昆虫採集

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昆虫採集

 庄司は虫網を振り上げ、息を潜める息子の翔太を見守っていた。  翔太の視線の先には1匹のトノサマバッタ。1時間、公園を散策してはじめての獲物だ。コイツを逃したら、次はいつ獲物に出会えるか分からない。2人に緊張が走った。  翔太は時折、気弱そうな表情を浮かべたが、大きく息を吸い込み、一気に虫網を振り下ろした。辺りに虫網と地面がぶつかる音が響いた。 「やった。パパ、虫網に入ったよ。俺、虫網、抑えてるから、逃してないか見て!」と翔太は頬を紅潮させて言った。  その声を受けて庄司は虫網のそばにしゃがみ込んだ。 「どれどれ、あっ。ちゃんと入っているよ」  庄司の目には網の中でじっとしているトノサマバッタが映っていた。まだ小さな子供のバッタだ。庄司は興奮で顔中汗まみれにしている息子とバッタを見比べた。どっちの方が幼いんだろうな、と。 「翔太。まだ小せえし、逃してやろうぜ」と庄司は言った。 「ヤダ!虫籠に入れて持って帰る!ママに見せたいんだ」と翔太は口を尖らした。「パパ、早く虫籠に入れてよ」 「翔太、もしかして触れないのか?」と庄司は言い、少しだけ意地悪な笑いを浮かべた。 「さ、触れるよ!」と翔太は言い返した。語尾が強い。明らかに強がっていた。 「そうか。触れるか」と庄司は言い、虫網の中に手を突っ込んだ。バッタを傷つけない様に、柔らかく手で包んだ。まだ子供のバッタは片手に収まった。 「パパ、凄え!」と翔太は叫ぶように言い、虫籠のフタを開け、庄司に差し出した。 「くすぐったいな」と庄司は言い、視線を手から翔太に移した。そして手を翔太に突き出した。「翔太、パス。触れるんだろ?」 「無理!なんか怖いもん!ヤダ!」と翔太は先程の言葉を翻し、激しく首を振った。 「噛んだりしないから大丈夫だ。怖くないから」と庄司は言い、視線を再び手に戻した。軽く握られた手の隙間から小さなバッタの姿が見えた。やれやれ。こんな小さな虫もダメなのか、今の子たちは。そんな事を考えながら庄司は虫籠に手を伸ばした。その時、翔太がへの字にしていた口を開いた。 「俺、触る」  強い口調だった。それを受けて庄司は口元に軽い笑みを浮かべた。 「よし。じゃあ、手、出せ。片手じゃなくて両手な」  庄司の言葉を受けて、翔太は両手をお椀のように揃えた。眉間には皺が寄り、肩が震えていた。 「そんな緊張しなくていい。痛くない。くすぐったいだけだ」と庄司は言い、翔太の手の上に自分の手を乗せ、緩く握っていた手をゆっくりと広げていった。  手のひらに何かが乗ったのが分かったのだろう。翔太が肩を震わせた。 「パ、パパ。次はどうすればいい?」と翔太は掠れた声で言った。眉毛は完全に八の字になっていた。 「ゆっくりと手のひらをすぼめるんだ。手のひらで小さな虫籠をつくるんだ」  翔太はあきれるくらいにゆっくりと、時々、肩を揺らしながら、手のひらをすぼめていった。 「ホントだ。くすぐったい。コイツ、俺の手の中で跳ねてるよ。時々、ピンってしてる」と翔太は勢いよく喋り出した。 「よし。じゃあ、虫籠に入れるか。後で逃がすんだぞ」 「もういい。今、逃す」と翔太は言い、手を広げた。そこには小さな手のひらに乗る、小さな緑色の美しいバッタの姿があった。  庄司は眩しいものを見るように目を細めた。俺にもこんな時があったんだろうな。  次の瞬間、バッタは翔太の手のひらから飛び立っていった。 「バイバイ、バッタ。デカくなって戻って来いよ」そう言う翔太の顔はほんの少しだけ成長したように見えた。
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