1人が本棚に入れています
本棚に追加
食事が出来たら旦那様に声をかけに行きます。早起きな方ですので恐らく庭を散歩でもなさっているのでしょう。
じっとしていることが苦手なのです。なんとなくわかります。だから旦那様は余所に女を作ったのでしょう。この家にじっと留まるのは窮屈です。それも好きでもない女といるのだからなおさらでしょう。
大きな体で無口な旦那様。
きっと余所の女は旦那様を受け入れられる優しい女なのでしょう。きっとそのうち妾としてこの家にやってくるでしょうから焦らなくてもいつか会うことになると思います。考えないように、考えないように。それなのに頭の隅にいつの間にか居座っている女。私は彼女を埋めるのです。現実の煩わしさで忘れるように。でもいつの間にか、着飾って旦那様を誘っています。淫らな女。
汚い。想像。淫らなのは私です。旦那様が私を好かないのは当然です。私はこんなに醜い人間だったのですね。頭の中がおかしな妄想で破裂しそうです。頭痛の原因はこっちだったのかもしれません。それならば自業自得。自分で自分を苦しめて、そうして被害者のような顔をしていたのなら、なんて愚かでしょう。
生きにくい道をさらに自分から細めていただなんて。私は高潔な人間でありたいと常々自らに課していたのに。私の生き方を私自身が否定してしまっているようで、不意に吐き気が押し寄せ、口を押さえました。
外は、雲を揺らしたらすぐにでも雨粒がこぼれてきそうなほどです。
風が冷たい。
旦那様は塀のそばにいらっしゃいました。ぼんやりと塀の外に目をやっているように見えました。どこを見ているともとれません。私が声をかけると、おもむろにこちらを振り向かれました。精悍な旦那様。その目に見つめられると私は蛇に睨まれた蛙のようになっていまいます。
足が知らずと震えていました。旦那様は私には声をかけてくださいませんでした。ただ、うつむいてしまった私を置いて、お一人で歩き始めました。私は小さな手で口元を隠しました。やはり手も微かに震えていました。小波のようです。感情の海は旦那様という投石によって波を立てるのです。私は唇を噛みしめているようでした。手で触れたことでやっと気づきました。それも相当きつく噛みしめていたとわかったのは唇を解放した後のことでした。唇には血がにじんでいました。きっとお食事の時に噛みしめてしまったことを後悔するでしょう。
最初のコメントを投稿しよう!