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まるで昨日のことのようだ。
ー「ねえキイス。お嫁さんはほしくないの?」
「ん?うーん、そりゃあ欲しいけど…」
「キイスってさあ、自分が街の女のコたちに好かれてるの、気付いてる?」
「ええ?それホントかい?」
「なんかね、キイスって、女のコたちから見たらずいぶん色男にうつるらしいよ」
「こんなくたびれたおじさんが好みなのか?ずいぶん変わってる」
「僕にはなんかちょっとわかるけどね。守ってくれそうなとことか、やさしいところ。強くてやさしい人が、女のコは好きなのさ。きっとね」
「お客さんには、図体がデカイくせに気の小さい男だって言われるけどねえ。昔からの悩みさ。ケンカだって嫌いだし、いつもご婦人にはカンタンに言い負かされちゃうよ。シロは恋をしないのかい?」
「僕?…うん。まあ、してる」
「そうか。いいことだよ、俺も君くらいのころはいろんな女のコに惚れてたな。みんな叶わなかったけどね、昔から臆病者で奥手だから」
「叶うって、どうなることなの?」
「そのコをガールフレンドにすることさ。友達とは違う気持ちで手をつないだり、家族とは違う特別なキスをしたり。いつか結婚する人もいるだろう。若い頃からの恋人と結婚した友達を、俺は何人も知ってるよ」
「そう、結婚ねえ。でも僕はお嫁さんが欲しいわけじゃない」
「なぜ?」
「この街は、同性の恋人が認められててよかった」
「君、男のコに恋をしているのか」
「男のコじゃないよ。くたびれたおじさん」
「え?」
「…キイス、僕はあなたのこと、とても好き」
幸せと罪悪はいつだって表裏一体だった。
ー「ねえキイス。試してみて。…ちょっと怖いけど…」
「怖がらなくていい。こんな俺が親になることを、神がお許しになるのかは分からないけど…」
「キイス、ずっと一緒にいてね。僕のことキライになるまで。捨てるんなら、殺してね…」
「バカいうな。…君をもう二度と失いたくない」
「二度とって?僕、キイスのことフったりしたかなあ」
「シロ、いつか全部、君に話すときがくると思う。でもまだやめておく。勝手でごめんな。…ごめん。俺が死ぬときまで待っててくれ」
「なにそれ。何か隠してるんだね。でも、ずっと言わないでいいよ。あなた以外で、僕にとって必要なことなんか、もうなにも無いから。来て」
どこに行こうと、何を得ようと、あるいは失おうと、未来はやってきて、過去は流れ去っていくのに。
ー「ねえ、男の子だってさ。…あ、まだ言わないほうがよかった?」
「男?そうか、それならひと安心だ。娘だったら、よその男に取られるのをいまから覚悟しなきゃいけないとこだった」
「どっちに似ると思う?」
「俺似でいい。君に似てたら、結局娘みたいな心配も増える」
「奥手で小心者の坊やねえ……。お嫁さんもらいそこねるんじゃないか?」
「大丈夫。君みたいなステキな人に好かれる可能性もある」
「キイスが死んだら、このお店継ぐのかなあ」
「やりたいことをやればいいさ。好きな人と生きて、好きな街で死ぬのがいい」
「もうそんな先の話?」
「そうさ。ずーっと先まで。君と俺の子孫たちには、そうやって自由に幸せに生きて欲しい。君が妊娠したときから、毎日そう考えてるよ」
人間とは、欲深く贅沢な生き物だ。思い出を少しだけ、アタマの中に持っていければ、それで充分じゃないか。
ー「靴……剥がれちゃって。」
「おやおや、ずいぶんハデにいったなあ。……どれ、貸してごらん」
キイスは、手の震えを抑えながら、「シロ」から革靴を受け取った。
「大丈夫、すぐに直るよ。ちょっとお茶でも飲んで待っていなさい。時間はあるかい?」
「うん。ありがとう」
「ところで君は…」
「僕?シロさ。シロ・アリスタ。春からロベルタのとこで暮らしてる」
「シロ…」
「魔物だよ。…怖いかい?」
「いや」
「街の人たちはみんな僕を腫れもの扱いだよ。もう慣れたから別に平気だけど。でもロベルタ…パパはこの街の人たちを愛しているから、善良な人を傷付けたりなんてしないよ」
「そうだな。よくわかってるよ。…アリスタ家での暮らしはどうだい?」
「暮らし?別にフツウ。街の人たちより贅沢なものを食べてるとか、おっきなベッドで寝てるとか、そんなこともない。普通だよ。パパは何考えてるのかよくわかんない。屋敷の人たちは皆洗脳されてるみたいに、パパを慕ってるけど」
「そうか…。何かつらいことは無いか?」
「別になにも…ねえ、おじさん大丈夫?泣いてるの?」
「いや、すまない。ちょっと、さっき悲しい映画を観ててね。思い出しちまっただけさ」
「あはは、なにそれおかしい。怖そうな見た目のくせして、涙もろいんだね」
「はは、おかしいか。そうだな、おかしいかもしれない。シロ、街の人間は嫌いか?」
「どーだろ。でもときどき優しい人はいるから、その人たちは好きさ」
「そうか。どんな人間がいても気にしなくていい。その人たちは魔物の君でなくとも、誰に対してもそうなのさ。ただの性質だから。…シロ、なんだか、はじめて会った気がしない。なぜだろう。なぜだろう…」
「…おじさん、どこかで僕のことを見かけたんじゃない?…僕ははじめて見たよ」
キイスはこのときの光景を、死ぬまで忘れなかった。自分の犯した罪の深さに、死を思った。だがそれよりも、こうして生命を与えた「シロ」に、一生をかけて幸せな暮らしを与えたいとも思った。
「さあ、直ったよ。次また剥がれるようなことがあればすぐにお出で。今度は新しいのを買いに行こう」
「あはは、そうだね。ありがとう。いくら?」
「うちは靴と自転車修理はタダさ」
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