ホテルの夜

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「おそらく村野が大蛇の子孫だ。国見プロデューサーが番外編の企画に賛同したのは、村野が暗示にかけたからだよ」 「待って待って。もしかしてさっきの天ぷら御膳に毒が盛られてた?」 「その危険はあったな。だが別に何ともないだろ? その……俺を見て変な気になるとか」 「変な気?」 「こう……ドキドキするとかムラムラするとかさ」 「あー! 全然ないですね。まったく! これっぽっちも!」  私が親指と人差し指をくっつけて見せると、先輩はなぜかガッカリしたみたいに項垂れた。 「ということは前もって飲食物に毒を仕込んでも無意味だということか。テーブルに並べられてからは、俺が目を光らせていたから村野も下手に動けなかったんだろう」 「でも、変じゃないですか? 泉巳くんが私を妻にしたいのなら、別にここまで連れてくる必要なんかなかったはずです。会社でも車の中でも、毒を盛るチャンスはいくらでもあったんだから」 「つまり鮮度が大事ってことだろう」  先輩の言葉の意味がわからなくて「鮮度?」と首を傾げたところで、エレベーターが地下1階に着いた。  ドアが開くと、泉巳くんやさっきの中年夫婦、ホテルのフロントにいた大柄な男性までが待ち構えていた。  うわー! 万事休すって奴じゃない?  私は足が震えてきたのに、先輩が私を庇うみたいにズイッと前に出た。 「なあ村野。鮮度が命なんだろ? 嫁取りの前に精力をつけるために泉の水を飲むのも、前もってペットボトルに汲んでおいたんじゃダメなんだよな。効果が持続するのは、飲んでからせいぜい2~3時間ってとこか?」 「泉の水? あー、もしかして泉巳くんが1人で泉を撮り直しに行ったのって……」 「おまえらがトイレに駆け込んでる間に映像をチェックしたら、森さんのインタビューの後は何の映像もなかったぞ? 水を飲むのに必死だったか?」  一瞬グッと奥歯を噛みしめた泉巳くんだったけど、「何を言ってるんですか?」と空っとぼけた。 「そっか。だから会社では毒を盛れなかったんだね。この企画が通るように国見Pに暗示をかけたのも、私を泉の近くまで連れてこなくちゃいけなかったから。ていうか、そもそもの投稿主の名無しさんも泉巳くんなんでしょ?」 「厨房で夕食に毒を盛らなかったのは、直接おまえが犬歯から垂らさないと効かないからだよな? これも鮮度が大事ってことだ」 「バレちゃったなら仕方ないですね。都川さんには崖から転落でもしてもらいましょうか」  ニヤリと不敵に笑う泉巳くんは私が知っている穏やかな泉巳くんとは別人のようで、犬歯がいつもより尖って見えた。
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