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安藤萌子は最悪だった。なんで私が……。
憤りと悔しさが込み上げてきて下の瞼が潤んでくる。涙がこぼれないように空を見上げると、いまにも降り出しそうな灰色の雲が垂れこめていた。まるで私の心を写したみたいだ……。
降り出す前に急がなきゃと思うも、重い心がつま先に転移したようで足が前に進まない。新宿駅に向かう人の群れが後ろから追い越してゆく。肩にぶつかられ「チッ……」と舌打ちされた。
萌子は歩道の左端に避けて、人混みから外れて駅に向かった。そのとき「あなた!」と、呼ばれた気がしてふと足を止めた。
振り返ると、赤いメガネの中年のおばさんと目が合った。白い七分袖のワンピース姿で百貨店の壁際に立っていて、足元に紙袋が置いてある。
萌子が首をかしげて自分を指さすと「そう、あなた」と手招きをした。知らないおばさんだったが、ふっくらした優しそうな面持ちに警戒心が薄れ、来た道を引き返した。
「あの……?」と、近づいて声をかける。
「ごめんなさいね急に」
「はい、いえ……」
「あなた……嫌なことがあったでしょう」
いきなり言われてドキリとした。
「まさかとは思うけど、変な考えはおよしなさい」
「え?」
「近ごろ電車が止まること多いじゃない」
「あ……それはないです!」と、慌てて手を振る。
「ごめんなさいね、ぶしつけに。ただ、あなたに悪い相が見えたから、つい気になってしまって」
「はあ……」
見ず知らずの他人にいきなり嫌なことを言う人だなと、気を悪くした。
「あの、それだけですか?」
「ごめんなさい引き留めて。でもあなた、しばらく気をつけなさいね……」
「じゃあ私急いでますので」
咄嗟に口から出まかせを言って駅に向かおうとしたら、
「あ、これお持ちになって」と、小さな冊子を渡してきた。萌子は冊子を手にしたまま会釈をして、足早に駅に向かった。
いつもは急行で帰るのだが、混んだ電車に乗る気がしない。各駅停車の座席に腰をおろし、膝の上のトートバッグから、さっきの小冊子を取り出した。
表紙に手をかけたとき発車のアナウンスが流れて、スーツ姿の男女が駆け込んできた。五十代くらいの男とアラサーと思しき女だ。つい自分と重ねてしまい、二人の後ろ姿を恨めしそうにじっと見つめた。
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