唐紅に染まる

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唐紅に染まる

冬が足音を立てながら近づいてくる。 秋はそんな冬から逃げるように去ろうとしていた。 お日様が出れば暖かいのだろうけどもう日は沈みかけている。 あたしはどこかに足を運んでいた。 ほとんどの道なんてない森の中の獣道を進んで行く。 どこに向かっているのだろう、でも身体は確かにその道を覚えている。 一歩一歩進むたびに草木が揺れ、名前も知らない小さな花が足元で騒いでいる。 風が大きく吹き、あたしは足を止めた。 「待ってたよ」 「ハル……会いたかった…」 視界が歪み、じんわりと頰が暖かくなる。 彼は私の頬にゆっくりと手を当てた。 「スズ、泣かないで」 彼はそっと囁いた。 ゆっくりと日は沈み、辺りはなにも見えない暗闇に包まれた。 * 明るい陽光とじりじりと大きな音が鈴音の感覚を呼び戻した。 その正体が目覚まし時計の音だと気づくのに僅かに時間がかかった。 「また同じ夢……」 鈴音はここしばらく続けて同じ夢を見ていた。 ちょうど数日前、この小さな田舎街に引っ越してきてからだ。 それまでは鈴音は母と東京で暮らしていた。父親はおらず、母と二人だけの生活だった。 そんな母も病に倒れ数日前に亡くなった。 母を亡くした鈴音は身寄りがなく母の実家がある"水瀬町"という小さな田舎町の伯父の家に身を寄せる事となった。 母の実家である水乃家は代々神社の家系で今は祖母が宮司をしており、伯父の正弘は会社を営んでいる。何かと忙しいようで家で正弘の姿を見ることはあまりなかった。 この家には正弘の他に妻の香織、一人娘の朱莉が住んでおり、祖母は神社近くの家に一人で暮らしている。 朱莉は鈴音と同じ17歳、同じ学校に通うことになった。 眠気を覚ます為に大きく伸びをした瞬間にトントンと部屋の扉をノックする音が響いた。 「鈴音さん起きていますか?ユキです」 「あ、はい…!」 鈴音は慌てて返事をした。 するとゆっくりと扉が開き中年くらいの女性が顔を出した。 この家で家事の手伝いをしてる家政婦のユキだ。 朝から夕方まで週5日ほど手伝いに来てくれている。 「ユキさんおはようございます」 「鈴音さんおはようございます。起こし来たんですが…もう起きてはりましたね」 ユキはゆっくりと微笑むと部屋に入りクローゼットから制服を取り出した。 「この町に来たばっかりで慣れへんことも多いと思いますが何かありましたらなんでも言うてくださいね」 「ありがとうございます」 「じゃあ準備が出来ましたら下に朝ごはんとお弁当用意してますんで」 ガチャリ、と扉しめる音と共にユキはそのまま部屋を後にした。 鈴音は真新しい制服に袖を通した。 深い紺色の生地に臙脂色のスカーフのついたごく普通のデザインのセーラー服だ。 新しい土地での生活に対する不安は、鈴音にとって大きなものだった。しかし、それだけではない。鈴音には、幼い頃からずっと心に影を落とす、もう一つの”不安”があった。 その不安は、彼女が生まれ持った”他の人にはない力”によるものだった。 鈴音は、人に触れるだけでその人の感情を感じ取ることが出来る。 感の鋭いところがあり、たびたび普通の人には見えないような物が見えることがあった。 「鈴音、この力は絶対に誰にも言ってはいけないわ。お母さんとの約束よ。普通の子として生きていくの…」 幼い鈴音に、母はそう言い聞かせていた。特別な力を持つことがどれほど危険なことなのか、幼い鈴音には理解しきれなかったが、母の言葉に従って、鈴音はその力を隠し続けていた。 鈴音は、何も見えないふりをして、人の心を読まないように、誰にも触れず、自分の心を閉ざして生きてきた。母が教えてくれた通り、“普通の子”を演じ続けることが彼女の日常だった。 その甲斐もあってか、幼少期とは違い今ではほとんど普通の人として過ごす事は出来ていた。 ただやはり、普通とは違う。その不安は心の何処かには感じていた。 用意を終え、階段を降りると玄関で慌ただしい様子で靴を履いている叔母の香織が見えた。 肩の上で切り揃えられた髪の毛を綺麗にセットし、品の良いワンピースに身を包んでいた。 「香織さん、おはようございます」 「あぁ、鈴音ちゃんおはよう。私今日は婦人会の方に出なあかんから…なんかあったらユキさんに頼んどいて」 鈴音の顔も見ずに手首の時計で時間を確認し、玄関の扉を開けた。 「わかりました」 「じゃ、後はよろしく」 甘ったるい香水の匂いをその場に残して早々に出て行ってしまった。 広いリビングのダイニングテーブルに並べられた朝食の前に鈴音は腰掛けた。 向かいの席にはもう1人分用意されていたがおそらく朱莉の分だろう。 食事を取りながら流れているテレビに目を向けた。 雨続きだったのが一転し、晴れ間が見えてきます、絶好の紅葉狩り日和です。とお天気情報が流れていた。 11月も中頃になってきてからだんだんと肌寒くなってきていたのもあり、久々に晴れると気持ちが軽くなる。 