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ここで生きていくしか道はないのだと腹を括れと父なら私を叱るでしょう。母ならきっと静かに微笑むのでしょう。男はなんと楽でしょう。生きる道を示されないのは生きにくいです。
お台所に立ち、私は黙々と食事の支度をします。窓から見える外はどんよりと曇っており、すぐにでも雨が降りそうです。朝だというのに清々しさを感じさせない、沈んだ朝です。このまま私も沈んでいくようです。朝よりは、夜でしょうか。私は夜に溺れています。いつだって夜に怯え、寝所にやってくる旦那様にこれ以上嫌われないようにと自身を殺しています。空が徐々に夜に染まる様子を眺めるのは苦しいです。
幼いころ、まだ自分が女だと気がついていなかったころ、近所の子供たちと一緒に遊び、川で溺れたことがありました。川縁に咲いていた小さな花が欲しくて手を伸ばしてそのまま落ちたのです。呼吸ができなくて何度も水面から顔を出そうともがきました。もがけばもがくほど水を飲み苦しくて咳き込むと、また水を飲みました。
助けて。
懸命に叫びました。その声はほとんどが濁流にかき消され川に飲み込まれたのです。私が助けられたのはだいぶ流された下流の方だったと母から聞きました。気を失ってしまったようで助けられた際の記憶はありません。
助けて。助けて。助けて。誰でもいいので助けてください。
痛いほどに祈ったことは覚えています。
悲しいことに今と何一つ変わってないじゃあないですか。今だってこんなにも願っています。祈る相手がいないので祈っていないだけ。仏様、女は救ってくださらないのでしょう。助けて、と口に出せたら幾分楽になれるでしょう。しかし現実には言うことは許されません。私が勝手に生き辛さを感じているだけで、家の人は誰も悪くないのです。旦那様もお義母様もお義父様も。女中でさえも私に気を使ってくれているというのに。
何が苦しいのかと面と向かって問われたら私もおそらく口ごもってしまうでしょう。私がうまく立ち回れれば良かっただけのことです。
この縁自体、親同士が決めたことですから、旦那様も結納や婚姻の時に対面したばかりの小娘に愛を持って接することが出来ないのも仕方ないことです。寡黙な方ですから言葉が足りず、お前のことは好かんという発言に繋がっただけでしょう。
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