33 サーヴァステルの港を目指すアリシア=ノヴァ

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33 サーヴァステルの港を目指すアリシア=ノヴァ

 キャスパローズが無事にミハエルを発見したころ、同じくグランデリア王国領の西部山岳地帯の森で、ひとり道に迷っている娘がいた。  若干十一歳で家業である造船工場を継ぎ、今やグランデリア王国随一の飛空艇技師となったアリシア=ノヴァである。  なぜ彼女が、ひとり森を彷徨っているのか?  事は、あのマシロ・レグナードが王族より辱めをうけた晩餐会の終了後。マルセリウス・グラントが持ちかけて来た話が発端となる。  ▢  ▢  ▢  晩餐会の喧騒が遠ざかり、夜の帳が静かに降りた王城区画。王城の隅にある小さな庭園でアリシア=ノヴァとマルセリウス・グラントは酔いを醒ましていた。もっとも、酔っているのはアリシア=ノヴァひとりなのだが。  男装のスーツに身を包んだまま彼女であるが、襟をくつろげると、夜風に頬を冷やしながらマルセリウスの隣に腰を下ろした。  庭園は晩餐会の華やかさとは対照的に、静謐で、月明かりが草花の上に強く降り注ぎ、風にそよぐ木々の葉が微かにささやいていた。 「どうだった?」  マルセリウスがふいに口を開いた。彼はその隣に立ち、煙草に火を灯しながら、興味深げに彼女を見下ろしていた。  アリシア=ノヴァは少し顔をしかめ、視線を下に落とした。 「嫌なものばかりだったわ。あんな世界が、本当に……存在しているなんて、どれだけ汚いの? どうすればあんなに醜くなれるのよ」 「現実は厳しいもんだよ、アリシア。それが力の裏側だぜ…………しかし、景気の悪い話はここまでだ」  マルセリウスは低く笑いながら煙を吐き出すと、表情を曇らせたままの彼女の頭にポンッと手をやった。 「んっ、何?」   パッと目を見開いたアリシア=ノヴァの目の前、空中に人差し指でグニャグニャとした線を引いた。 「それはグランデリア領……北西部の海岸線ね」 「いい勘だな、そして『ココ』だ」  海岸線の一点を指さす。 「サーヴァステル自治領?」  その指し示された地点は港を要するサーヴァステルと呼ばれる人口三千人ほどの漁港をもつ自治領の都市だった。 「いいか?   サーヴァステルの自治権を買い取る」  やや酔ったような目つきのアリシア=ノヴァを纏う空気が変わる。マルセリウスの雰囲気は相変わらずだ。  アリシアは挑戦的な笑みを浮かべつつも、男装した髪をかき上げながら首を傾げた。 「自治権? そんなもんに金を出すなんて価値あるの? 港の自治なんて、ただの面倒事にしか思えないけど?」    マルセリウスは慎重に、周囲を警戒しながらも話を続ける。現在、周囲には十名程度の腕利きの警護が潜んでおり、話を聞かれる心配はない。それでも警戒は怠らない。  ふうっ、と息を吐くと、ふたたび煙草をくわえなおす。   「テメエならすぐに理解できると思ったが……  自治権ってのは単なる地位みたいなものじゃねえんだ。よ~く地理を考えてみな、サーヴァステル港はあっちの大陸と島嶼部を繋ぐ要衝だ。  更に背後は高い山に囲まれている。  いまは船が交通の手段だが、飛空艇が空を制する未来には戦争は大陸と大陸の争いになるだろうよ。  サーヴァステルは……あっちの大陸との戦争で軍の補給線になる。そこを牛耳れば、ひとつの大陸だけじゃない、全世界の流通を俺たちがコントロールできるってことさ」  アリシアは一瞬黙ったが、あまりに突然の話で理解が追い付かない。 「で、その流通を抑えたところで、私に何の得があるの?」  マルセリウスはすかさず応えた。 「テメエ酔ってんのか? なんで今日は頭の回転が悪いんだ?  いいかサーヴァステルの自治権を握りテメエの『アリシア社の製造工場』をでっかく据えるんだ。  あそこにはまだ土地が有り余っているだろ。飛空艇の修理や新造のための設備を置け、山岳の地下にはクリスタルエネルギーの研究所もつくれる。港には軍用艇の開発にむけた専用のドック!  お前の会社がこの大陸の最前線で物を作り、最強の技術者として名前を広めるんだ。  そして、そのすべてが俺のバックアップ付きだ。全世界の王族政府や貴族どもに泣きつかれ、何百何千の仕事が舞い込むんだぜ」  アリシアはその言葉の意味を理解すると、目を輝かせ茶化すように口を尖らせた。 「ふーん、なるほどね……貴方の取り扱う武器も、世界中の軍隊にスピードを持って提供できるって訳ね?」  マルセリウスは笑い声を上げ、彼女の顔を指をさして言った。 「いい目をしてやがる。  俺だって万能じゃねえ。テメエみたいな若くて頭の切れる奴と組むのが一番効率がいいのさ。  自治権を買い取って、拠点として目途がたったらあの『騎士団長ミハエル』ってやつを指導者として呼び寄せればいいさ。戦って土地を得るよりこのやり方が俺達らしいだろ。 ―― 戦争のない世界 ――  お前の本当の夢はそこからが始まりだ」  アリシアは立ち上がると片方の足をベンチに乗せる。 「ありがとうマルセリウス。さっそく会社の皆を説得するわ」 「来週はじめに、サーヴァステル自治領のやつらと一回目の顔合わせを行う。土地に根付いた者達だ、漁師の親玉から庄屋、辺境伯から田舎マフィア、港の騎士団ってやつまでいる」 「……けっこう色んな人たちが絡んでるのね。これは想像以上だわ」 「そこだ、signorina(:若く素敵な女性)……」  マルセリウスはアリシア=ノヴァの正面に立つと振り向き背中を見せる。 「俺はな、命をかけた商取引はごまんとこなしたさ。それこそ今生きているのが奇跡みたいなもんだ。だがな、俺が語れるのは『儲け』だ。人間のドロドロとしたいやらしい部分だよ。  なあ、アリシア=ノヴァ。  サーヴァステルの奴らに『未来』って奴を語ってくれ。飛空艇産業が奴らにもたらしてくれる未来だ。なんならテメエの掲げる世界平和もでっかく語ればいいさ」 「サーヴァステルの港から始まる、未来かあ」  男装のアリシア=ノヴァは星空を見上げる。  以前、自分が語った夢をこの男は真剣に聞いてくれたのだと思うと嬉しかった。  第一回目の顔合わせで何を語るか? 考えはまとまらないがその場になればきっと何かを思いつくだろう。その前に一度拠点に戻って会社の皆に話をしないといけない。 「わかったわ、とりあえず私は会社に戻る『来週はじめの日』にサーヴァステル港ね、必ず行く、前日には着くと思う」 「よし、現地で落ち合おう、テメエの口八丁(くちはっちょう)を楽しみにしてるぜ」  マルセリウスの渋い声は相変わらずいつものトーンだった、その目もいつも通り闇のように深い。彼はその目で空を見上げた。  この世界の星の輝きは非常に強い。  それ以上にアリシア=ノヴァの目は輝きを帯びていた。 だが、その彼女は会合の前日、ひとり嵐の森を彷徨っているのだった。
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