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毎年スムーズに終わることはないと聞いていた役割決めは今年も例にもれず長丁場になり、お開きになったときには夕方五時を過ぎていた。当初は三時頃終わる予定だったため、バイトや用事がある人は一人また一人と抜けていき、最後まで残っていたのは俺を含めて十人だった。
帰る支度をしながら、荷物をバッグにまとめている先輩を見る。どうやら先輩の友人はみな途中で抜けてしまった組のようで、先輩は一人で教室を出ようとしていた。俺も、友人はバイトがあると言ってすでに帰ってしまっていて、一人だ。
「市宮先輩! 待ってください!」
廊下を歩いていた先輩を追いかけて声をかけた。
「……成瀬くん? どうしたの?」
立ち止まった先輩がこちらを振り返って、俺の名前を呼ぶ。その目にはやや困惑の色が見られた。確かに、打合せも終わったのにこれといった接点もまだない後輩から話しかけられたら驚くというものだ。もし疑問や不明点があったのなら部長に直接訊くし、普段の俺だったらこんなことは絶対しない。しかし、今の俺には先輩に話しかける理由があった。
「今日の買い出しの時、言ってたことなんですけど……」
「と……あ、あぁ! あのことね」
先輩の意識からはすっかり抜け落ちていたようで、しばらく腕を組んで考えてから、ぽんと手を打った。
「私ね、卒業したら地元に戻るんだ」
「先輩の地元って……」
「ちょっと西の方、かな。来年は卒論と就活で忙しくなるだろうから、今年思い出を作りたかったの。でも、なかなか友達には話せなくて。それで、ついあんなことを成瀬くんに言っちゃったんだ」
俺が一瞬でも想像してしまった事件性はなかった。それでも、先輩にとっては大事なことだった。
「ごめんね」
先輩はそう言うと、立ち止まったままの俺を置いて行ってしまった。傾き始めた夕焼けは、なんの演出にもならなかった。
そのやり取り以降、俺と先輩は今までどおりの距離に戻った。まったく話さないというわけではなく部員として必要な会話はするけれど、あの日のようなちょっと踏み込んだ話をすることはなかった。あの日の買い出しみたいに、二人きりになることがなかった。
一緒に行った後輩が俺じゃなくても、先輩は同じことを言ったんだろうか。俺だったからじゃなくて、ただたまたま買い出し当番になって、同じようにたまたま当番になった相手がサークルでしか顔を合わせることがないような学年も学部も違う人だったから、話しただけだったのだろうか。たとえば、一緒に行ったのが俺じゃなくて友人だったとしても、先輩はあの話をしただろうか。いくら考えても答えが返ってこない問いを繰り返す。
それでも、あの日先輩が話してくれたのは俺だというのは変わらないし、先輩にとって話す相手が近い存在でなければ誰でもよかったのだとしても、俺にとっては特別で……。だから、先輩のあの言葉が、あの表情が、頭から離れなかった。
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