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「そ、そんな訳ないでしょ。私、妹だし……」
ブラコンだと思われかねないと思った春佳は、慌ててオレンジジュースの続きを飲む。
心配せずとも、周囲から見れば立派なブラコンなのだが、彼女はいまだに取り繕えると思っている。
千絵は春佳の反応を見てから溜め息をつき、テーブルの下で脚を組んで言う。
「春佳はやっと毒親から解放されたんだから、もう少し自分の人生を生きていいと思う。今まで何をするにもお母さんの反応を気にして、のびのびできていなかったでしょ? だから自由に恋愛する事を諦めて、身近にいるイケメンのお兄さんを慕っていたんだと思う」
「そんな事ないよ」
先ほどと似たような反応を見せつつも、春佳の否定する声は小さい。
千絵に指摘された通り、自分の世界がとても狭かったのは自覚している。
冬夜はとても素敵な人だし、自慢の兄だと思っている。
兄は春佳が母に叱責されるたび、必ず庇ってくれていた。
いっぽうで春佳は父に優しく接されていたものの、それだけだった。
父は春佳に対してどこか一線を引いた雰囲気があり、家族なのに〝とても仲のいい知り合いのおじさん〟という感覚があった。
だから厳密に〝何事にも親身になって心配してくれた家族〟は、冬夜しかいなかったともいえる。
「ゆえに、彼に執着心がある」と言われたら、なんとも言えない。
ズバリ言い当てられて密かに焦っていたが、千絵はそれ以上追求しなかった。
彼女はリゾットを一口食べて「んま」と言いつつ、チラッと冬夜のほうを見る。
そして口内のものを嚥下してから言った。
「気持ちは分かるよ。あんなに格好いいお兄さんがいたら、そりゃ女に渡したくなくなるわ」
「あはは……」
結局、冬夜がイケメンだという話に戻り、春佳は気の抜けた笑い声を漏らす。
「でもさっき言ったのは本音だよ。悪いけど、春佳は視野が狭くなってたと思うから、これからはもっと色んな人を見てみなよ。……以前の合コンは悪い事したけど」
ずっと触れられずにいた合コンの事を話題にされ、ドキッと胸が鳴った。
「……あの人、なんか言ってた?」
「んー、まぁ、想像しうる文句は言ってたけど、お持ち帰りしようとしてたの見え見えだったからね。一次会からあれはないわー。引くわー」
千絵は顔の前でパタパタと手を振り、嫌悪露わな顔をする。
「他の女子も春佳の事を気の毒がってたよ。あいつ、あからさまに春佳を狙い撃ちしてたし、雰囲気ヤバかったもん。ま、これに懲りて次回からは慎重に女の子を口説くんじゃない? 知らんけど」
言ったあと、千絵は豪快に笑いビールのジョッキを呷った。
春佳は友人に合わせて笑いながらも、千絵の声が大きくて冬夜がこちらを見ないか、ドキドキしていた。
だが冬夜は女性とビールを飲みながら、普段は見せない明るい表情で会話している。
知らない男性の顔をしている兄を見て、春佳の胸に黒い澱が溜まっていく。
――お兄ちゃんのくせに。
――その女性、お兄ちゃんがレバー嫌いなの知ってるの?
――果物の苺は好きだけど、お菓子の苺味が嫌いなの、知らないでしょう。
――いつからの知り合いなの? 何回会ったの?
胸の奥がキリキリと痛み、胸の奥でどす黒い感情が大きくうねり、春佳を圧迫する。
それに負けてしまえば、大きな声を上げて兄とあの女性に突進してしまいそうだ。
冷え冷えとした怒りに晒されているのに、胸の芯部はとてつもなく熱い。
感情が高ぶったあまり涙が零れてしまいそうになった春佳は、兄から視線を逸らすと、冷えて固まりつつあるカルボナーラをフォークで巻く。
(血の繋がった兄に嫉妬するなんて、私は変態だ)
心の奥底で、冷静なもう一人の自分が呟く。
――だって、お兄ちゃん以外に私を大切にしてくれる人、いないでしょう。
(きっと千絵に『依存だ』って言われる)
――依存せざるを得ない家庭環境にあったんだよ? 私、〝可哀想な子〟だったし。
――本当はお母さんの言う事を聞くの、ずっと嫌だったけど、お兄ちゃんが庇ってくれるからやってこられたでしょ? そんな大切な人を知らない女にとられてもいいの?
(大人になったら恋人ぐらいできるでしょ。妹がしゃしゃり出て兄の恋の邪魔をするなんて痛すぎる)
――なら、お兄ちゃんとあの女が結婚したとして、祝福できるの?
心の中でもう一人の自分と戦いながら、春佳はのびたスパゲッティを無心に噛む。
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