17人が本棚に入れています
本棚に追加
「部活は続けなかったんだね。」
「元々サボりがちでしたから。」
「……勿体無い、と僕が言うと君はよく怒っていたね。」
町田は中学生の頃陸上部に所属していた。地元ではそこそこの実力で大きな大会の出場権を持っていたりもした。けれど彼には部活に対するモチベーションがなく、練習の殆どを休んでふらふらと適当な時間を学校外で過ごしていた。
「部活に行くくらいなら、貴方と勉強をした方がその何倍も幸せだったんです。」
「人は勉強だけじゃ生きていけないよ。運動もしてしっかり睡眠をとって━━━」
「『健康的な毎日を送ることが、生きているということです。』ですか?」
「……本当によく覚えているね。」
「はい。覚えています。」
志野はそんな説教臭い自分の言葉に恥ずかしくなり目を伏せた。この年下はどこまで自分の言葉を覚えているのだろう。その場限りの出鱈目な言葉でさえも、彼にとっては大切な教訓として刻まれているのなら問題だ。
中学生だった彼にはあまりに大きな存在であったとしても、今彼の目の前にいる男はその発言の一言一句違わず覚えているほど大層な人間ではないと教えてあげなければならない。
夜中に独り身には十分な広さの自宅に帰りつき、適当な袋麺で食事をとる。そうして日付が変わった頃に寝付き昼前に起きる。運動はせいぜい自宅と職場である【志蒼館】の間の数百メートルほどを歩くくらいだ。学生時代に築いた身体能力などとうの昔に衰え、はしゃぎ立てる子供たちを追いかけるだけですぐに息が上がってしまう。
そんな彼のどこに健康的な生活を促せる要素があるのか。人にものを教える立場でありながら、自分はとてもじゃないが敬われるような人間ではないと志野は1人苦笑した。
「みつ━━━━」
「先生、何があったのですか。」
殆ど同時に発せられたそれは、志野が途中で諦めてしまった。この年下の熱い眼差しが、志野の言葉を奪ってしまった。どうしても知りたいという欲求が、目の前の男から溢れていた。
「何、とは」
「言いたくないのなら聞きません。」
年下はどうしても知りたいという顔をしているのに、決してこの志野という男に無理強いはしなかった。
雨に打たれ、呆然と大通りを見つめる姿はとても悲しく、それを見つけてしまったこの年下の胸中は計り知れないほどの痛みと苦しみに満たされただろう。しかしそれを押し付けはしなかった。
「……すまない。情けないところを見せてしまった。」
「ちがっ……!」
ガン、とガラステーブルに手をついたのは町田だった。もどかしい思いを言葉にできず、思わず出た手に自分自身驚きながら言葉を探す。
「……違います。そんな事を言いたいわけじゃありません。貴方が何故あんなことをしていたのか、その理由が知りたいだけです。でも言いたくないのなら僕だって無理に聞き出そうとは思いません。」
この町田の決して彼を傷つけたくないといういじらしい想いに、志野は深く息を吐いた。この年下が相も変わらず自分を慕っていることに少しの罪悪感を覚えて目を閉じる。決して君のような人間が慕うべき者ではないのだと、そう伝えれば彼はまた勢いよく否定するのだろう。それが分かって口にはしなかった。そうして彼は意を決したように瞼を開けた。
「簡単なことだよ。恋人と別れたんだ。」
最初のコメントを投稿しよう!