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39 副官ルカアリューザ②
王国第二騎士団、ミハエル『未帰還』の団長室。
騎士団総帥ソルディンを通して王国からの通達が届いたのはその日の午後だった。第二騎士団の詰め所は重い沈黙に包まれていた。
青い長髪と瞳。
目の周りには薄い銀のアイライナーが鋭く輝く。
副官ルカアリューザは、団長室で一人、王国の使者が持参した手紙を机の上に広げていた。
何度読み返しても、その内容は変わらない。
「ミハエル団長は、死亡扱いとする――
第二騎士団の総員は騎士団を離れ、教会組織・聖堂騎士団の下部組織とする」
氷のような文面だ。
拳を握りしめる。
指先が白くなるほど力が入るが、気持ちの整理はつかない。
確かに公には、爆発事故から三週間近くもの間、何の手がかりも見つかっていない。
しかし、密かに放った捜索隊のキャスパローズからは『ミハエル無事発見』の連絡を受けているのだ。団員の誰にも告げずミハエルの帰還を、待っているのだ。
―――― 無事ならば、とっとと帰ってくれば良いものを! 何をやってるのだ……アイツは
「ミハエル……私は騎士団を守れ……ないのか」
その言葉が、思わず唇から漏れる。だが、見せた弱さを悔やみ、慌てて感情を押し殺した。
その時、扉が勢いよく開いた。入ってきたのは魔術師リオナフェルドと救護班長のエリスヴァーレンだった。
「ルカ!」
リオナフェルドが強い口調で言い放つ
「王国の通達に従うなんて、本気かよ?」
黒髪長髪の魔術師リオナフェルド。そのメガネの奥の瞳は怒りと失望に満ちていた。
「団長はまだ生きているはずです!」
首の後ろでまとめた金髪エリスヴァーレンが続けて訴える。
「ミハエル団長を、そんな簡単に死んだと決めつけられて良いのですか!」
ルカアリューザは深い息をつき、彼女たちを見つめ返す。
「私も同じ気持ちよ。でも、私たちは王国に仕える騎士団だ。
上からの命令には従わなければならない」
魔術師リオナフェルドは激しく机を叩いた。
「従わなければならない? そんなことを言うなんて、ルカらしくない! 団長は私たちの指導者なの、私たちは団長を信じてここまでやってきたんだ!
その団長を、こんな形で見捨てるなんて……」
回復班長エリスヴァーレンもその言葉に力強く頷いた。
「そうです! 私たちにとって団長はただの上司じゃない、家族同然です! あの人が戻ってこないなんて、そんなこと、ありえない!」
ルカアリューザは二人の言葉を聞きながら、胸の内での葛藤がさらに激しくなるのを感じた。
―――― 指導者であり、家族でもある
彼女らの言葉は、自身が本当に感じていることを代弁していた。
それでも、彼女は騎士団の副官としての責務を背負っている。理性では、王国の命令に従うべきだとわかっていた。
ふと、ルカアリューザはミハエルと初めて会った遠い日を思い出していた。
▢
王国第二騎士団長ルカアリューザは、詰め所の入り口に立つ見習いの少年を一瞥した。
彼の名前はミハエル、まだ十五歳の少年だが、その瞳には彼女にも推し量れない得体の知れない深さが宿っていた。
彼は緊張するどころか、この第二騎士団を制圧でもしたかのような雰囲気を放っていた。
「ここが詰め所のメインホールよ」
その日、偶然にも時間が空いていたルカアリューザは施設の案内をした。
「任務の報告や作戦会議を行う場所だ。たとえ見習いでも、このホールを通るたびに、他の団員と顔を合わせることになるから、しっかり挨拶をするようにね」
ミハエルは頷きながら周囲を見回した。何気なくも、彼はそこを戦場として見るような目をしていて驚いた。
目の前に並ぶ騎士たちは軽装とはいえ鉄製の鎧に身を包んでおり、動きには一分の隙もない。彼らの鋭い視線が一斉に向けられると、少年はわざと緊張した面持ちをつくり挨拶を返した。
―― 武器庫を見せておこう
―― ここが訓練場になる
―― あそこが、騎士団をまとめる総帥のいらっしゃる塔だ
