14.つかの間の平穏

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14.つかの間の平穏

出張当日は通常通り出勤し、新幹線の時刻に合わせて出発することになっていた。 まずはその前に大槻に挨拶しようと、拓真と一緒に部長席へ向かう。途中にある経理課の前を通った時、太田と目が合った。これまでであれば何らかの形で挨拶をしていたものだったが、この時はさすがにそんな気にはなれず、彼から目を逸らして無言のまま通り抜けた。 「笹本さん?」 いつもと違う私の様子に気づいたらしく、拓真が気がかりそうに声をかけてくれたが、私は慌てて表情を取り繕った。 「早く部長に挨拶しましょう」 その後総務課に戻り、皆んなに後を頼む。 「それでは行ってきます。不在の間の私たちの業務、よろしくお願いします。急ぎの件は、携帯か支社の方に連絡してください」 「気を付けて行って来てね。こっちの方は心配いらないよ。斉藤さんと課長がなんとかするから」 「あぁ、任せてくれ。お土産よろしくな」 「二人は遊びに行くわけじゃないぞ」 そんな賑やかな声に見送られて、私たちはそれぞれ荷物を持ってロビーに降りた。すでに呼んであったタクシーに乗る。 新幹線は指定席を取ってあった。乗車時刻まではニ十分ほどの余裕がある。 私は売店の前で足を止めて、移動中の飲み物とチョコレートを買った。 それを隣で見ていた拓真がくすっと笑い、会社という場を離れたからだろう、砕けた口調で言った。 「今はハイカカオのやつが好きなんだな。昔は確か、ミルクチョコが好きだったよね」 どうでもいいような、そんな些細なことまで記憶に残っているのかと驚いた。同時に彼の中に私との思い出が確かに残っているのだと思い、嬉しくなる。
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