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達也は同棲している恋人の帰りを待っていた。
三十分前に愛犬、小太郎と散歩に出た切り帰ってこない英美里。
いつもは十五分ほどで帰ってくるが、今日は倍近くの時間がかかっている。
念のためにメッセージアプリに連絡を入れたが、既読もつかなかった。
まぁ、大丈夫だろうとは思うが、少し様子を見に行こうかと部屋を出ようとした達也の足を、着信音が止める。
着信は、非通知でかかってきた。
訝しげに通話に応じると、電話の先から聞きなれた女性の声が返ってくる。
「お前の大切な子は預かった」
聞きなれた声が低い声で、芝居かかった声で伝えてくる。
「いま、声を聞かせてやる」
と、尚も芝居がかった声で脅しをかけた後に、いつもの自然な声で『小太郎、小太郎』とじゃれつくような言葉を発し、それに反応した小太郎は楽しそうに吠える。
「俺の大切な子の無事は分かったが、俺の愛する英美里はどうした? 一緒に散歩してたはずなんだが」
「えっとね……死んだ」
「死んだって、殺したのか?」
「えっ、まぁ、そんな感じ」
「誘拐どころの騒ぎではないぞ」
「まぁ、私は凶悪だし」
「で、その脅迫犯の要求は?」
芝居がかった声を忘れてるぞと言いたくなったが、我慢して話を進める。
「心を込めて、愛してるというのだ」
達也は、耳を疑った。
「なんで俺が、誘拐犯に愛してると言わないといけないんだ?」
「その、亡くなった英美里の為に」
「そういう想いがあるなら、英美里を殺さないでほしかったんだが」
「さっきのは噓。英美里は生きてるから、愛してると言ってあげて」
もう、目的が完全にぶれているが、余計な突っ込みを入れると話が進まなくなるので目を瞑る。
「俺は、いつも英美里に愛してると伝えてるぞ」
「英美里は、いつも言われているから、少し不安に思っている」
「そうは言っても、大好きだから、常に好きだよとか、愛してると伝えたくなるんだが」
「どういうところが大好きなんだ?」
「すぐにやきもちを妬く。束縛をする。優しい。可愛い。お洒落。センスがいい。面倒見がいい。甘えん坊。照れた顔も可愛い。心配性。活発。明るい。泣き虫……」
達也は、一人山手線ゲームをするように英美里の好きな部分を数十分言い続ける。
全てが好きという言葉ではしょらずに、一つ一つ好きな部分をしっかりと伝えていく。
「不安に思って、こういう馬鹿げたことをしたりするところも好きだよ」
最後にそう伝え、達也は『帰っておいで』と優しく伝える。
「分かった。とても愛されている英美里とワンちゃんを解放しよう」
最後の最後で声を低くして、誘拐犯の演技をする。
数分後、英美里と小太郎が散歩から帰ってくる。
いつもより大好きな散歩を長くできた小太郎は、嬉しそうに帰ってきて、疲れたのだろう、すぐに眠りにつく。
「ただいま」
笑顔で帰ってくる英美里。
「散歩、お疲れ様」
「うん、誘拐されたり大変だった」
笑顔で答える英美里を、達也は力強く抱きしめる。
「もう、誘拐されないように、不安にさせないように捕まえておく。愛してるよ」
了
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