裏山の湖の女神

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「なあ、2組の橋本の話聞いた?」  同じアート・クラフト部に所属する大村がやや興奮気味に聞いてきた。 「2組の橋本の話って?」  他人にあまり興味がない俺は、学校内の情報に疎い。大村の問いに対して皆目見当も付かなかったので、シンプルに彼の言葉の大部分をそのまま反復しながら聞き返してみた。 「何か、裏山の奥の方に湖があるらしくてさ、そこに出たらしいんだよ」 「出たって、まさか」  俺は心霊現象的な何かを想像した。裏山の奥地なんてほとんど人が寄り付こうとしない秘境のような場所だ。いわゆる陽キャに分類される橋本のことだから、大方仲間を引き連れて肝試しにでも行ったのだろうと思ったからだ。 「そう、そのまさかだよ。出たらしいんだ女神が」 「はっ? 女神?」  思いもよらない答えが返ってきて、俺は間抜けな反応をしてしまった。 「そう、前々からその湖には女神が出るって噂があったんだよ。その噂の検証に橋本が行ったみたいでさ、本当に女神が出たらしいんだよ」  「はあ? そんなわけないだろ。どうせあいつのことだから注目を浴びようとしているんだろ?」 「うーん、でも何か石ころを湖に落としたら金の石を貰ったみたいだぜ。それをジュエリーリサイクルショップに持って行ったら、本当に金だったみたいで何十万円にもなったらしい。あいつがそんな回りくどい嘘をつくか?」 「何処かで聞いたような話だな。でも確かに単細胞のあいつがそんな面倒くさい嘘をつくのも不自然だな」  湖の女神の件は幼少の頃、誰もが聞いたことがある童話をアレンジしたのだろう。ただ、貰った金の石をジュエリーリサイクルショップに持って行って換金したというくだりは、橋本が創作したにしては妙にリアリティーがある。 「なあ、本当かどうか俺らも確かめに行かねえ? 本当だったら懐が潤うし、嘘でもネタになるしさ」 「えーっ? いいよ俺は。面倒くさい」 「何だよノリが悪いな。まあ、あんな秘境に一人で行く勇気ないから諦めるか」  翌日の土曜日、俺は一人でその湖を訪れていた。どうせなら童話のストーリーを忠実に再現しようと思った俺は、以前、粘土細工で製作した斧を湖に落としてみた。  橋本の話とやらが本当ならば、金色の斧を持った女神が現れるはずだ。しかし、しばらく待ってみても湖には波紋の一つも生じない。やはりホラ話だったか、と思い湖を背にして歩き出すと、コポコポという小さな音が辺りに響き始めた。  泡が生じているような聞き馴染みのある音。水泳を習っていた俺はなおさらその音に馴染みがあった。水中で人が息を吐いている音。俺はその音の正体に確信を持っていた。  振り向くと、水面から何かが顔を出していた。人の頭部と思われる部分から順に、徐々に浮かび上がってくる。黄金色に光っていて顔までは視認できないが、俺はその存在が何なのか見当が付いていた。その全貌が明らかになった時、俺は「ああ、やっぱりか」って安堵した。 「あなたが落としたのはこの金の斧ですか?」  彼女が、見覚えのない金色の斧をこちらに向けながら問いかけてくる。俺はそんな彼女を黙って見つめている。 「それとも……私ですか?」  二年前に些細なことをきっかけに喧嘩別れをした彼女が目の前にいた。この場所の絵を描こうと二人で訪れた際、彼女はこの湖に転落した。正確には俺が突き落とした。俺たちは交際を家族にも友人にも秘密にしていたので、俺が容疑者として浮上することはなかった。不思議なことにこの場所も捜索された筈なのに、彼女の遺体が見つかることはなかった。 「君を俺が突き落とした。本当にごめんなさい。ずっと後悔していた」  俺は彼女の問いに正直に答えた。後ろめたさから思わず俯いてしまったが、童話のストーリー通りなら俺は、金の斧も彼女も両方とも手に入れることができる筈だ。 「あなたは正直者ですね」  見上げると、彼女は微笑んでいた。二年ぶりに彼女の満面の笑みと再会することができた俺は、彼女の笑顔に引き寄せられるかのように湖の方へと歩み寄って行った。  その刹那、彼女は満面の笑みを一つも崩さぬまま、右手に握っていた金色の斧を、俺の脳天目掛けて振り下ろした。
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