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ここから街を3つ越えれば、まもなく灰色の国境が見える。
肌寒いところだ。治安は悪かないが、たいした暮らしをしてる人もない。患者だって金が無い者ばかり。商売になりゃしないったらない。
ここには大きな川が流れているから、この国でここは、"大河の街"として知られている。僕はこの大河の街で医者をやっている。
…と言ってもまともに学校なんか出ちゃいないが。けど腕だけはいいと自負している。
まあ、どうとでもなるだろう。おんなじようなアルバイトの医者もどきと2人。ここは潰れる手前の小さな病院。ときどきまとまった寄付金が入る、それが頼みの綱の貧しい暮らしだ。
ー「ニシ先生にしか頼めない、こんなこと」
「ずいぶん特殊なリハビリだなあ」
数年前に未亡人になった、僕の昔なじみの……今は、患者。ここら辺で医者の商売をやり出してから知り合ったから、もうかれこれ20年ほどの付き合いか。ここは国と国の境目だが、人間と魔物のすみかの境目にも位置するせいか、ときどき人間じゃないモノが現れる。
あの川から向こうの山が、この未亡人の本来のすみかだ。川から手前は、人間の街。そうして棲み分けられている。しかし時おり山を降りて街に出てくる個体もある。何のためかといえば、獲物を喰らいにだ。
だから見つけたら即座に特殊部隊に通報するか、弱いヤツなら自分で駆除する。僕はそんなのの死骸を見つけては拾って解剖して研究するから、その界隈ならば第一人者的な立ち位置だ。
この子は人間に見えるけど、死んでしまえば僕の研究材料になるであろう、「シロ」。猫とか犬みたいな名前だけど、これが彼の名だ。そうそう、彼は未亡人だけど、オスだ。そして人間の街で暮らしている。
「特殊だけど性のリハビリなら得意分野だ。プロの人間を何人か取り揃えてるよ。カタログを読むかい?老若男女、体型もさまざま」
事情があってセックスが出来ない人間というのがある。身体的な原因で恋人を作れない、なにかしらのトラウマを抱えている…など。そういうのの為に用意されたシステム。
これは遊びじゃない、国が用意したれっきとした医療行為の一環だ。性犯罪の撲滅の手立てに、というのもあるらしいが。
「君ほどの器量良し…わざわざお金を払わなくたって、その辺のヒトで出来るんじゃないの?」
「みんな、僕が人間じゃないって知ったら怖がるから…」
「君の旦那さんは人間だったじゃないか」
「あの人は特別。僕を恐れずに愛してくれたのは、彼だけだよ」
人間と魔物の溝は深い。
そりゃあそうだ、魔物は人間を食い殺してきたんだから。今はめったにないけれど、クマに襲われるより少し少ないくらいの頻度で耳にする。
でもシロは、ヒトを食わないのに。それどころか人間の男を愛し、失ってからは特定の恋人も作れずにいるほど一途だ。
人間カタログをパラパラとめくる。
「この人たちは、誰とでもセックスしてくれるの?」
「僕の許可が出ればね。この患者はダイジョウブって。君は無論OKさ。人を殺したことはあっても、食ったことはないだろう」
あはは、と事も無げに笑う。
「ところで、どうしてセックスをしたいんだい…なんて愚問か。誰でもしたいもんねえ」
「先生は奥様と別れてから、どうしてるの?」
「僕は意外にも淡白だよ。最近はよほど我慢出来なくなったらひとりでやる。誰かに求められればするけど、きっとパートナーにとってはもの足りない男さ」
「そう。…僕は純粋に、あの人に与えられたさまざまのことが忘れられないだけだよ。死んじまってしばらくはそんな気持ち湧かなかったけれど…恋人はまだ作りたいと思わない。でも生きていると、男のヒトが欲しくなる」
「そうか、そりゃあそうだ。生きてるんだから。旦那さんに似たヒトがいい?後ろの方に、カラダが大きめの人たちが載ってるよ」
「ううん、似てなくていい。……あ、あとね、頭も痛い。最近よく頭痛がして……。薬もちょうだい」
「あいよ」
少しだけとがった耳と、爬虫類のように、ヒトをぬるりととらえそうなするどい眼。しかし奇跡的に絶妙なバランスで整っていて、黙っていれば線の細い綺麗な青年だ。がんばって人間と同じ食事をしながら、ときどきは我慢できずに、死んだ旦那から生き血を分けてもらっていたらしい。
孤児であった身で、この街を取り仕切るボスに拾われ、しばらくは掃除屋をやっていたシロ。もちろん街の清掃じゃない、掃除とは、邪魔な人間を消すことだ。
死んだ彼の主人は、キイスという、この街の何でも屋。これは別に何でも殺すというわけじゃなくて、何でも修理する、ごく普通のカタギの仕事である。
大きなクマのような見た目であったが、街の人間から好かれる優しい男だった。シロの靴の底がはがれて店に立ち寄ったのが縁だそうで、そこでキイスの人間的なごく普通の優しさに触れ、はじめてその温かさを知ったのだという。
当時のシロはまだまだ子供といえる年齢であったが、この人間に惚れ、おそらくは愛を知り、猛烈なアタックのすえ結婚を決め、寿退社します!と言って組から抜けたらしい。あっさりやめられたのは、シロはやはり恐ろしい魔物であり、「ボス」はシロの恐ろしさをよく知っていたからだ。
と、思う。
だがキイスを失って、シロは目に見えて落ち込んでいた。仕事はどうにか続けている。結婚してから、何でも屋で夫婦共に働いていた。彼が魔物などでなければ……と悔やむ人間のオスはたくさんいた。シロは街で評判の美形だ。
同じオス相手に?と思うだろうが、それはまあ、シロがあくまでも人間のオスではないからだ。細かいことはじきに分かる。魔物として人間に受け入れられたはじめての存在。過去は血にまみれているのに、みんなもうそれを忘れているかのように。今日も街の人々の依頼を受け、シロは人間のように働いている。
でもシロは、寂しいのだ。
ー「どうだった、久々のオスは」
カタログから選んだ青年と、たったいま病室でのセックスを終えた彼に尋ねる。
「けっこうよかった。血もくれてね。いい子だった。まだ若いのに……」
「そうか。よかった。まだしばらくは必要かな?」
「うん…」
「好きなヒトを作るのがいちばんだけど、まあ、忘れちゃいなさいなんて簡単には言えないもんなあ。でもキイスくんなら、早く幸せを取り戻してくれって言うと思うが」
診察室でタバコを吹かしながら、カルテを書く。
「贅沢をいうなら、人間のふつうの女のひとに生まれたかった。同じ魔物はきらいさ。優しくて温かい、あの人みたいな男と暮らしたい」
「キイスくんのような人なら、君が誰であっても愛してくれる。自信を持ちなさい」
そうして次の"リハビリ"の日を決め、シロは仕事に戻っていった。人間の男に仕込まれた肉体は、もう人間の男でなくては満足できないのか。特にシロはそうだろう。なぜなら人間の男に、ある意味ではメスにされたのだ。
「先生、シロは帰ったのかい?」
同じ無免許で、ここのアルバイト医師のモグが顔をのぞかせる。
「うん。たった今」
「あいつ、血ィ飲み過ぎだって言っといてください。今あの相手の男、輸血中です」
「あははは、久々だから加減を忘れたな」
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