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3. 良太
昇は男に、人目のない裏口に来るよう言った。
小皿に載せて差し出したのは、バットの隅に残っていた唐揚げの欠片。
男は噛み締めて涙ぐんだ。
「ああ、この味っす。この、唐揚げっす」
ここで働いてみないかと提案した昇に、男は喜んでと即答した。
名前は良太。
家も身寄りもない。
住み込みで働くことになった。
昼のピークが過ぎると、厨房に聞こえるのはフライヤーが稼働する機械音だけだった。
交換したばかりの透き通った油が、食材が投入されるのを待っていた。
「この後もメシ作るんすか」
「当たり前だべ。夕飯の官弁はこれから作るんだもの」
「ああ、そうか。ありがてぇ」
意外と人懐こくて、よく喋る人間だった。
昇は大げさに手を合わせる良太をじろりと見た。
「おめ、今までどうやって生活してたんだ」
「ネカフェ暮らしっすね。家も仕事も無いんで、日雇いで食い繋いでたっす」
「とはいえ、元からではなかったべ」
「そうっすね」
良太は目を伏せた。
「友達の借金を肩代わりして、生活が苦しくなって――犯罪者になったら、本当に何もかも失いました」
昇は良太の過去に思いを馳せた。
「それで、なしてここに?」
「そりゃ、唐揚げを食いたくて」
「唐揚げ?」
「留置場で評判なんすよ。どのサツ官も店を明かしてくれないけど、仲間がここらしいと教えてくれて。まあ、所持金500円じゃ無理でしたが」
お品書きの看板を見て、がっかりしたと言った。
「唐揚げ定食800円は高いっす。高くないけど、俺らにとっては高いっす」
「んだばって、うちに値下げする余裕はねえし」
現実を生きる者同士、うーんと唸った。
「とにかく、もう警察の世話にはならねえように」
真剣な口調で諭す。
「おめの帰る場所は留置場じゃねえべ」
そのまま二階の居住スペースに移動した。
足音が二人分に増えて、木造の階段がにぎやかにギシギシ鳴った。
疎遠になった息子の部屋が空いていた。
「10年も音沙汰ない馬鹿息子だもの。もう帰って来ねえべ」
自室以外は自由に使って構わない、と伝えた。
「……あの、なんでそんな親切なんすか」
唇を結んで、良太は昇を見つめた。
「俺、留置場の常連っすよ。普通は怖がるか、追い払うかの二択っす」
「ああ、分がってら」
昇は表情を変えずに、淡々と呟いた。
「だって、金に困ってたんだべ。万引きとか無銭飲食とか、絶対だめだけどよ。んだばって」
ちらりと背後に目をやった。
仏壇に飾った額縁の中で、妻がほほ笑んでいた。
「馬鹿息子が一人増えるくらい、どうってことねえべさ」
日焼けした顔が、ぱっと輝いた。
残暑厳しい秋。
昇は初めての弟子を迎えた。
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