母との確執

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「こんばんは」  そのニヤついた顔を見た瞬間、全身に怖気が走った。  思いつく限りの悪態をついて追い出したいのに、体が竦んで身動きができない。 「は……、母は……?」  微かに震える声で尋ねると、岩淵はニタァ……と粘着質に笑った。 「お酒を飲み過ぎたのかな。眠ってるよ」  その言葉を聞いた瞬間、ザッと顔から血の気が引くのが分かった。  どこにも逃げ場がない。  時刻は遅く、友達のところに行くには非常識な時間だ。 「……私も寝るので、出ていってください」  絞り出すように言ったが、岩淵はニヤニヤ笑いを顔に張り付かせたまま、ベッドに近づいてくる。 「……母に言いますよ」 「今頃、夢の中さ」  キザったらしく言う岩淵が、憎たらしくて堪らない。  確かに岩淵は小綺麗な格好をしているし、小金持ちそうな男だ。堅物な父になかったユーモアがあるし、母が惹かれるのは分かる。  父を喪ってズタズタになった母にとって、岩淵は甘い言葉をかけ、側にいて癒してくれる人なのだ。  母は岩淵を盲信し、きっと春佳より彼を信頼しているだろう。 (お母さんがこの人に頼りたくなる気持ちは分かる。私だってお父さんを喪ってつらいし、側にいてくれる人がいたら、その人を頼ると思う。……でも)  だがどう考えても、岩淵は常識的な人ではない。  母と結婚する気でいるならともかく、年頃の娘がいる家庭に入り浸るなど、普通ならしない。  母との将来を考えているとしても、こんな常識のない人が義父になるなどあり得ない。 (まして、十九歳の娘の部屋に来て、何をしようって言うの?)  考えている間、岩淵はベッドの上で強張った顔をしている春佳の前に立つ。  側に立たれるだけで酒臭く、彼の体臭と香水の匂いも相まって、具合が悪くなるような悪臭が鼻をつく。 「……警察を呼びますよ」 「民事不介入っていう言葉を知ってる?」  微かに軋んだ音を立て、岩淵が片膝をベッドについた。  彼は目尻に皺を寄せ、垂れた目をさらに細くさせてニタァ……と笑った。 「初めて見た時から可愛いと思っていたんだ。涼子さんも美人だけど、春佳ちゃんは若くて可愛いね。好きな物があったら買ってあげるし、もっとお洒落な服を沢山買ってあげよう。今の子ってへそ出しルックが流行ってるんでしょ? スイーツも化粧品も春佳ちゃんの望む物をあげるよ」 「……やだ……。……やめてください……っ」  ベッドに乗り上げた岩淵の陰で、春佳は必死に壁際に身を寄せる。  岩淵の横をすり抜けられないか様子を窺っているが、彼は酔っぱらって充血した目をしつつも、春佳の一挙手一投足を見逃さない雰囲気を醸し出している。 「母娘ともども可愛がってあげようね」  猫なで声で言われた時、腰からうなじにかけて悪寒が駆け抜け、春佳の中で何かが弾けた。 「いやぁっ!」  春佳は悲鳴を上げ、バッと岩淵の横をすり抜けて床に足を置いた。  だが物凄い力で腕を掴まれたかと思うと、放るようにベッドに戻された。  すぐに起き上がろうとするが、彼女の体の上に岩淵がのしかかる。 「気持ちいい事をするだけだから、いいだろぉ~」  先ほどまでの機嫌を窺うような態度はどこかへ、岩淵は傲慢な支配欲を剥き出しにした。 「やめてっ! いやだっ!」  春佳は必死に脚をバタつかせ、抵抗する。  人に暴力をふるった事などないし、何かから力一杯逃げようとした事もない。  生まれて初めてレイプされかけ、混乱と恐怖とで春佳の頭の中は真っ白になっていた。
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