一九四五年七月

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 米兵の死体はその日のうちに、所有物とともに街の警察に引き渡された。軍への報告も警察がするとのことだった。  和也はもっと聞き込みなどが厳重に行われるかと思ったが、あっさりと帰っていったのでいささか拍子抜けだった。もっとも、警察も軍に人を取られて今は人員不足だと聞いている。撃墜された機に乗っていた米兵の死などにかまっている余裕はないのだろう。  S村の中では、村長をはじめとする【天女の滝参り】を続けていこうとする一派が俄然勢いづいていた。 「今回、憎き米兵が死んだのも天女のご加護によるもの。もし滝参りを中止していたら、どんなことになっていたか分からん。やはり【天女の滝参り】はこのまま続けるべきだ」  村長の言葉に表立って逆らえる者はいなかった。  雄二はといえば、幸子の勧めもあり、川本の家に下宿することになった。あまり持ち合わせがないからと当初は遠慮していたが、川本の家の主人が雄二の博識ぶりに感心し、家の手伝いをしてくれるなら無料でいいと申し出たので、結局は雄二も川本家に下宿することになった。  村を覆っていたある種の熱は急速に冷めていった。  これまで通り【天女の滝参り】を継続するという方針が一通り決まったことで、少なくとも表面的には諍いがなくなった。  雄二は度々和也や霧子のもとを訪れた。  礼儀正しく都会的な雰囲気もあり、同時に無邪気な笑顔を見せる雄二はすぐに打ち解けていった。 「和也君は野球はやるのかい?」    学校の休み、霧子の家で、幸子や霧子とお手製の双六をひとしきり楽しんだ後で雄二が聞いてきた。 「前は学校の休み時間に球を投げ合ったりしてたけど、最近はあんまりだなぁ」  和也は布製とはいえグラブを持っていたが、村のほとんどの男子の家ではそんな物を買う余裕はない。そのため、和也はどうにも居心地が悪く、最近は球の投げ合いすらしていなかった。   「雄二さんはやったことあるんですか?」 「もちろん。高校時代はショートが定位置だったからね」 「遊撃手のことよ」    霧子がそっと和也に傍から耳打ちしてきた。 「いつか職業野球の試合を見に行きたいわ」  幸子が言うと、雄二が少し前のめりになった。 「その時は僕が案内しますよ」 「あら。じゃあみんなで行きます?」  幸子の声に台所から巴が顔を覗かせる。 「まあ、楽しそう。私もご一緒したいわ」 「お母さんもぜひ、ところでこの匂いは?」 「ああ、すいとんを作ってるんです。皆さんの分もありますよ」  幸子がさっと立つと「私も手伝います」と言って台所へ向かった。 「またすいとんなのね」  霧子がため息をつく。 「しょうがないよ。まあ、僕もたまには焼き味噌のおにぎりとか食べたいけどさ」  米はすでに貴重品だった。  和也は雄二に聞いた。 「雄二さんは好きな食べ物とかあるの?」 「すてき……」 「は?」 「あ、いや……」  霧子が、しどろもどろになる雄二を見て、それから台所の方に目をやった。そして大げさなため息をついた。 「まあ、確かに素敵な女性ですよね。でもそんな露骨に見惚れてたら、逆に嫌われますよ」 「頼む。今のは内緒にしてくれ」  真剣な口調でそう言った雄二を見て、和也と霧子は顔を見合わせるとクスクスと笑った。  雄二の存在は周囲に明るさをもたらした。  雄二の話はおもしろく、和也は引き込まれたが、幸子や霧子が時折、絶妙な合いの手を入れたり、相対する意見を述べて議論が白熱するのを見ているだけでも楽しかった。  学校はすでに長期休暇に入っていたが、ほとんどの子供は農作業の手伝いをやらされていた。  雄二や幸子との時間を楽しめるのは和也や霧子ぐらいだった。  ただ一方で和也は心の中で、どうしても気になることがあった。  一つ目は、あの撃墜された米兵の死についてである。  確かに撃墜された時に頭を打ち、その怪我がもとで死んだ可能性はある。ただ誰かに殴られた可能性もあるのではないだろうか? その場合一番怪しいのは、当時あの辺りにいた人物で、なおかつ村の人間ではない雄二ということになる。もし村人なら、米兵を殺したことはむしろ自慢げに他人に話す気がするのだ。ただ雄二にしても、米兵を殺せば褒められこそすれ、非難されることはない。それなのに、なぜわざわざ隠すのかという疑問は残る。  もう一つは村の不気味な静けさである。  【天女の滝参り】は当面続けられるということで落ち着いた。この間まであった諍いや乱暴な空気は、一見ないように思える。  だが、よく注意してみれば、たとえ口には出さなくても、その決定に不満を持っている若者はかなりいるように思えた。  そもそも【天女の滝参り】の効力は本当に切れたのか、そもそも効力など本当にあったのかはまだ判明していないのだ。  だが雄二の話した、心理的な不安が身体に影響を与えている、という説を村人達が納得するかも疑問だった。何より、和也自身が、その説に納得していなかった。  そのため和也は笑っていても、心のどこかに釈然としないものをいつも抱えていた。  そして、和也の予感は的中した。
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