雨の日の再会

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「入って。何か拭けるもの持ってくるから」  彼は男から受け取った黒い傘を閉じて右脇の傘立てに立てた後、入り口すぐのスイッチをいくつか押して【志蒼館】の室内の蛍光灯を明るく光らせた。そしてそのまま入り口で革靴を脱ぎ、奥へと続く廊下を進んでいった。 「…」  男は玄関口に立ち、靴も脱がずに辺りを見渡していた。その目は新鮮な景色を受け入れるようなものではなく、昔から知っているものを懐かしむような目だった。 「こんなものしかなかった」  数分で戻ってきた全身水だらけの男が手に持っていたのは、人気のキャラクターや可愛らしい模様の入った夏の時期によく見るプール用のタオルだった。 「子供たちが置いて帰ったりするんだ。水場で洗って干してそのままだったり。……また洗って返せば良いから、使って」  そう言って彼は男の手にそのタオルを押し付けるように差し出した。男は受け取らず、ただ彼をじっと見つめて突っ立っている。明るい室内で見るその男の顔にいくらか見覚えがある気がした彼は、受け取らない男の行動を訝しみながら目を細めた。 「ほら、拭かないと。風邪を引くよ」  それでも動かない男に彼は仕方がないとかぶりを振ってそのプール用タオルを腕いっぱいにパン、と広げた。そうして目の前に立つ男の濡れた頭にそれを被せた。 「やめてください。」  やっと口を開いたと思えば、頭にタオルを押し付けわしゃわしゃと髪の水気を吸い取ろうとする彼の行動をやめさせようとした。 「そんなこと言われても、君が濡れているのは僕のせいでしょう」  呆れたように返す彼に、男は耐えかねたようにそのタオルを押し付けてくる彼の手を握った。   「……貴方の方が濡れています。」  握りしめる男の手の力はとても強く。その言葉と力に怒りのようなものさえ感じられた。片手の動きを封じられた彼は、少し驚いた顔をした後、自分の姿を改めて見た。目の前の男の言う通り、濃紺のスーツがより濃く水に染まって全身に重みを乗せていた。ぺたりと張り付いた髪が次から次へと水を滴らせ、真下にある玄関マットをぐちゃぐちゃにしていた。 「はは……」  振り返ると、廊下には自分が通った場所がわかるほど水の跡が続いていた。彼は今の自分の行動のチグハグさに気づいて小さく笑った。 「拭いてください。風邪をひきます。」  男はまだ頭に乗っていたタオルを取り上げて、握っていた彼の手に押し付けた。 「…」  その手に乗った人気アニメの主人公がプリントされたタオルを彼はただ黙って見つめた。何をしているのだろう、とふと浮かんだ疑問に答えられず固まった。そして唇を噛んだ。今更これで拭いても、全身に行き届いた水気を拭き取ることなどできない。家に帰り全て脱ぎ捨てて暖かいシャワーでも浴びない限り、体は冷え切ったままだ。 「…もう一つ探してくるよ。だからこれは君が使って」  それでもこの目の前の男は違う。さっき少し雨にさらされただけだ。だから自分の心配などせずにさっさと拭いて欲しくてまたタオルを押し付けた。尚も受け取ろうとしない男に焦れてもう一度その頭にタオルを被せた後、彼はまた奥の部屋へと向かっていった。
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