ、つないだままだった手をぎゅっと握りなおし、サトルくんが口を開く。   「……お父さんとお母さんが仲良くできないなら、寂しいけど、三人でいっしょに暮らせなくても、いいよ。我慢する」  必死で言葉を紡ぐ彼のとなりでおれは、冷え切った小さな手を握ることしかできない。  不甲斐ない。応援したい。もうじゅうぶんだ、と言ってやりたい。いろいろに入り乱れる思いが、握った手から伝わればいいのに。 「だけど……」  おれにできるのは、言葉につまるサトルくんの手を離さないでいることだけ。その手を握り返して、言葉を紡ぐのはサトルくん自身にしかできない。 「だけど、ぼくがいるせいでお父さんとお母さんがいっしょにいなきゃいけないんだったら、ぼくは、ぼくがいることが許せない……!」  吐き出された想いに応えることも、おれにはできない。  けれど、小さな体を抱きしめて、こぼれる涙を拭くことはできる。泣き崩れる夫妻が落ち着くまで、サトルくんのそばにいることはできる。  小さな子どもがありったけの勇気を振り絞って発した言葉は、きっと相手の心にこだましているはずだ。 ―――――――――――――――――――――――― 「よう、こだまは元気か?」  にやにや笑って聞いてくる友人に、おれは胸を張る。 「さあな、もう治ったからわからない」  親戚の家でこだましたのを最後に、あの不思議な現象は鳴りを潜めていた。 「ええ〜。また遊ぼうと思ったのに!」  にやけた顔から一転、不満げに口を尖らせる友人を軽く叩いておく。おれで遊ぶつもりだったことを隠しもしないなんて、どうしてこんなやつと友だちなのだろうか。  腹いせに、やつの紙パックジュースを奪って飲んでやる。 「しかし、なんで俺にくっついてたかなあ」 「たまたまじゃねーの?」  おれから奪い返したジュースのパックを手にして、うわおまえ飲み過ぎ! などとぶつくさ言いながらやつは首をかしげる。その仕草、成人間近の男がやっても可愛くない。 「うーん、でもなあ。どうにも、親戚の子のために力を使ってから治ったように思うんだよな。だから、あの子にくっついとけば良かったのに、と思って」 「そりゃおまえ、おまえとこだまの目的がいっしょだったんじゃねーの。その親戚の子のためになんかしたい、って気持ちがなんかこう、パワーになってだな」  なぜだろうと考えるおれに、友人は間をおかず答える。適当に喋っていることは明白だが、なんとなく納得できる意見だ。  もちろんそんなことを認めるのは癪なので、おれはふうん、と適当に返して、ついでにもうひとつの疑問も口にしてみる。 「もうひとつわからないのは、なぜ親戚の子がおれに懐いたか、だ」  おれの言葉にどういうことかと首をかしげる友人に、だからそれは可愛くない、とは教えてやらない。 「山登りに行ったとき、あの子、家の事情が複雑だからか喋らないし、目も合わさなかったんだよ。なのに、どうしてか突然おれに電話してきたりして、懐いてくれたんだよ」  「そりゃ、おまえが気休め言わないからじゃねーの」  なんでもないことのように友人はすぐに答えるが、今回は納得できない。どういうことだ。 「つまりー。家庭の事情ってやつで気難しくなってる子どもって、おとなの言う言葉に敏感だったりするじゃん? そこに気休めを言わない変な兄ちゃんが出てきたら、なんつーの、吊り橋効果? みたいなやつでイチコロって感じじゃね」 「そんなもんか……? というか、おれは普通にしてただけなのに」 「そーゆーとこが良かったんだろ。普通は、そういう子どもに気を使ってなんかてきとーな気休めを言うもんなんだよ」  吊り橋効果は絶対に違うと言えるが、そんなものなのだろうか。いまひとつ納得できないが、おれは友人と悠長に話している時間がないことに気がついた。 「まあ、そういうことにしておこう。それじゃあ、おれは用があるから帰る」 「おお? なんだよ急に。おまえだけは暇を持て余す仲間だと思ってたのに!」  まさか、彼女ができたんじゃないだろうな!? 裏切り者! とわめく友人を置いて、おれは歩き出す。  すっかりおれに懐いたサトルくんと遊ぶ約束をしているだけだなんてことは、やつにはしばらく内緒にしておこうと思う。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加