限界のL11峰

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「何でだろウな」  髭のドイツ男がつぶやいた。気の所為か少し聞き取り難いこもった声。 「何でオレはこんな危険な山に登ろうとシたんだろう」  愚痴とも後悔ともつかぬ弱音。 「あの世界最高峰ヲ誇るチョモランマでさえ、累計9000人を超える登頂者がいルんだぞ。それに比べてL11峰は『0人』だ。どれだけ危険な山か……無謀過ぎるって十分に分かってダろうによ」 「ああ。そうだな」  俺は山頂へ辿り着きはしたが、生きて帰らない限り『攻略』とは言えない。 「僕は『そこに山があるから』かナ?」  英国の男が自虐的に嗤ってみせた。まるで酔っているかのように呂律が悪い。 「そこに極上の素晴らシい淑女いるとすれば、手を出したくなるのが紳士たる気質ではないかネ? 理屈なんぞ必要はナい」 「自分には分からなねぇナ」  ガイドが小さく首を横へ振った。低く震えるような呻き。 「何で皆んな高い金を払ってまで死にに行くんだ? ……チョモランマだって、実は300人以上も死んでルしな。30人に1人は死ぬ過酷な登山だ。このL11峰近辺でモ大勢死んでいる。……皆んな諦めるか死ぬんダよ。なのに、何で挑もうとするんダ」 「じゃあ、あんたは何でガイドなんてしているんだ? 下手したら死ぬと誰よりも分かっているのに」  俺の意地悪な質問にガイドの男は「家族を養うたメだ」と答えた。 「旦那方を山へ連れていケば金になる。それだけだ」 「命懸けでか?」  その問いにガイドは「そウだ」という。 「いい金になる仕事は何時ダって命の危険と引き換えナんだ」 「そうイう君はどウなんだい?」  英国男が尋ねてきた。 「君は何故、こんな危険な山に登ろうとする? 日本には富士山という立派な霊峰があルじゃないか。それで満足はしナ゙いのかね?」 「遠くから見れば立派であることに異存はないが、富士山の登山者数は10万人以上だ。もはやピクニックと大差ない。……今さら何の意味がある」  そうだ。俺は遠くから眺める霊峰の雄大さが好きだし、山の自然を肌で感じるのも悪くない。だが、山を楽しみたいわけじゃないんだ。そうじゃなくて。 「オレは歴史に名前を残しタかった」  髭面男が泣いていた。    「チョモランマ初登頂のエドモンド・ヒラリーみたいにこの世界に名前を残しタかった。オレならできると……自尊心から自分に嘘をついタんだ。何の根拠もないのに。……L11峰を選んだのはミスだっタ」 「そうか」   俺に彼を責める資格なんぞない。「登山は無事に下山してこそだろう」なんて綺麗事をいえるくらいなら、俺は今ここにいない。 「俺は……山で自分を試したかった」  もはや自分がこの世に生きているのか死んでしまった後なのかも分からないまま、ぎゅっと膝を抱えた。
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