2章-3

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「ずいぶん紳士的だなあ。こんな時間に帰したのか」 「…お前、なんつうとこに居やがる」 帰り道で、クーガはよその家の屋根に腰掛けているウォンを見上げた。 「おウチが厳しい子なのか?」 地面に降り立ち、並んで歩く。 「お前俺のこと待ってた?」 「いや。ボーッとしてたらお前が早くもこの道を帰ってきたんだよ。フられたか?」 「お互い明日も朝から仕事だ。だいたい俺がそんなもんに会ってるなんて誰から聞いたんだよ」 「みーんな察してる」 「…レオさん?」 「お前、レオさんの口を借りやがったな」 「なんの話だよ」 「なんの話って、俺がこのままごく自然にお前の家までたどりついて、当然のようにあがりこんでメシを食う話だよ」 「いつものことだろ」 「そのあと風呂にまで入り、まあ酒も軽く飲んで、そうしたらもうかなりいい時間だ。で、それからどうすると思う」 「俺によって叩き出されて、酔っ払ってその辺の道ばたで寝る」 「ふざけんな」 「じゃあどうするってんだよ」 「お前んち、まだベッドが2つしかねえからな」 「あと2つあるだろ」 「それは弟どもの新品だろ。まっさらのベッドに他人が先に寝たらどう思う。俺なら気分を害する。だからそんなことはしねえ」 「前の家でお前が使ってたのは親父のベッドだぜ。母さんの旦那のベッドで寝てたわけだ。そうたいした違いじゃねえだろ。たかがベッドくらい」 「ならお前のベッドでも寝ていいってことだな?」 「断固拒否する」 「…まあ聞けよ。俺はな、今日から正々堂々と、お前の母親のベッドをなかよく半分こしてもよくなったんだ」 「…そうかい」 暗がりで、お互いの表情はわからない。 「でも安心しろ。ずっと同じってわけじゃない。なんせシングルだからまともに寝れねえだろ。…だから俺のベッドを置くための部屋をひとつもらったんだ。あの2階にある倉庫の隣だけどな」 クーガは何も答えない。 「だが、あそこはお前らの家だな。お前とサイラスと弟の家…。そこに他人の俺が間借りするってんだから、家主に許可をもらわねえといけねえな。ふつうは。家主はサイラスだけじゃない。共に働いてあの家での暮らしを成り立たせているお前も、立派な家主だ。サイラスが死ねばお前があそこの名義を引き継ぐわけだしな」 「…はっきり言えよ」 「レオさんのはからいでカタはついたわけだ。けどキッカケみてえなもんを与えてくれたお前からちゃんと聞かねえと。…お前が、やっぱやめよーぜって言っても俺は従う。けどそういう中途半端な気持ちで、お前の母親とくっつきたいとほざきたくはない。俺はひとりの男としてサイラスが好きだ。サイラスも俺を好きだ。けどサイラスが世界でいちばん愛してるのはお前らだ。だからお前が認めないのなら俺は一切身を引いて、この街を出る。仕事的にも、どうせどこにでも流れてける身だからな。けど…」 あの日、キイスの手紙を渡し損ねたことを咎められたとき。ウォンは小さくなって、クーガにスマンと謝った。そのときの弱々しい人間らしさが、暗がりの中でまたにじみ出ている。こんなふうに"お伺い"を立てる性質なんかじゃない。だから恐らくウォンは、少しだけ怖いのだ。 この男がどんな恋を重ねて、どんなふうに人を愛してきたのかは知らない。そんなこと話したことがない。けれどクーガは、そんな男がサイラスにまとわりつくことや、まんざらでもない顔で付き合うサイラスを見て、なぜだか嫌な気分にはならなかった。むしろこのふたりが共にいることが、ごく自然に思えた。 「…けどお前がそれを飲んでくれるのなら、俺がサイラスのそばにいることを許してくれ。あの家に帰ってくることも、同じベッドで寝ることも、お前と暮らすことになるのも、ぜんぶ。お前に許してもらえなきゃ…信じてもらえなきゃ、サイラスとは付き合えない。お前は憎たらしいやつだけど、あの街で出会った奴らの中で、サイラスと同じくらい信頼してる男だ。それはこの街でも同じだ。まわりくどいがそういうことだ。それをぼんやり考えてたらお前がフられて帰ってきたんだ」 「ばかやろう。お前、俺にお伺いを立てにきたわりにはところどころ失礼だぞ」 「お前だからな」 「んだとてめえ…でもいまの録音しときゃよかったなあ。女々しさに磨きがかかっててよかったぞ。俺は人の人生に口出ししない主義だ。レオさんから聞かなかったか?お前が母さんとどうなろうとこれからどう暮らしていこうと、それは俺が決められることじゃない。の飼い犬生活が長かったせいで、お前は誰かに従わなきゃいけねえと思い込んでるだけさ」 ウォンの背中を、バンと叩く。 「俺に迷惑をかけないように、好きなだけあの家で暮らせばいい。嫌になったら出てきゃいい。それだけのことだ。その代わりセックスするなら極力俺に気を使え。親のセックスに鉢合わせるなんて地獄だぞ。しかもお前との」 クーガの力強いてのひら。いつもなら「いてえな!」と怒るのに、今日は目のさめるような心地よさがあった。 「…クーガ、お前あんなハナタレのガキだったのに、ほんとによくここまで成長できたな」 「は?」 「ニシさんがお前の写真持ってたぞ。ガキの頃の。奥さんとモグとお前ら一家で写ってるやつな。さっき見してもらったんだ。ママにべったりくっついて写ってたあんなチビ助が、こんな男前になるとはなあ…」 「ニシ先生の野郎…余計なことしやがって…」 「みんな…エンさんもレオさんもみんな、お前のこと、たいした男だって言ってるぜ」 「そーかよ。それより俺はマジでフられてねえからな」 「なら顔みせに連れてこいよ。お前がどんなヤツを好きになるのかは興味あるな」 「ふつうだよ。ふつう」 「レオさんとどっちがきれいだ?」 「…ばかやろう。俺は横恋慕なんかしてねえぞ」 「命は惜しいもんな」 「そのとおり」 遠くに飲み屋街の看板がちらちらと見える、寂れた路地。街灯も乏しい、暗い夜道。しかしふたりは、ネオン街をうろつく酔っ払いのように、うるさく笑いながら、いつものとおりあの家への道を歩いた。 ー「おかえり。ふたり仲良くご帰宅かい」 「おう。男同士の話をしながらな」 内容は分かっている。少しだけ気恥ずかしくて、へー、とだけ言ってサイラスはキッチンに戻った。 「恋人をつれてくるかもって、ちょっと期待してたんだけどなあ。」 そう言っていつもより少しだけ豪華な食事とシャンパンを並べられ、クーガが「じゃあこれはふたりの祝いにしような」と言ったら、サイラスは頬を赤くした。 3人で囲む食卓はやはりいつもと何ら変わらなかったが、そのあとに呑んだ強めの酒でサイラスがめずらしく酔っぱらい、泣きながら呂律のあやしい「ありがとう」を何度も言われた。クーガはそんな母をなだめつつどうにかベッドに寝かせたが、ウォンはそのまま酔いつぶれて、結局そのままリビングの床で寝入った。 「やれやれ。明日ちゃんと起きてくれよ、また忙しいんだから」 ウォンに適当なタオルをかけてやり、クーガはためいきをつく。そしてやっぱり、このふたりとのこんな暮らしも悪くないと思っている自分に気づいて、フッと小さく微笑んだ。
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