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近藤さんは役場の仕事があるからと帰っていき、私たち3人だけで森さんの家に上がらせてもらった。薪ストーブの暖かさにホッとする。
「まず何から話そうかね。巳泉村の人たちは蛇様の嫁取りのことはよそ者には一切話してはならねえという掟があったそうなんじゃ」
語り始めた森さんにふむふむと頷きながら、さりげなく家の中を見回す。
ずいぶん質素な暮らしだ。村八分にされるというのは、この閉鎖的な村落においては私の想像以上に大変なことだったのだろう。
「巳泉村の女性が逃げてきて、森さんのご先祖が匿ったんですよね? 土砂崩れか何かで避難してきたということですか?」
2年前に起きたような災害が、数百年前にも巳泉村を襲ったのだろうか。
そう思って尋ねたら、森さんは「違う違う」と首を横に振った。
「匿ったのは先祖じゃなくて、このわしじゃよ。その女子は蛇様に嫁入りさせられそうになって逃げてきたんじゃ」
「え⁉ それって何年前の話ですか?」
「そうさな。かれこれ75年になるかのう。わしがまだ15の乙女だった頃じゃよ」
ホホホと口元を隠して笑う森さんの若い姿なんて想像もできないけど、勇気ある少女だったことは間違いない。
村八分にされる危険を冒してでも、人助けをしたんだから。
「わしはそれまで、隣村では蛇を神として祀っている祠があるということぐらいしか知らなかったんじゃ。だから女子が裸足で命からがら逃げてきたとき、悪い男に襲われたに違いないと思ってうちの納屋に匿ったんじゃ。そしたら蛇様に嫁入りさせられそうになったと聞いて、たまげたたまげた」
「蛇様というのは本物の蛇なんですか?」
「元々は天に届くほどの大蛇だったと言われているそうな。それが代々人間の娘を嫁にするようになって、どんどん人間の血が濃くなったために、今ではすっかり人間と変わらない姿をしているらしい」
「え……代々? ということは嫁取りをした後、その蛇は死んで、その子どもが次の蛇様と崇められていたということですか?」
森さんは「そうじゃよ」と頷いてから、お茶のおかわりを淹れるために「よっこらしょ」と立ち上がった。
「私がやりましょうか」と腰を浮かせたけど、「お客さんは座ってな」と言われてしまった。
「ねえ先輩。蛇って爬虫類ですよね? 卵で繁殖する奴が哺乳類の人間をどうやって孕ませることができるのかな? 変じゃないですか?」
「昔話なんてそんなもんだろう。桃から人間が生まれたりするんだ」
先輩は素っ気なく答えたけど、たかだか75年前の話は昔話とは言えないと思う。
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