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「いま使ってる部屋、そのまま春佳の部屋にしていいから。今はベッドしかないけど、他の家具が必要なら買いに行こう」
「……ありがたく居候させてもらうけど、家具ならわざわざ買わなくても、実家にあるのを持ってこればいいんじゃない?」
量販店の家具でも、大きい物なら万単位の値段がする。
無駄な買い物をするぐらいなら、運ぶのは大変だろうが家から持ってきたほうが早い。
そう思って言ったのだが、冬夜は受け入れなかった。
「あの家にある物を俺の家に入れたくない」
いくら冬夜が高給取りで母に反感を持っていたとしても、そんな言い方をしなくても……と思ったが、彼は考えを変えなかった。
(この家の主はお兄ちゃんだし、そう言うなら従おう。買ってくれるらしいけど、お金を出させるのは申し訳ないから、貯めていたお金から払おう)
「ねぇ、私の机の鍵付きの引き出しに、封筒に入ったお金なかった?」
冬夜から荷物を受け取った時に、貯めていた金がなかったのが気になっていたので、兄に尋ねる。
すると彼は複雑そうな表情になり、ポケットから下りた畳んだ茶封筒を出した。
受け取ると、それは今まで春佳が金を入れた日時と金額を書いた、貯金封筒だった。
だが中身が入っている様子がなく、嫌な予感がした春佳は、封筒の口を開けて中を覗き込んだ。
「…………なんで?」
千円単位でちまちまと貯めていたので、割と厚みがあったはずなのに、封筒の中には何も入っていない。
呆然とした春佳は、理由を求めて兄を見る。
「……迷惑料、とった?」
しかし冬夜はゆっくりと首を横に振る。
「あの女が使い込んだの、気づかなかったのか?」
兄が言う〝あの女〟が誰なのか直感で理解しながらも、信じたくなくて尋ねた。
「……あの女って……」
「春佳の母親だよ。俺は春佳の貯金を知ってたから、荷物を持ってくる時に『金はどうした』って尋ねた。そしたら全部酒代に使ったって言いやがった」
兄の口から事実を聞かされた瞬間、床がガラガラと崩れて、奈落の底に突き落とされたような感覚に陥った。
そして、芋づる式に定期預金の事を思いだす。
「……私の預金通帳は?」
信じたくない表情で尋ねた妹に、冬夜は苦々しく答える。
「そんなもんないよ。あの女、昔から『将来のために貯金しておく』って言っておきながら、春佳がもらったお年玉、全部使ってたんだから」
「……そんな……」
信じたくない事実を知り、ジワジワと絶望を得ると同時に、ゆっくりと悲しみと怒りが全身を包んでくる。
春佳はクシャリと表情を歪め、涙を零す。
「……どうして……っ」
いくら母が情緒的に不安定で、依存症気味なところがあったとはいえ、娘が地道に貯めてた金を使うなんて思いもしなかった。
「…………っ」
春佳は拳を握って力一杯自分の太腿を叩き、しばらく激しく嗚咽した。
悔しくて、悲しくて、信じられなくて、自分の母だというのにあまりに情けない。
冬夜はしばらくソファに座って妹の泣き声を聞いていたが、やがて立ちあがってキッチンに向かうと、温かい紅茶を淹れ始めた。
やがて、牛乳をたっぷり入れた、春佳好みのミルクティーが出される。
「……ありがと……」
思い切り泣いて落ち着きを取り戻した春佳は、鼻声で礼を言うと、エアコンの効いた部屋で温かいミルクティーを飲む。
冬夜も向かいで紅茶を飲んでいたが、やがてポツリと言った。
「失ったものは戻らない。時間は逆戻りしない」
絶対的な世の道理を言われ、春佳は小さく頷いた。
「……ただ、春佳が完全にあの女と縁を切り、自分の手でこれからの人生を切り開いていくなら、やり方一つで金は稼げる。今、家庭教師のアルバイトをしてるのは、あの女に言われたからだろ? 前に『コンビニや飲食店のバイトはいかがわしいと言われた』と言っていたよな」
言われて、春佳は頷いた。
不意に昨日考えていた事を思いだした。
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