いざ彼の住み処へ

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 ……私は一瞬、ほんの一瞬だけ、中学時代の「彼」と楓さんを何故か結びつけてしまっていた事を、頭から念入りに振り払った。  楓さんは私の様子をちらりと見た後、苦しそうにも何かを計りかねてるようにも見えるような、複雑そうな表情になった。 「君は、ひょっとしてあの時の事を覚えているのかい? 俺の事を覚えていない癖に」  楓さんは私に聞こえないぐらいの小さな声で何かを言った。 「何か言いました?」 「別に? ……まぁそんな訳はないか」  楓さんは一人で勝手に何かを結論づけ、私の手を握り直した。  その手の男性らしい感触に、少しだけ胸がさざ波だった。何だ、この謎の感情は?  楓さんはそのまま歩き出し、私も後に続く。 「じゃあ行こうか、俺と君がこれから一緒に暮らす住み処に」  楓さんと私は改札をくぐった。  ……流石にこの時だけは楓さんも私から手を離した。手を繋いだままは無理だと判断したようだ。 「でも、ちょっとは君の気持ちも解れたかな」  いつもツンケンしている楓さんにしては珍しい、落ち着いた声だった。 「? 確かに今、特に緊張とかはしてないですけど」 「それならいい」    「どうしたんだろう?」と不思議に思っていたが、そのまま無言で歩く中で、楓さんの言動の中で思い当たる節を見つけた。  楓さんはひょっとして、私のこれからの生活への不安な気持ちに気づいて、わざと私の気が紛れるような事を話してくれたんだろうか? 考えすぎかな?  一連の楓さんとの込み入ったやり取りで、私の中にそんな気持ちがあった事すら若干忘れかけていたけど、私が新生活への不安を感じた直後に、楓さんが私に色々言い始めたのは確かだった。  ものすごーく好意的に取ればだけど、さっき結婚詐偽云々と言っていたのも、私をわざと怒らせて不安な気持ちから目をそらさせようとしてた?  楓さんは今でも私のペースで歩いてくれているし、さりげなく私に気を配ってくれるような人ではあるのかもしれない。  言動は滅茶苦茶冷たいし、無表情or嘲笑が表情のバリエーションの8割を占めているのは、どうにかしてほしいけど。  私はこれから一緒に暮らすのであれば、なるべくならもっと穏やかなコミュニケーションをとりたいので。  でも、もしかしたら楓さんにもちょっとは優しい所はあるかもしれないな、なんて今までの経緯からするとあまりにも呑気すぎる事を私は考えていた。  ……基本酷い性格と態度の人というのは間違いないので、あんまり積極的に心を許したくはないな、とは思うけどね! 本気で!  気づけば、私の心の中についさっきまであった筈の、これから始まる新生活に向けた不安の気持ちは大分薄らいでいた。
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