17人が本棚に入れています
本棚に追加
11
ねえキイス。いったいいつから、そう決めてたの?
ー「シロ…クーガくんたちには、僕から話そう。遺書の通りに。悪いけどしばらくここで眠っていてもらう。もしまた死のうとしたら無期限で特別室に入院だ。いいね」
モグに抑え付けられ、ニシによって何かの薬品を注射され、意識が遠くなる。
「先生…キイスを魔物にして。いますぐ。いますぐ…」
「キイスくんは人として死ぬのだ。彼がそう望んだのだから。モグ、ベッドに運んで拘束しておいてくれ。…悪いね、シロ」
頭痛がだんだんとおさまってきた。
記憶の断片、バラバラの紙切れが、自分という一枚の見取り図になり、遠い日々がまるで昨日までのことのように、アタマの中にあざやかに蘇る。
血しぶきで汚れた手紙を読み、サイラスは、さっき当然のようにキイスを探した理由がわかった。シロとしてあの人と出会ったときから、魔物としての時は失われ、きのうの晩まで止まっていたのだ。
筆圧のおうとつ。文字をなぞってみる。ああ、これだ…と、かすかなしびれに甘い疼きを感じる。
この人が残したもの。着ていた服の糸くず、髪の毛一本、使っていた仕事道具や、それらを磨いていた布切れ。すべてがあたたかく、甘美で、愛しい。
この男によって人間から魔物にされ、魔物からまた違うナニモノかにされた。この男によって生かされている。自分はこの男だけのものだ。
「バカだね、ひとりで、なにを悩んでいたの」
どれだけ泣いても涙は枯れない。
「くだらないんだよ、バカ。本当にバカ…」
人間がこんなに悩み多き生き物ならば、いっそのことみんな魔物になってしまえばいい。
メイリーシアのサイラスのまま生きていようと、大河の街のシロとしてなにも知らずに生きていようと、結局は同じことなのに。善も悪も、すべては表裏一体。その中で手に入れた幸せが正しいか否かなど、誰にも裁きようのない、裁く権利もないことだ。
もしも僕がキイスを許さないというのならば、この世のどこにも僕が生きていく道などなかった。
「ああ、もう。泣きすぎてアタマ痛い。一生分。もう二度と泣けないよ」
ひとりで笑って、何度も何度も頬を拭って、そして丸椅子から立ち上がると、その手紙をゴミ箱に捨てた。
「ウォンの野郎、最後の肝心な部分をいちばん汚しやがって」
キイスは、よく分かってる。僕はめんどうなことが大嫌いだ。なにがあっても、死ぬまで生きていくしかない。
先生の奥様も、モグのお兄さんも、美しいメイリーシアの日々も、キイスの手紙も、もう明日には持っていけない。
「先生、僕にもコーヒー淹れておくれ。」
ニシ、モグ、クーガ、それから閻とレオ。
椅子が5脚しかなかったためかウォンだけ床に座らされているが、皆なにかの話合いの最中だったようだ。この病院にこんなに人が集まるのは、奇妙だが悪くない光景だと思った。この顔触れだからそう感じるのだろうか。悪くない。家族が揃ったときのような、昔からの仲間たちに出会ったときのような、少し懐かしい気分。
「おお。読み終わったかい。ちょっと待ってて」
「サイラス…こちらへ」
「いやいいよ。レオは座ってな。ウォン、お前四つん這いになれ。そこに座る」
「てめえ…だんだんペット以下の扱いになってきてるな…」
「先生、手紙は捨てたよ。別に読む必要はない。だいたいこいつの鼻血で汚くて見れたもんじゃない」
「母さん…いいのかよ」
「いい。お前の父さん、そして僕の愛する旦那様は紙切れじゃない。アタマん中に入れて、いつでもどこでも持ち運べるのさ。先生、そういうことだから」
「そうかい。君がそう言うんなら、そうなのだろう。はいお待たせ。ちょうどいいや、いま僕らは、過去のことなんか忘れるくらい、新たな生き方についての会議に熱中してたのさ」
「レオたちと同じ汽車の切符を買おうかどうしようかってことだろ。ああ…えっと、あなた、ずいぶん前に屋敷で会いましたね」
「閻です。覚えていましたか。…まあ、大方そういうことです。あなたのご主人がそう仰ったのだから、あんまりまずい結果にはならないでしょう」
「どうとでもなりますよ。別に、何があっても普通に暮らしてきたんだから。どこに行こうと、こうして生きていくんです。きっと」
そうして奇妙に引き寄せられた7人は、コーヒーを飲み干して、もう一度会う日を決めてから各々帰路についた。
次に会うときは、ここを去るときだ。しかしそのための準備も荷物もさほど無いことを、みんなで笑った。ウォンに至っては、持ち物など携帯電話とクレジットカードだけであった。
最初のコメントを投稿しよう!