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35 副官セリーナ・レイノア①
物語はグランデリア王都へと戻る。
聖堂騎士団員はカフカ帰路に十日ばかりの海路を用い、穏やかな海の旅で心身の疲労を癒した。
グランデリア王都の市街地の南側。
静謐な丘の上に、壮麗な大聖堂が佇んでいる。その大聖堂は、王国が国教と定めた一神教の神への信仰を象徴し、彼方からでも一目でその圧倒的な荘厳さが伝わってくる。まるで天からの祝福が降り注いでいるかのように。
その大聖堂の一角に聖堂騎士団の室内教練所があった。
グランデリア帰都後、司祭長かつ聖堂騎士団長であるマシロ・レグナードは連日の厳しい戦闘訓練を団員に課していた。
□
その聖堂騎士団の室内教練所。
天窓のステンドグラスを通し、力強い日射しが彩りをもって射し込んでいる
そして、窓から入る乾いた風。
今日は百名近い団員が対戦形式の稽古に励んでいる。
指揮をとるは、白地に青の訓練着に身をつつんだ蒼い瞳のマシロ・レグナード。
この訓練には、将来へ向けてのマシロの強い意図があった。
訓練も終了時刻に近づいた頃。
木剣が胴を打ちつける音がひびいた。
「ぎゃあぁぁ!」
紺色をベースとした上質な素材で作られたエレガントなジャケット姿、足元はブーツの組み合わせのトロティ秘書官が絶叫し床に倒れ込んだ。金髪美男子の顔を床にこすりつけ苦しみに耐えている。
その傍らに見下ろすように立つはマシロの副官セリーナ・レイノアだった。
赤い訓練用の皮鎧、シャギーの入ったブラウングレーの長髪。マシロと同じ蒼い瞳、端正な顔立ちは苦々しいものを見る目つきだ。ただ、本人はその醜さが顔に出ているとは気づいていないだろう。
―――― どうですか? 秘書官どのも、時には私と手合わせ願えませんか?
一対一の試合形式の木剣による立ち合いをセリーナはトロティに申し込んだのだ。
本来、文官の立ち位置にいるトロティは迷いをみせたが、隣に立つマシロ・レグナードの眼は「やれ」と無言で指示をだす。
五本先取形式の木剣試合でセリーナは「5ー0」でトロティを圧倒し、打ちのめした。撃たれた痛みに立ち上がれないでいるトロティを見下ろしながらも、上目遣いでマシロを見る。
「私の太刀筋はいかがでしょうか、司祭長。かかる緊急の事態にはいかなる万難も私セリーナが排除いたす覚悟でございます」
「ああ、頼りにしているぞ」
マシロは満足そうに返答を返す。しかし、しゃがみ込むとトロティの手を取り立ち上がらせる。セリーナの刺すように変化した視線を無視すると、無言でトロティを離した。
自身も相当な数の立ち合い稽古を自身に課したマシロである。汗はわずかにかいているが、体には傷ひとつついていない。これは、配下が遠慮しているのではない。普通に彼女が強いのだ。
―――― それこそ化け物のように。
訓練の終了を告げる鐘が鳴らされると、セリーナが壁際に控える者に手をあげる。即座に白いタオルと冷えたアイスティーがふたつ用意された。
「セリーナ、副官のお前のおかげで団員も着実に鍛えられている……感謝しているぞ。夕刻の礼拝までに入浴をすませ、体を清めてくるがいい」
「わ、私は……常に司祭長の傍に控えさせていただきたいのですが」
マシロはちいさく息を吐くと、彼女の言葉の裏を読む。その首筋を四指の腹で、撫でるように触れる。
「ならば、共に浴場へゆこうか、背中を流してほしい。先に支度をして待つが良い」
言葉を聞き頬を赤らめたセリーナは頷くと、ブラウングレーの髪をなびかせ弾むような足どりで訓練場を後にする。
―――― 子爵位の貴族家であるが、武門の名高いセリーナの家であった。
長女として生まれた彼女は、家名をかけ剣の腕を磨き抜いた。凡庸な弟たちと比べ幼少期より武の道に秀でたセリーナには、両親はおろか一族の期待が一心に集まった。
