にげ去と云う。

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にげ去と云う。

「へぇ」 「真島さんって言う。ご年配の女性の方なんですけど。なんだか酷く混乱していて。最初『和ちゃんが運ばれてって本当。和ちゃん、とうとう殺されたのか』って、言うんです」 「それは穏やかじゃないな」 「それで話をお伺いすることに。あっ、他の人に気付かれないように、病院裏の駐車場で聞きましたから」 良い判断だと頷く。 「どうやら和子さん。峰倉隆からモラハラの被害に遭っていたみたいなんです」 「心のDVか。それはまた難儀だな」 「えぇ。峰倉隆は過去、写真集が出るほどの人気があった。今はその人気も陰り。年のせいもあって奥さんに辛く当たっていたそうで。真島さんがよく、和子さんの相談相手になっていたそうです」 「それはどこの家庭でも起こり得る話だな」 「そう思います。峰倉隆は亭主関白気質で、暴力は振るわない代わりに、和子さんに反論を許さず。物事を何度も唱和させたり。自分の写真を褒めることを毎日の日課。次こそは写真を受賞して注目を浴びる。受賞しないのは和子さんのせいだとか。延々と、そんなことを言っていたそうです。だから真島さん。和子さんが病院に運ばれているのを偶然見てしまって、とうとう殺されたと思ったそうです」 「面倒くせぇ男だな。録音でもして一人でやってろって感じだな」 「私もそう思います。真島さんの話では和子さん、離婚しても行くあてがないから。暴力振るわないだけ優しいのよと、言っていたそうです」 「それは優しさじゃない。その状況はとても辛いものだっただろう。しかし、その話を裏付けるものは一切ない。わかるな?」 話の芯を教えろと、体を前に傾ける。 「はい。これは全て想像の域です。私は峰倉隆が意識を失う間際、もしくは死ぬ直前。多分、和子さんき向かってお前のせいだとか罵った。その後、夫が死んでしまって。元より精神を磨耗していた和子さんの心に崩壊が訪れた。だから和子さんは夫が言っていたことを繰り返した。夫が望むようなことをした」 机の上に手を置いて丁寧に語る天野。 「それが、裸にして紅葉と石を積んだ理由か?」 「そうです。だって、を浴びるじゃないですか。夫の意思を和子さんは継いだ。言葉を繰り返すのもそう。夫が和子さんに強いたことを、忠実に今でも守ってる。峰倉隆は死んでサトリになった。そして。和子さんの心を惑わして行った。私、そう思ってしまったんですよね」 だから、あのメッセージが来たのか。 なるほどと思い。口を開いた。 「友人の話しでそこまで想像出来るのは、良いとしよう。でも、その内容じゃ調書に書ける訳がないだろう。上に報告しても門前払いだ」 「……はい」 天野がキュッと手に力が入るのを捉えた。 「しかしだ、このまま終わるのは面白くないな」 「!」 「せめて、調書に『峰倉隆は妻にモラハラをしていた』ぐらいの一文は付け加えてやろうぜ。サトリ風情が俺達をも惑わすなんて百年早い」 「はいっ!」 ぱあっと顔を明るくする天野を見て笑いながら、ふっと思った。
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