食事が終わり食器を下げていると慌ただしく階段を降りる音が聞こえてきた、朱莉が起きてきたのだ。 リビングに入ると朱莉は食事が用意された席に腰をかけた。 「朱莉、おはよう」 「……」 朱莉は栗色の髪にアーモンドのような瞳が印象的な綺麗な少女だ。 急に同居することとなった同い年の鈴音にはあまり良い印象を持っておらず、風当たりは冷たかった。 関わることが少ないと鈴音にとってもちょうど良いと思い、あまり気にすることはなかった。 まだ登校まで時間が少しあったが朱莉と同じリビングにいるのが気まずく感じ、鈴音は早めに学校に行くことにした。 革靴を履き、カバンを持って玄関のドアを勢いよく開けた。 大きく深呼吸をし、自然が豊かなこの町の空気を一気に吸い込んだ。 学校まではこの家から歩いて20分はかかる。 右手側には大きな森が広がり、左手側には透き通るほど綺麗な川が流れている。 この綺麗な自然が心地良く感じた。 何故かまるでずっとに住んでいたかのような懐かしさを感じる。 (スズ…) 大きく風吹き、鈴音の周りを吹き抜けると同時に誰かに呼ばれたような気がした。 「え…?」 振り向くとそこには誰もいない。森の奥へと続く一本の道があるだけだった。 気のせいか、とそのまま足を進めようとするが何故かその森の奥が気になった。 気がつくと足が勝手に一歩、また一方と踏み出していた。 小鳥の鳴き声が響き渡り、透き通った空気が胸いっぱいに膨らむ。 始業の時間まではまだ時間があるから大丈夫だろうと自分に言い聞かせて入り組んだ獣道に足を進めていく。 地面は昨日の雨でぬかるんでいて靴が重たくなった。 ほんの少しで引き返そうか、そう思っていたが足はどんどんと中へ進んでいく。 まるでどこかに向かっているようだ。 そして、目の前に広がった景色に鈴音は足を止めた。 「綺麗…」 真紅に染められた池がそこにあった。 池の周りには溢れんばかりの紅葉が生い茂っている。 紅葉の時期はもう少し先だがこの場所だけが赤く染まっていた。 昨夜の雨の滴をその身に宿し、朝日を反射させてキラキラと光を放つ姿はまるで燃えているようだ。 池の水は透き通っていて落ちた紅葉がゆっくりと揺られている。 「…だれ?」 先程と同じようにまた大きく風が舞った。木々が囁くように心地の良い音を立てる。 紅葉が空を舞い、辺りはより一層紅を深めた。 声がした方を見ると一人の青年の姿があった。 柔らかい黒髪が風に揺れている。 胸が一気に高鳴った。 今まで凍ってた氷が外に出されて溶け出すように、ゆっくりと熱を感じた。 「ここに人が来るのは珍しいね」 「森を散歩してたら偶然ここを通りかかって…」 「綺麗でしょ?ここ、僕のお気に入りの場所なんだ」 この地域では珍しく方言が入っていない、流暢な日本語だ。 「こんなに紅葉が綺麗なんて知らなかった」 「森の中でもここだけが特に凄いよ。この森にはほとんど人も近づかないからあんまり知られてないけどね」 「へぇ、こんなに綺麗なのに…」 「君はこの町の人じゃないの?」 「あ…うん、ほんの少し前にここに引っ越してきたばつかりで…」 「へぇ…こんな田舎に越してくるなんて珍しいね」 青年はしゃがみ込み池の中にゆっくりと視線を落とした。 透き通った水には風で落ちた葉がゆらゆらと漂っている。 青年は足元に落ちていた一枚の落ち葉を拾い上げて手の中でくるくると手遊びを始めたようだ。 「この森は昔から妖が出ると言われてるんだ。入ると祟られるって」 にっこりと悪戯っぽく青年は笑った。 「え…、祟られる…?」 鈴音は血の気が一気に下がるのを感じた。 「ハハッ冗談だよ、ただの噂。森に入って迷子になる子供達を脅かすためのね」 青年は肩をすくめてとぼけたような言い方をした。 「なーんだ…びっくりした」 「君の名前は?僕は、雨宮春」 「私は……水乃鈴音…」 「鈴音か、綺麗な名前だね」 春は優しい笑みを浮かべると鈴音は頬が紅潮するのを感じた。 「鈴音はどうしてこの町に?」 「母が亡くなって…、この町に住んでるおじさんに引き取ってもらえることになったの」 「そうなんだ…それは大変だね…」 「まだまだこの町は慣れないことばっかりだね」 気持ちが少しどんよりした。 頭の中ではもう母が帰ってくることはないとわかっているのにその温もりを求めてしまう自分がいる。 「そっか…」 鈴音は自分の気持ちを塗り替えるように笑顔で春に応えた。 「ところで、その制服は風華高校だね。時間は大丈夫?」 春は手首の時計を指差した。 「あ…そうだ学校…!」 鈴音は慌てて携帯で時間を確認すると始業時間がもうすぐそこまで迫っていた。 ここから走って10分はかかる。間に合うのかギリギリの時間だ。 転入早々に遅刻はしたくない。 「あー、慌てて転ばないように気をつけて」 「ありがとう、それじゃあ私行くから…!」 鈴音は大慌てで通ってきた道を駆け抜けていった。 「やっと、君を見つけたよ…スズ」 その後ろ姿に春の声がそっと響いた。  
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