その腕を見込まれた彼女は、剣の腕前と愚直なまでのマシロへの忠誠心で聖堂騎士団の副官の地位まで出世したのだった。
「すまないな、トロティ。何もそこまで撃たれてやらずとも」
当然のことながらマシロは、トロティが絶妙に手を抜きセリーナに打たせていたのを見抜いている。そのことにセリーナは気づいてすらいない。
「セリーナ副官もガス抜きが必要です。ストレスは適度に発散してもらわないと、張り詰めた彼女のメンタルも持たないでしょう。試合を申し込まれたのは好都合でした……それに」
金髪美男子の秘書官の頬には木剣で撃たれた痣が紫になっている。マシロが手をかざすとその傷は癒えてゆく。
「それに、セリーナ副官の実家から聖堂騎士団への援助額は大きいですからね」
トロティ秘書官は事も無げに言った。
「あとマシロ様、キャスパローズから連絡があり貴方の想い人……ミハエル師団長は生きております。もう、ご存じかもとは思いますが」
第二騎士団のキャスパローズとトロティは契約を結んでいた。金を握らせ彼女側が利益を損なわない範囲で騎士団の情報を横流しさせていた。
―― ミハエルは生きている
その言葉を聞くと、マシロは理解できるほどに不機嫌な表情を浮かべた。
マシロ・レグナードの心の中に黒い泥のようなものが渦巻いた。
魔術洗脳したレヴァント・ソードブレイカーを、魔導列車に刺客として送り込んだ。魔術による肉体強化を付与したレヴァントならばミハエルと相打ちくらいには持ち込めるかと思っていたのだが。
何が起こったかは把握できていないが、ミハエルとレヴァントは行方知れずとなった。
ミハエル・サンブレイド。
女として生まれ、初めて好きになった男。しかし、彼にはすでに強い絆で結ばれた恋人がいた。
手に入らぬなら殺してしまいたい。そう思った。
二度にわたり洗脳したレヴァントを刺客として差し向けてなお……しかし、心の何処かでミハエルを求め続ける自分自身が、憎かった。
彼女はトロティと並び姿勢を正して立つ。顔をあげ聖堂騎士団の教練所、高く広い天井を見つめた。
天井近くの祭壇には、信仰の象徴ともいえる『杭に架けられた乙女』の彫像があった。
いまも天窓のステンドグラスを通して、彫像には力強い日射しが射し込んでいる。
「トロティ秘書官」
司祭長は、ふたたび気を引き締めるような声をあげる。
「はい」
秘書官は金髪美男子の顔を整えると、その心を受け止めるように穏やかに答えた。
「頼んでいた調査はどうなっている?」
この調査もミハエルに関するもの。彼が生きているならば調査は続行しなければならない。
そして、相変わらずマシロの不機嫌な顔つきは変わらない。
「何人かの参考人と接触したところです」
何気ない会話のようだが、様々な暗号を含んだやり取りが二人の中である。
肩を並べ、歩きはじめる。
マシロ・レグナードには未来に向け、やるべき事が山のようにあった。
そこから、王国の未来を賭した戦いが始まるのだ。
「明日中に報告しろ」
「はっ」
張りのある、美しい良い声が聖堂に響いた。
「いつも、すまないな」
それは、何故か口をついたマシロの本心であり、トロティの心を揺らすものだった。
「いえ。マシロ様、ご無理をなされぬよう。何かあれば、私に相談してください」
形式ばった応答であるが、彼の本心もまた同じであった。
「わかった、秘書官。その言葉は覚えておく」
「ところでマシロ様……セリーナ副官とのお約束をわすれていらっしゃいませんか?」
たとえ副官であろうと、共に入浴し身体を清めあう作業は意味を含むものである。
「そうだったな、小娘に餌を与えんといかんな……」
マシロは面倒そうな顔をうかべる。美しい銀髪をかき上げると、美しくも繊細な指が銀髪をさらりと抜けていった。
その横で皮肉っぽい笑顔を作るトロティと分かれた。
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