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まったく、とんだ招かれざる客だ。 ロベルタは窓外を眺めながら、誰にともなく吐き捨てた。 このままひそやかに終わろうと思っていたのに。シロはなにも知らずに生きていった方が、幸せだった。 今手元にいる魔物と殺し屋たちは苦しまず死なせてやれるし、ウォンだって死体を喰うことをやめられるなら、そのまま生かしといてやってもいい。私が死んでも、誰も生活に窮することはないように数多の事業を展開し、街に資金を流入させるシステムは整っている。 人間カタログなんて下品な呼び方をされているが、あれも大当たりで、いまや医療の世界にまで私の名とこの街の名を轟かせるに至った。福祉や難民問題で成功することは、国内外から大きな信頼を寄せ、その後の安泰も約束される。あとは後任の腕次第だが、ここからすべての魔物を駆逐し、ここにいまより多数の人々が正式に移り住むことができれば、ここはいよいよあの大河同様、国で3番目くらいには食い込める、豊かな大都市に成長できるはずだ。 問題は人材だがどうとでもなるだろう。それでも、えげつないことをしているって?だが善悪など表裏一体だぞ。きれいごとしかないのでは、我々はやがて与えられた雨水をすすることしかできなくなる。 そうさ、閻。私は確かに、灰色の故郷が嫌いだった。ここよりも重く湿った空でな。私の家族は、皆その空しか知らずに、殺されたよ。私が魔女の血を引いて生まれてしまったばっかりにな。 それに比べてこの街は、いともたやすい街だった。魔物と悪人しかいない。すなわち、普通程度の人間の頭脳さえあれば、支配などアサメシマエだった。 ただ、私には守るべきものがあった。それが、キイス…。 閻、お前の祖父とのあいだに儲けた子だ。遠縁だと伝えていたが、私とお前はずいぶんと近い縁だろう? お前のじいさんは、妾の私も愛してくれたよ。だが添い遂げたのはお前のばあさんの方だった。当然か。美しい女だったな。今やどうでもいいことだが。 「ロベルタ様、いつまでも窓際にいらしては、お風邪を召されますよ。ひざかけを」 メイドが背後から声をかける。 「また私を年寄り扱いして…そんなことで風邪なんかひかん」 「そんなことを仰って、ついこのあいだ熱にうなされていたのは、どこのどなたでしたか」 「まったく、生意気な口をきくようになりおって…女はこれだから」 ロベルタを、悪の帝王のごとく恐縮しながら接する者はない。この屋敷にいる者は皆、この老いたロベルタを慕っているのだ。 「お前、そろそろ結婚を考えたらどうだ。お前の母親や祖母のように、女を家庭専属のメイドになどさせない男と」 「そんなことを言ってくれる人がいても、きっと結婚すれば変わってしまいますわ」 「文句を言うなら離婚だと怒鳴りつけてやればいい」 「そんな女が結婚できるわけないでしょう」 「私はそういう女の方が好きだけどな…」 「いやだ、ロベルタ様。でもロベルタ様が女性だったなら、そういう強い女だったのでしょうね」 「私が女だったら?…ああそうさ、私は私のままだ。はははは、私が女だったら、ね」 私が、かつての女のままであったら。 魔物など作り出すことも考えず、そのための手段も目的も持たず、そしていま、どうしていただろう。 あの日、あのオスの個体に噛みつかれなかったら。 私にはこの街を救うこともなかったが、悪事にもかかわることなく、どこぞの小さな教会で、占い師のおばあさんなんて呼ばれて、平凡に、それなりの幸せな暮らしをしていたのかもしれない。 しかし魔物人間を作って、殺しに使おうなんて、やっぱり私は根っからの魔女だったのであろう。普通の人間には突飛で残酷な発想なのかもしれない。 しかし私は悩むことなく、実にたやすくそれを思いつき実行した。うまくいくという吉兆を感じていたのも大いにあった。しかし同時に破滅も見えていた。その破滅が、キイス…お前を悩ませ、失うことだったとはな。 これで良かったのか、あるいはただのありきたりな女でいた方が良かったのか。それだけはどうしても分からない。そもそも私には、普通の幸せがなんなのか、あまりよく分からない。 サイラスは知っていたのだろうな。まだまだ貧しきメイリーシアの中でも、恵まれた子供であった。ただしき両親、家柄、性質、それによる信頼、すべてを兼ね備えていた。 でもあの子は、魔物と化してもやっぱりそこに行き着いたのだ。キイスを愛し、子を産み、いっときでも家族5人で、誰が見ても幸せな家庭を築いた。キイスが死んでも、子供たちを学校にやり、長男坊と店を切り盛りし、未亡人ながらもやっぱりどこか幸せそうなままだ。 そういう強さにキイスは惚れたのだ。よくわかる。彼が欲しくても得られない強さを、サイラスは生まれながらに持っていたのだから。 私は、誰を幸せにしてやれただろう。 私によって救われ、それゆえ私の信念を慕う者は大勢いるし、私自身が己れの為したことを悔いたりなどしていない。死んだ者は、よりよい未来の贄となった。のたれ死ぬより、ずっと意味のある尊い死だ。 これが最善であった、地獄の審判のときも、そう断言してやるつもりだ。でも私は、幸せを与えてやるべき者に、確かな愛情を見せてやれただろうか。家族とは、私の人生においてどのような位置付けにあり、どのような意味を持ったのであろう。
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