出奔

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出奔

 藍色の長いフード付きのマントを纏いながら、絵都は一人で国境を越えた。この二年間、こうする事をどこかで考えながら準備して来たのかもしれない。  王宮に通って期待通り国の国境の護りのための虹色魔石を多く作ったのもそうだし、アドラーやゼインの元で一通りの魔法を身につけたのもそうだ。絵都は誰に守られる必要もなく独りで立っていたかった。  22歳になったアルバートはいずれ侯爵家の後継として妻を娶ることもあるだろう。その時に自分が邪魔に思える様になってから、屋敷を出ていくのは惨めだと思った。  自分の安心できる場所から追い出されるくらいなら、いっそ自分から出て行ったほうがマシだから。悲しいかな、生い立ちゆえに絵都は誰かに心を預けて生きるほど、他人も自分も信用出来なかった。  アルバートと一緒にいたいけれど、それは彼を犠牲にしている事と一緒だ。絵都はもう決めたのだからと、真っ直ぐ前を見つめて馬に乗ったまま隣国の国境近くの街道を進んだ。  国境にはそれぞれに境界魔法が掛かっているけれど、虹色魔石を作れる膨大な魔力を持った絵都にとっては、スルリと網をくぐる様な簡単さだった。だから絵都は国境の検問を使わなかった。  検問を使ったら直ぐに絵都の居所がバレてしまう。出奔(しゅっぽん)して直ぐに捕まるのだけは避けたかった。  周囲を見回しながら、絵都は景色も雰囲気もまるで違って見えると警戒を強めた。明らかに元の国とは違って荒れ果てて見える。これはこの世界で魔力が欠乏して来ているのと関係があるのだろうか。  そしてその懸念は、直ぐに少し離れた街道に山を駆け降りて来た身なりの悪い集団によって証明された。  「おい!そこの奴、持ってるものを置いていけ!勿論馬もな。」  仲間同士で下衆(げす)い笑いを交わしながら、彼らは絵都より前にいた三人の旅人連れにジリジリと近寄って行く。馬に乗った三人連れは荷物が多いので商人の様だ。一人身軽な男が馬上で剣を取り出しているので護衛を兼ねているのかもしれない。  絵都は馬の足を止めて様子を見ていたけれど、盗賊めいた6~7人の集団が絵都にも目をくれたのに気づいた。面倒な事になった。しかし絵都に構ってる余裕があるのだろうか。あの護衛はそこそこやり手に見える。  盗賊の二人が絵都の方に走り出すのを見て、護衛は商人を後ろに守りながら剣を煌めかせた。悲鳴と怒号が聞こえて来て、護衛が善処しているのは見えたけれど、じっと見ているわけにもいかなくなった。  絵都の目の前にも下衆な奴等が薄気味悪い笑いをしながら近づいて来たからだ。 「おい、こりゃあ上物だ。こいつは全部頂きだな。しばらく楽しめそうだ。」  彼らのいやらしい眼差しが絵都の顔や髪、全身に纏わりついて、絵都は眉を顰めた。まったく何を楽しむつもりだ。冗談じゃない。  絵都は脇に挿した魔法の杖をそっと握ると、さっとひと払いした。  明るいヒモの様な光が彼らに巻き付いて、彼らはあっという間に足元に崩れ落ちた。 「おいっ!くそっ、どうなってる!お前魔法師か!?」  彼らの慌てた様な声が響いて、街道の先で盗賊がまた一人こちらに走り出すのが見えた。二人ほど地面に転がっているので、あの護衛は残り二人というところらしい。  絵都はもう一度今度は黒いしなる光を杖から流すと、こちらに走ってくる大男を絡めたまま、護衛と対峙している残り二人の足元を掬い縛った。三人が絡まったまま身動き取れない様子で地面で呻いているのを遠目で見つめながら、絵都はのんびり馬を歩かせた。  後ろの方で最初に拘束した男たちが何やら騒ぎ立てているけれど、護衛と商人らが絵都の方を呆気に取られて見つめているのでどうしたものかと首を傾げた。  近づいてみると、護衛が倒した二人は地面に血を吸わせて身動きしない。きっと死んでいるのだろう。魔法の訓練で騎士団と共に共闘したせいで、絵都は随分この手の事に慣れた。  元の世界のように決して綺麗事では生きられない世界なのだと、絵都は吐き気の催す事実の前にどこか悟りを開いて行かざるを得なかった。  それでも漂う血の匂いに、絵都は顔を顰めて手で空気を払った。少しはマシだろう。  「お若い方、本当にありがとうございました。助かりました。いくらカイト殿の腕が立つとは言え、数でこられたら流石に血の気が引きました。魔法師でおられますか。お若いのに無駄のない素晴らしい魔法でしたな。」  上品な身なりの年嵩の商人が、馬上から声を掛けてきた。彼らの様な金のありそうな商人が馬車を使わないのは珍しいと思った。もっとも馬車だと却って機動力が落ちて、彼らの様な盗賊の餌食になりやすいかもしれないから、治安の悪い場所なりの商売のやり方なのかもしれない。  絵都が話しかけられている間に、縛り付けられた三人は護衛によって命乞いも虚しくとどめを刺されていた。彼らを生かしておいてもまた犠牲が増えるだけとは思いつつ、絵都にはそこまでは出来る気がしない。  たかが泥棒だ。だが女子供を無碍にする様な輩でもある。やはりトドメが必要だな?  絵都は商人に黙って頷きだけ返すと、馬を進めた。どんな善人の顔をしていても、油断は禁物だ。この手練(てだれ)の護衛を付けている時点で食えない相手であると絵都は判断した。  街道沿いの村人が遠巻きにこの出来事を見守る中、絵都は馬に鞭を当てて速足で場を離れた。面倒に巻き込まれて、身元が確認されるのは困る。今は少しでもアルバートから距離を取らないと。
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