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ねえキイス。いったいいつから、そう決めてたの? ー「シロ…クーガくんたちには、僕から話そう。遺書の通りに。悪いけどしばらくここで眠っていてもらう。もしまた死のうとしたら無期限でに入院だ。いいね」 モグに抑え付けられ、ニシによって何かの薬品を注射され、意識が遠くなる。 「先生…キイスを魔物にして。いますぐ。いますぐ…」 「キイスくんは人として死ぬのだ。彼がそう望んだのだから。モグ、ベッドに運んで拘束しておいてくれ。…悪いね、シロ」 頭痛がだんだんとおさまってきた。 記憶の断片、バラバラの紙切れが、自分という一枚の見取り図になり、遠い日々がまるで昨日までのことのように、アタマの中にあざやかに蘇る。 血しぶきで汚れた手紙を読み、サイラスは、さっき当然のようにキイスを探した理由がわかった。シロとしてあの人と出会ったときから、魔物としての時は失われ、きのうの晩まで止まっていたのだ。 筆圧のおうとつ。文字をなぞってみる。ああ、これだ…と、かすかなしびれに甘い疼きを感じる。 この人が残したもの。着ていた服の糸くず、髪の毛一本、使っていた仕事道具や、それらを磨いていた布切れ。すべてがあたたかく、甘美で、愛しい。 この男によって人間から魔物にされ、魔物からまた違うナニモノかにされた。この男によって生かされている。自分はこの男だけのものだ。 「バカだね、ひとりで、なにを悩んでいたの」 どれだけ泣いても涙は枯れない。 「くだらないんだよ、バカ。本当にバカ…」 人間がこんなに悩み多き生き物ならば、いっそのことみんな魔物になってしまえばいい。 メイリーシアのサイラスのまま生きていようと、大河の街のシロとしてなにも知らずに生きていようと、結局は同じことなのに。善も悪も、すべては表裏一体。その中で手に入れた幸せが正しいか否かなど、誰にも裁きようのない、裁く権利もないことだ。 もしも僕がキイスを許さないというのならば、この世のどこにも僕が生きていく道などなかった。 「ああ、もう。泣きすぎてアタマ痛い。一生分。もう二度と泣けないよ」 ひとりで笑って、何度も何度も頬を拭って、そして丸椅子から立ち上がると、その手紙をゴミ箱に捨てた。 「ウォンの野郎、最後の肝心な部分をいちばん汚しやがって」 キイスは、よく分かってる。僕はめんどうなことが大嫌いだ。なにがあっても、死ぬまで生きていくしかない。 先生の奥様も、モグのお兄さんも、美しいメイリーシアの日々も、キイスの手紙も、もう明日には持っていけない。 「先生、僕にもコーヒー淹れておくれ。」 ニシ、モグ、クーガ、それから閻とレオ。 椅子が5脚しかなかったためかウォンだけ床に座らされているが、皆なにかの話合いの最中だったようだ。この病院にこんなに人が集まるのは、奇妙だが悪くない光景だと思った。この顔触れだからそう感じるのだろうか。悪くない。家族が揃ったときのような、昔からの仲間たちに出会ったときのような、少し懐かしい気分。 「おお。読み終わったかい。ちょっと待ってて」 「サイラス…こちらへ」 「いやいいよ。レオは座ってな。ウォン、お前四つん這いになれ。そこに座る」 「てめえ…だんだんペット以下の扱いになってきてるな…」 「先生、手紙は捨てたよ。別に読む必要はない。だいたいこいつの鼻血で汚くて見れたもんじゃない」 「母さん…いいのかよ」 「いい。お前の父さん、そして僕の愛する旦那様は紙切れじゃない。アタマん中に入れて、いつでもどこでも持ち運べるのさ。先生、そういうことだから」 「そうかい。君がそう言うんなら、そうなのだろう。はいお待たせ。ちょうどいいや、いま僕らは、過去のことなんか忘れるくらい、新たな生き方についての会議に熱中してたのさ」 「レオたちと同じ汽車の切符を買おうかどうしようかってことだろ。ああ…えっと、あなた、ずいぶん前に屋敷で会いましたね」 「閻です。覚えていましたか。…まあ、大方そういうことです。あなたのご主人がそう仰ったのだから、あんまりまずい結果にはならないでしょう」 「どうとでもなりますよ。別に、何があっても普通に暮らしてきたんだから。どこに行こうと、こうして生きていくんです。きっと」 そうして奇妙に引き寄せられた7人は、コーヒーを飲み干して、もう一度会う日を決めてから各々帰路についた。 次に会うときは、ここを去るときだ。しかしそのための準備も荷物もさほど無いことを、みんなで笑った。ウォンに至っては、持ち物など携帯電話とクレジットカードだけであった。
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