第1話 飛ばされたバイクの運転者は即死だったという。昨夜の事だ。

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*** 「何してんの?」  それが奴に対する俺の第一声だった。 「ああ助かった、マキノ? だよね。居て良かった~!」  奴は大きく上に押し上げた窓に軽くよじ登ると、あっさりとピアノ室の中に入ってきた。  放課後、四時過ぎ。  いつものように、俺はピアノ室を占領して、好きな曲を弾き飛ばしていた。  この時期、この時間にこの部屋を使う奴はそうそういない。  コーラス部もブラスバンドも、それぞれの音楽室を使っているし、音大を目指す生徒は、この秋口には、こんな所で練習する余裕があったら、自宅で好きなだけ弾き続けるだろう。  だから俺はその時、かなり驚いたのだ。窓は外から叩かれたのだから。  ピアノ室のある三階の窓の外は、ベランダになっている。  北側の新校舎のクリームを塗ったくったようなコンクリートの壁ではないが、そこはそこなりにしっかり作られ、ベランダに出たからと言って、危険なことがそうそうある訳ではない。  だが、そこに生徒が溜まるのは、学校側としてはそう好ましいことではないらしい。  従って扉は基本的に閉まっている。通行は非常事態に限られる。 「頼むマキノ、かくまってくれ!」  そして、そんなベランダから来たクラスメートは、どうやら非常事態らしい。どうしようかな、と俺は黙って首をかしげた。  だが奴は、そんな俺の対応など気にもしないように、さっさとグランドピアノの下にもぐり、ずるずるとした黒いピアノカバーの陰に隠れた。  何から隠れているんだろう?  年季の入ったわが校を体現している、緞帳のような黒いピアノカバーを俺は眺める。俺だったら好んでこの下に隠れたくはないものだ。  やがて、扉の外から音を立てて、人のやってくる気配がした。  俺はつとめて冷静に、ピアノの続きを弾き始めた。  何となく今日は弾きたい曲があったのだ。朝、目が覚めたら、一つの曲が頭の中でぐるぐる回っていた。こういう時にはちゃんと、頭の中からその曲を出してやらなくてはならない。  がらり、と引き戸が開く。  俺は驚いて手を止めるふりをする。入り口からは、にこやかに、だけどよく通るきっぱりした声が聞こえてきた。 「お邪魔してごめんなさい。こっちに男子が一人やって来なかったかしら?」 「さあ」  俺は素気なく、それだけ言った。  彼女は一歩、中に入ると、そう広くもないピアノ室の中をぐるりと見渡した。そして、ごめんなさいね、と一言残すと立ち去った。  彼女の足音が遠ざかっていくのを見計らったように、奴の声がした。 「助かった、ありがとう」 「それはどうも」  奴はもぞもぞとピアノの下から這い出して来る。だが俺のピアノの手は止まらない。 「素気ないなあ。まあその素気なさのおかげで助かったんだけどさ。……それにしても、お前上手いなあ」 「うん?」  俺は手を止めた。 「ピアノがさ」 「ああ…… 小ちゃい頃からやってはいるから」 「へえ、すげえの」  俺は会話しながら、この妙に気さくなクラスメートが誰だったのか、記憶を探っていた。  見覚えはある。  基本、きちんきちんとした連中が中心のこの学校の生徒の中で、こんな、ネクタイをだらんと緩め、無造作に腕まくりしている奴はそういない。  クラスメートということは判る。だけど名前が思い出せない。整った顔立ち。結構人気のある奴だということは覚えているのだが。  そんな俺の様子を見て取ったのか、奴は苦笑しながら訊ねた。 「もしかしてマキノ、俺のこと、忘れた?」 「ごめん」  さすがに俺も素直にそう言う。 「覚えていてくれよなあ。クラスメートなんだからさあ。カナイだよ、カナイ」 「あ、ああ、そぉか。仮名のカナイ君だったよなあ」 「そ、仮名文字のカナイ君でもいいのよ」 「OK、記憶した」  俺は手を挙げる。 「ところでカナイ君、今君を追いかけていたのは、我らが敬愛する生徒会長ではないの?」 「俺の名知らなくとも、あいつの名は知ってるのね。悲しいわ」  うるうる、と奴は顔を手で覆い、泣き真似までしてみせる。俺は呆れて肩をすくめた。 「そりゃあ、この学校初の女子の生徒会長だったら、嫌でも覚えるだろ?」 「まあね」  奴は顔から手を外した。へらっとした笑顔がのぞいた。 「それに優等生。こないだの中間テストでもいい手ごたえとか言ってたしなあ。狙ってるのがお茶(の水)よお茶!」 「詳しいじゃないの」 「幼なじみなんよ。向こうが一つ上なんで、姉貴づらしてさあ」  奴はピアノの上に片ひじをつくと、やや気怠そうにあーあ、と声をもらした。おや、と俺は耳を澄ませた。妙に耳に飛び込んでくる声だった。 「心配してくれるのは判るのよ、だけどなあ」  カナイはそこで言葉をにごし、黙り込む。俺は再びピアノを弾き始めた。まだ曲は終わっていなかったのだ。  しばらく奴はそれを黙って聴いていたが、やがて俺のそばにまで近付くと、譜面の置いてないことに気付いたらしい。 「何って言ったっけ、その曲? 何かひどく重いけど」 「さあ、タイトルまでは。忘れた」 「そういうもの?」 「まあね。結構手が覚えてるものだし」  それは本当だった。タイトルはともかく、その曲は結構昔から練習した中にあったはずだ。だからこそ、勝手に頭の中で鳴り響くのだろう。 「ま、いいさ。とにかくかくまってくれてありがと」 「どう致しまして」  俺はひらひら、と手を振る奴に、そう返した。  カナイはピアノ室の扉を開けると、一度きょろきょろと辺りを見渡し、そしてそっと扉を閉めた。意外にデリカシイはある奴らしい。
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