一九四五年七月

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 次の日、和也は起きると、朝ごはんもそこそこに霧子の家へと向かった。  村中いたるところでざわついていたが、和也はそれを昨夜の街へ敵機の墜落のせいだと考えていた。  すでに幸子は到着していた。玄関の前で霧子や巴と話し込んでいる。 「ごめん、少し遅れた」    そう謝った和也に対し、霧子は呆然とした表情を向けてきた。 「和也君、昨日何があったか、知ってるの?」 「うん。街に敵機が来たらしいね。高射砲で撃ち落としたみたいだけどさ」 「それだけじゃないのよ」  巴が捲し立てるように口を挟んできた。 「撃墜された敵機に操縦士の死体がなかったのよ」 「え? どういうこと? まさか、それじゃあ……」  和也が終わりまで言わないうちに、幸子が言った。  心なしかその顔は不敵にも笑っているように、和也には見えた。 「脱出したのね。落下傘を使ったのか、不時着した後で脱出したのかは分からないけど」 「そんな……」  和也は急に、背筋に薄ら寒さを感じた。  何せ鬼畜と呼ばれる敵兵がどこに潜んでいるのか分からないのだ。  この時、和也は初めて本当の意味で戦争を意識した。これまで和也にとって、戦争とはS村以外の場所が爆撃されたり、どこか遠くの国に周りの人達が徴兵でとばされたりすることだった。そのことで、村を取り巻く空気は確かに重くなり、人々の顔つきが暗くなることはあった。  ただ、今ほど、戦争の恐怖を直ぐ側に感じたことはなかった。 「あれ? でもどうやって知ったんですか? そのこと」  村には電信や電話が通っているわけではない。  和也の父、武は朝はまだ家にいた。  誰かが街まで早朝すぐに聞きに行ったのだろうか? S村に車を持っている人間はいないが、馬を飼っている人間はいる。ただ戻ってくる時間も考えると、相当早くに出たことになる。 「お父さんが今朝、車でわざわざ街から知らせに来てくれたの。工場は無事だったみたいだけど、従業員の安否確認で忙しいからって伝言だけ残してすぐに行ってしまったけど」  霧子が少しはにかみながらも、嬉しそうに言った。  巴が懐から紙切れを取り出した。 「え〜、昨夜二時ごろ、米軍のものと思われる飛行機が街の上に飛来。高射砲にて撃墜するも、え〜……」  字を読むのが苦手な巴が言い淀んでいると、傍から霧子が紙切れを手に取って続けた。 「ばらばらに壊れた敵機の残骸の中に、乗組員の死体はなく、逃げ出した模様。S村の近くにまで来ている可能性もあり、十分注意されたし」  霧子が読み上げると、自然と和也の視線は村の周囲に注がれた。さすがにここまで来ているとは思えなかったし、思いたくなかった。 「ん? まだ伝言の続きがあるわね?」  幸子が霧子の手元を覗き込んで聞いた。 「ええ。撃墜された敵機の残骸で発見された部分の目録みたいです。風防、複座の操縦席、主翼 機銃、尾翼、エンジン、他に計器類なんかも」 「つまり爆撃機ではなかったということね?」  幸子がそう言うと、霧子がハッとした様子で答えた。 「あ、そういうことになりますね。爆弾は発見されてないですし、その後も街で爆発が起きた様子はないですし」 「となると、やっぱり機銃掃射での威嚇が目的だったのかしら?」 「でも、父が言うには、機銃を一発も発射しないうちに高射砲で落とされたみたいですよ」  霧子が言うと、幸子は目を閉じて考え込む表情になった。  目を伏せたことで、縁取られたまつ毛と目元の輪郭がよく見える。それはまるで、以前街に行った際見かけ、両親の目を盗んで読んだ大人向け雑誌に載せられていた美人の挿絵のように美しく、整っていた。 「まあ、昨日は満月でしたからね。米兵達も狙いには困らなかったでしょうよ」  巴が諦めたような口調でそう言った。  幸子は目を開けると、何か言いたそうな顔になった。  だが幸子が口を開くよりも先に、怒気を含んだ声が和也達の耳に届いた。  その声は前日までの怒鳴り声よりもむしろ声量は小さく、声質も低かった。  それだけに、聞き逃せない凄みがあった。 「もうこの国も、S村も終わりだよ。くだらない迷信にしがみついている場合じゃないんだ。むしろ、あんな湧き水を少し飲んで、体調が良くなるなんて信じてるから、この村は発展しなかったんだ。今からでも方針を変えるべきだ」  そう話すのは、村の若者の一人だった。和也は以前、噂で、彼が東京の大学を目指していることを聞いていた。 「こんな時代だからこそ、守っていかなければいけないんだ。昔からの風習には意味がある」 「意味? 一体どんな意味があるっていうんんだ?」  二人の周りは、数人の男達が囲んでおり、その周りをさらに女達が囲んでいた。全員がその手に鍬や鎌を持っていた。中には、腕ほどの太さがあるつっかえ棒を持っている者もいる。  もちろん、彼らはただ農作業や草刈りをしていただけにすぎない。  その作業の途中にたまたま集まって、たまたま昨夜の話をしているうちに、最近村で話題になっている【天女の滝参り】の存続の話になってしまったのだ。  そうだ。  そうに決まっている。 「その天女の滝とやらに案内してもらえるかしら?」  和也の隣でそう言った幸子の声は、ひんやりとしていた。 「うん」  和也はそれだけ答えた。  事態がかなり切羽詰まってきていることは、和也にも分かっていた。  ただそれを口にすることはできなかった。
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