様々な場所を案内してまわった記憶がよみがえる。
「ここが宿舎だ」
ルカアリューザは重厚な木製の扉を開け、中を見せた。中は広々としており、整然と並んだベッドが目に入る。
「騎士団員は任務を終えると、ここで休息を取る。お前も、今夜からここで寝泊まりすることになる」
ルカアリューザはふと足を止め、一つの窓辺に目をやった。窓からは王都グランデリアの風景が見渡せた。様々な色の瓦屋根が広がる街並みが遠くに見える。そびえる古代の塔、そして、はるかなる大聖堂。
その全てが静かに時を刻んでいる。
「ここは、いい場所だ。それでも、騎士団にとっては避けられない戦いの日々もあるだろう。それを忘れないで」
厳しい顔つきを崩さない彼女だった。しかし、見習いミハエルは思わぬことを聞いてきた。
「あの団長殿、食事はどこでとるのでしょうか?」
振り返りミハエルをじっと見つめた。その顔には好奇心が浮かび、少しばかりの戸惑いも見て取れる。
その瞬間、彼女は肩の力が抜け、微笑みを浮かべた。
心の尖りを抜いていくれる、そんな雰囲気をもつ少年だった。
「食事か、いい質問だ」
ルカアリューザは階段を下りながら言葉を続けた
「食堂はこの建物の一階にある。騎士団員全員が集まって、朝と夕に食事をとることになっているの。お前のような見習いも含めて、皆平等だ。」
彼女が導いた先には、広々とした石造りのホールがあり、そこには長い木製のテーブルが幾つも並んでいた。
「ここが食堂だぞ」
ルカアリューザは手を広げながら説明した。
「朝食と夕食は、決められた時間に皆で食べる。それ以外の時間に空腹になったなら、厨房に行って軽食を頼むこともできるけど、何かを盗み食いしようとしたら、料理長にこっぴどく叱られるわ」
ミハエルは頷いた。
「それは気をつけます。でも……こうして全員が一緒に食事をするなんて、騎士団って家族みたいですね」
ルカアリューザの表情がまた、穏やかになった。
「そうね、そう言えるかもしれないわ。食事を共にすることで、私たちは戦場でも心を一つにする家族なんだから」
彼女の言葉には深い思慮が込められていた。食事という日常的な行為でさえ、この騎士団においては絆を深める大切な儀式の一部なのかもしれない。
そして、ほんの一瞬だがルカアリューザは生涯の中で感じたことのない気配を感じた。強い決意、すべてを貫き通すような硬質の意志だった。
それが、少年ミハエルの心の奥底からほとばしったのだと気づくのに時間がかかった。
「戦場で心を一つにする家族、ならば、俺が必ず……守り抜きます」
空耳かと思えるような、小さな声だった。
ルカアリューザはその言葉を思い出す。
その耳にもう一度、ミハエルの声が聞こえた。
―――― 戦場で心を一つにする家族、ならば、俺が必ず……守り抜きます
▢
眼前の現実が、副官ルカアリューザにせまる。
魔術師エリスヴァーレンが眼鏡を押し流すように涙を溢れさせた。
「団長は必ず戻ってくるよ……そんな簡単に命を落とすような人じゃない……!」
「そうだ!」
回復班長リオナフェルドが、普段の温厚さからは予想できない声を出す。
「待つべきです。ここで、団長が帰ってくるのを! それが私たちの義務です! 王国の命令なんかに従うより、団長を信じる方がずっと重要なんです!」
「わかった。団員の皆も……同じ気持ちだろう」
ハッキリとした声だった。ルカアリューザのなかの葛藤と計算とミハエルへの想いがひとつになった。
「団長が戻ってくるまで、我々第二騎士団はここに留まる。
宿舎を占拠する。
王国に従う必要なんてない……私たちは団長を信じ、待つ。
私が全ての責任を持つ、戦うぞ」
「「はいっ」」
風が三人に強く吹いた。
勝算はおおいにある、ミハエルが帰還するまで持ちこたえればいいのだ。
そしてその帰還は約束されている。
ひとつの戦いが、グランデリア王都で静かに始まることとなった。
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