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「俺は自分の限界を知りたかった。試したかった。『俺という人間は何処までできるんだ?』って」
そうだ。どんな山への登頂を成功させたときだって達成感なんて味わったことはない。
頭を下げ回り必死になってかき集めるなけなしの資金、思い出すだけで涙の滲む辛い行程、いまだに苦しむ凍傷の後遺症。何もできず見送るしかできない『過去の落伍者の死体』の無惨さ。どれも辛い思い出ばかり。
山頂に立ったときもそうだ。
嬉しさよりも『もうこれで後は戻るだけだ』という逃げの気持ちが先に立つ。それほどまでに霊峰はどれも厳しい。
だがそうして様々なものを犠牲にして帰宅したとき。俺の心に残るのは虚しさとため息だけだった。
結局、そこにあるのは『俺の限界はそこじゃ無かった』といういつもと同じ結論だけだった。
じゃあ、俺の本当の『限界』は何処にあるんだ?
俺はそれを知りたかった。次なる危険な山を目指した。
そして今、こうしてその『限界』を味わっている。大いなる挫折感とともに。
本当の意味での『限界』とは死ぬ寸前になってやっと姿を現すものなんだ。だから限界を実感できたら、後は死ぬだけだ。……今頃になって気づいても、もう遅いんだがね。
「もしかしたら俺は死に場所を探していたのかもな」
ポツリとこぼす。
「最高の死に場所ってヤツを」
だとすれば、それこそが『山の魔物に魅入られた』というものなのだろうか。
もう、何もかもが遅いのではあるが。
と、そのとき。
「助かりたイか?」
発したのは、英国の男……だったヤツだ。もう、朦朧として影にしか見えない。
「……助かりたい」
それは偽らざる本音。誰だって死にたくて登山に行くヤツなんていないんだ。例えどれだけ無様でも、生きて戻りたい。
「ナら一つだけ条件ヲ飲め。そうシたら、とりアえず死なズに済む」
髭面男のぼんやりとした『手のようなもの』が俺の前に伸びてきた。
「オレたチのプライドを守るタめダ」
そう言われて、俺に断るという選択肢はなかった。
そして俺はそのまま意識を失って。
……再び目を覚ましたのは、簡素な病院のベッドの上だった。
「天候が急回復しなかったら救難ヘリも出せなかったんだぞ! どれだけ迷惑かけたか分かっているのか?!」
と散々に怒鳴られたが、それでも死なずに済んだのだ。ありがたく思わねばなるまい。
俺は何故かドイツ隊が所持していたと思われる古いビバークテントに潜りこんでいて、そのオレンジ色が空からの目印になったそうだ。
「登頂には失敗した」
俺はそう答えた。それが彼らとの約束だから。俺が『初登頂成功』となるのは彼らのプライドを傷つける。だから証拠画像の入ったスマホを彼らに渡した。
窓の外からザンスカールの山脈を見つめる。あの奥にL11峰があるが、もうあそこへ戻ろうという気にはなれない。
俺が追い求めた『限界』の先に達成感や多幸感なぞないと分かったから。
『もしかして』と、ふと考える。
L11峰の登頂を阻む精霊がいるのだとしたら、それは彼らのような過去の脱落者による怨念と嫉妬が……だとすれば、今後もあの霊峰は人間による征服を拒み続けるのだろうか。それとも、いつかは――。
いや、もう深く考えるのはよそう。山は遠くから眺めるときが最も美しく幸せな気分になれるのだから。
完
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