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登りはあんなに楽しい雰囲気だったのに、今はとても静かだ。当然、原因は俺にある。俺が時々「足元気を付けてください」「雨降らないといいですね」と声をかけても、返ってくるのは土を踏みしめる音だけだった。
時間はあっという間に過ぎていく。長かったはずの道は終わり、もうお別れの場所に戻ってきていた。
「先輩、すみません。ここまでしか無理みたいです。この先は一人で……」
「成瀬くんは、どうなるの?」
「どうなんでしょう。もう未練はないですし、そのうち消えてるんじゃないですかね」
「そう……じゃあ、約束しよう!」
「はい……って、え、約束?」
もうすぐこの世から消え去る存在と、何を約束するというのだ。突然の提案に困惑したが、その実、頭の片隅では数年前の会話を思い出していた。
「うん。私、毎年登りに行くから。だから、またここで会おう」
「そんな、毎年なんて……。俺、いついなくなるかわからないんですよ!?」
「わかってる。これは私のワガママだよ。私が成瀬くんに会いたいだけなの」
先輩の瞳が俺を射抜く。俺はこの瞳に弱い。
先輩のことを考えるなら、ここはきっぱり拒絶するべきだ。先輩は自分のワガママだと言ったが、もし俺が落ちてしまったことに責任を感じて、あるいは罪悪感からの発言だったとしたら余計に。それなのに、頭ではわかっているのに、俺はそうすることができなかった。
「……来年もここにいる保証はないですけど、それでもと言うなら」
「ありがとう。成瀬くんは優しいね」
「それはこっちの台詞です」
俺たちは、今度こそ笑い合った。
先輩の言葉をそのまま信じるわけではない。自らの居場所で日々を過ごしていると、どんなに強いことでも抜け落ちていってしまうことは多いから。俺との約束も、そうなるかもしれないだけ。
「またね、成瀬くん」
「はい。お元気で」
先輩の目が、俺から移って明日の方を向く。俺は、一人帰っていく先輩の後ろ姿を見送った。
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