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1. 要望
軋む右足で、一歩前に出た。
履き慣れていない革靴が、ふわふわの絨毯に沈んだ。
「感謝状。食堂『雨やどり』店主、飯田 昇 様」
警察署長の厳格で明快な声が、署長室に響いた。
「あなたは、永年にわたり積極的に警察活動に協力されました。その功労はまことに多大であることから、ここに感謝の意を表します」
令和6年9月9日、沼館警察署長、警視・清水川和彦――。
清水川は感謝状の向きを変え、昇に差し出した。
「留置場へのお弁当、いつもありがとうございます」
目が合うと、厳しい光を宿した瞳が一瞬ほほ笑んだ。
昇は会釈を返し、老いてシミだらけになった両腕で感謝状を受け取った。
薄くなった後頭部がカメラのフラッシュに照らされたが、気にならなかった。
ただただ、誇らしかった。
感謝状贈呈式が終わると、昇は歓談の席に招かれた。
「改めて、いつもご協力ありがとうございます」
清水川は穏やかな笑顔を見せた。
「これからもよろしくお願いします」
「なんも、なんも」
昇も頭を下げた。
「『官弁』を作り始めてからあっという間で。感謝状をいただくなんて夢にも思わなんだ」
官費弁当、略して官弁。
警察署の場合、留置場の収容者に提供される食事のこと。
発注数は流動的で、収益は安定しない。
競争入札に参加する業者がいないという事情には頷けた。
それでも30年、使命感を持って毎日3食作り続けてきた。
「しかし……これを機に一つ、相談がありまして」
「相談?」
「ええ、実は」
清水川が表情を曇らせた。
「官弁のおいしさと生活の苦しさが相まって、わざと留置場に戻ってくる人がいるんです。彼らは『弁当族』もしくは『からあげくん』と自称しています」
「はあ」
昇は口をぽかんと開いた。
「警察にとって、安心安全なまちづくりは第一の使命です。大変申し上げにくいのですが、再犯防止は喫緊の課題でして――」
相談の内容は予想外だった。
「何とか、『再犯防止の弁当』をお願いできないでしょうか」
「再犯防止、ですか……」
一体どうしたらいいんだべ――思いがけない相談に、昇は困惑した。
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