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プロローグ
――……人間、思いもよらぬ事があると、硬直するものなんだな。
残業を無理矢理切り上げ、終電に間に合うようにダッシュしたのに、改札でスマホを忘れた事に気づいた私。
疲れ果てたまま、トボトボとUターン。
オフィスが入ったビルの警備のオジサンに苦笑いで通してもらい、エレベーターで、十階まで向かうと、数十秒で下り立ち、ロッカールームにダッシュ。
「――無い。……じゃあ、デスクに置き去り?」
自分の狭いロッカーに落としたかと思い、漁ってみたが、影も形も見えない。
おそらく、ボンヤリしながら帰り支度をしたから、置きっぱなしだったのかも。
ウチの会社、貴重品は、自分のデスクの鍵付き引き出しに入れる事になっている。
更に疲労を感じてしまうが、どうにか足を動かし、数メートル先のオフィスへ向かおうとすると――不意に、何か言い争う声が聞こえた。
――……え。
一瞬で冷えた心臓を温めるように、手を当てる。
通常よりも、かなり速まっている鼓動を確認しながらも、ゆっくりと、声の聞こえた方のドアに近づいた。
――まさか……泥棒……?
警備員のオジサンは、交代制で二人ずつ。
けれど、見回りは一人ずつだったから、隙があったのかもしれない。
そんな事を思いながら、そおっとドアノブを回し、手前に引く。
――どうか、気のせいでありますように。
そして――私の願いは、一応、叶った。
一応、は。
目の前に広がる光景は――泥棒よりも、衝撃が強かった。
イスに座っている男に、覆いかぶさるようにキスをする――男。
外の光で、逆光になってはいるが、それは、判別できた。
「……っ……」
私が息を吞んだ瞬間、ガタリ、と、静かな部屋に衝撃音が響き渡る。
キスをした方の男が、イスを倒したようだ。
そのまま、こちらを見て、硬直している。
――そして、された方の男は、呆然としているのか、ピクリとも動かない。
二人を交互に見た私は、そのまま、無言で頭を下げ、勢いよくドアを閉めた。
「お、おいっ!待てっ‼」
ダッシュでエレベーターに向かう私を呼び止める声。
――だからって、止まると思うか!
すぐに開いた扉を手でこじ開けて、中に飛び込む。
そして、バチバチと、一階のボタンを連打。
その間も、心臓はバクバクと鳴りっぱなし。
――……一体、私は、何を見させられたんだろうか……。
動く箱の重力に身を任せるように、壁に寄りかかり、大きく息を吐く。
そして、疲れで停止した頭は、簡単に結論を出した。
――うん、見なかった事にしよう。
それが、一番。
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